航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
DATE: 2007/04/19(木)   CATEGORY: 建築物
松江旅情 52 昭和初期建築の幽霊ビル!? (*修正有)

かなーり寂れた感じの商店街をテクテク歩いていると、ふとイイ感じに古そうなビルを発見。


出雲ビル



「ん?」…!?∑(゚Д゚;≡;゚-゚)

幽霊ビル!?

びっくりして思わず二度見してしまった… 。





出雲ビル1



あ、「出雲ビル」ね…。
緑の船が好きな昭和初期に建てられた近代建築のビルでした。(*後年補正:大正後期です)

場所 : 松江市白潟本町33 出雲ビル *昭和12年(1937年)施工。(*完成年間違い)

(*)後日修正→完成は昭和2年(1927年)とのこと。
現在のオーナー様からご指摘がありました^^;。大変失礼しました。でもまさかオーナー様から直接お話が聞けるとは!とひっそり感激…。
完成年間違いのまま以下記事はそのままにしてありますがご了承くださいませ。



<*さらに追記+補正>
「出雲ビル」はこの後、2017年(平成29年)に松江市に登録された歴史的建造物として第1号になっておりました!
が、建築年が1925年(大正14年)とさらに遡ってあり、ブログタイトルの「昭和初期」ではなく本来はまさかの「大正後期」の建築物ですが、この頃のブログの内容とズレてしまっておりますことをご容赦ください。








さて、この昭和12年(1937年)はちょうど日中戦争が勃発した年でもある。
最近その中国から温家宝首相が来日して国会でなんだか長々演説をされてたみたいだったので軽く触ってみましょう。
国会での演説の全文和訳はこちら↓をどうぞ。
★【2007年4月12日国会での温家宝首相演説全文訳:中華電波観測所】→ソース:【中国人民網:中国共産党新聞】かっ。

=日中戦争って?=
昭和12年(1937年)7月7日夜、中国の北京郊外にある芦溝橋(*1)付近で日本軍と中国軍(国民党軍蒋介石軍)(*2)が衝突、それがきっかけとなって昭和20年(1945年)9月の太平洋戦争終結にいたるまで両国間の戦争に発展する。

*1:私が学生の頃は「蘆溝橋」だったような…。今は「芦溝橋」なんですかね。
*2:このひとくくりにされている「中国軍」だが、当時国民党軍共産党軍(紅軍)だったり、国民党軍に吸収された紅軍=国民革命軍第八路軍(八路軍)だったりと内乱よって指揮系統がイロイロ…。

ちなみに終戦後の中国国内の内乱によって敗れた国民党軍(蒋介石)が逃れた先が現在の「台湾」(正式名称:中華民国)。
内乱に勝った共産党軍(毛沢東)により樹立した新政府(1949年:昭和24年~)が現在のいわゆる「中国」中華人民共和国
それを考えると、日本と台湾が現在極めて良好な関係にあることは不思議な気もする。(当の中国は「台湾の独立なんかゼェ~ッタイに認めないからね!」と先の国会演説でもわざわざ強調してましたが、個人的にも台湾の方が好きだしなぁ)

さて、その日本軍国民党軍による武力衝突は「シナ事変」と呼ばれ、後に続く戦争は「大東亜戦争」と呼ばれるものに拡大していく。
中国大陸に投入された兵力は105万人にのぼり、当時の主力戦争であった太平洋戦争中に大軍を大陸に注いだことは日本敗戦の主要な原因の一つとも言われている。


ついでにこの年は日独伊防共協定を結んだ年でもあり。
この協定、もともとは昭和11年(1936年)11月に日本とドイツ間で成立した共産インターナショナルに対する防衛協定だったのに、翌年イタリアが参加して日独伊防共協定(*)となった。
コミンテルン(世界共産党運動)についての情報交換・防衛協力などを定め、ソビエト(現ロシア)を仮想敵国とする秘密協定も結んだ。

*「日独伊三国同盟」(三国同盟)は昭和15年(1940年)9月にベルリンで調印された同じく日本・ドイツ・イタリアの3ヵ国間の条約に基づく軍事同盟でその「日独防共協定」を引き継いで相互軍事援助を取り決めたもの。

しかし、このイタリアは戦争中に国内でも南北間で内乱を抱えており、終戦時にはいつのまにやら共同戦線をちゃっかり離脱、「連合軍側の戦勝国」として現在も振舞っているため、ドイツ人&日本人ジョークのひとつに

「今度はイタリア抜きで戦おうぜ!w」

なんてものがあるとかないとか。






…なぁんて、そんな時代の経過も感じさせるこの建物の寂れ具合。
ちょうど築70年(←誤*正しくは築80年←*再度補正:2007年当時は築82年)の建築物なんですが、昭和初期の建物の表情はイイですね!(*正しくはry)
2階、3階、4階といちいち窓の規格を変えてしまう粋がよいです。
ただ、3、4階の窓はちょっと味気ないデザインな気が…。
後に差し替えられたものかもしれません。
特に4階の壁の修理跡が泣かせる…。




この時は曇天の下で見た時はいかにも廃ビル!?な雰囲気だったんだが、ちゃんとテナントとして機能していたらしい。

=出雲ビル=
★【まちづくりコンサルタント:計画技術研究所HP】の【松江スタッフ:田中隆一氏】のページより
(株)計画技術研究所松江事務所
出雲ビル 4F
電話 :  0852-27-0915

平成13年(2001年)に同事務所を松江市の「出雲ビル」に引っ越し、独立事務所として利用。
夜はビルをライトアップで演出中!?
このビルが夜にはどのようにライトアップされるのか見てみたい。
もしかして昼間よりも華やかなのかも。


gallery SOUKA -草花-
★【STORE ROOM:「おめでとう!」】2006年9月3日記事より 
出雲ビル 4F
営業時間 : 11:00~19:00 (木曜定休)
電話 :  0852-27-0933
駐車場 : なし。スティック横市営駐車場(有料)を利用のこと。

もともとビルの4Fは貸しスペースとして、展示会場や期間限定カフェとしても利用されていた場所らしい。

「テラスに出れば宍道湖が見える、風通しのいい時間を忘れちゃうような特別な場所です」 by店主


ええ~っ!?
そんなステキスポットだったのか!
幽霊ビルと見間違えたとはいえ、尻込みしないで入ってみればよかった…。



IMU建築設計事務所
出雲ビル 3F
電話 : 0852-28-1125
★【IMU建築設計事務所:山陰中央新報すまいの総合情報サイト「しまいる」】参照。
代表の山根氏は平成8年(1996年)に(有)アイエムユウ建築設計事務所を設立し、平成10年(1998年)平成14年(2002年)には「島根県景観アドバイザー」も務めている。



NU RECORDS
出雲ビル 3F
電話 : 0852-25-0447
営業時間(平日) : 15:00-20:00
(土、日、祝日) : 13:00-20:00
定休日 : 木曜日(&時々不定休)



Bar LEON→★【*バー・レオンの地図
出雲ビル 2F
電話 : 0852-28-3263
★【地ビール製造・販売:箕面(みのお)ビール】「箕面ビールが飲める店」より。
樽(リアルエール)で飲めるらしいです。



LIVE&STUDIO:松江B1
出雲ビル 地下1F
=連絡先=
【SOUND ACE 和田】
松江市内中原176  
電話 : 0852-21-3467
(*LIVEハウスB1とは別店舗の連絡先なのでご注意)




あの時はほんとにどんなビルだか分からなかったんだけど、ちゃんと利用されているビルだったのね…。
幽霊ビルなんて思っちゃってゴミンナサイ。









<後年追記>

★【松江市登録歴史的建造物
 「松江市HP>総合メニュー>暮らしのガイド>まちづくり>歴史まちづくり>」より

★【松江市登録歴史的建造物 第1号「出雲ビル」
所在地:松江市白潟本町33番地
登録日:2017年(平成29年)2月3日


◆建築年代:1925年(大正14年)
◆構造:鉄筋コンクリート造地上4階建地下1階
◆概要
出雲ビルは、出雲益良氏がイギリス遊学の際にロンド ンで見たデパートを松江にも建てたいとの想いから、 1925年(大正14年)に「出雲ストア」として建築したものです。

設計者は、「興風会館(千葉県)」や「旧細川侯爵邸(東京都)」などの設計に携わり、全国的にも活躍した建築家の大森茂氏です。

外観は、建築当時のものが多く残っており、外壁は コンクリート研ぎ出しで石材風に加工が施されています。また、壁面のレリーフや縦長の窓、逆読みの表記 になっている「出雲ビル」の看板などが相まって、建物の個性を際立たせています。

内部は、階段など改修されている箇所もありますが、 丸形の柱や天井の意匠など当初の様子を色濃く残しており、モザイクタイルや石材等を使用し、外観に見合った細工となっています。
松江で最初期の鉄筋コンクリート造建築と考えられ、地域の歴史的景観の核となるとともに、商業のまちとして発展してきた白潟地区の歴史を語る上でも貴重な建物です。
近世からの敷地割の名残のためか、間口が狭く奥行が長いつくりです。
右から読む「いづビル」、「出雲ビル」の看板が歴 史を感じさせます。



★【出雲ビル(白潟本町)】「NPO法人まつえ・まちづくり塾」サイトより

あ、嬉しい!
ささやかだけれどファサードは当時あったゴテゴテ配線が撤去され、4階部分の壁面の悲しい補修跡もちょっとスッキリに変わっている!そうよ、当時の面影を残す感じのシンプル系の補修でいいのよ!そして今も活用され生きている様で嬉しい〜ヽ(≧∀≦)ノ! 
(さらに欲を言えばファサードはもう少し汚れを掃除して、4階の窓は…いやこれ以上欲はかくまいw)保存会の皆様、ありがとう!






.......................
FC2ブログランキングへ→

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する
♪ >出雲ビルの築年数について
v-22 izumo naoto さま
ご乗船ありがとうございます!

オーナー様から直々にご連絡いただき恐縮です^^;。
早速修正させていただきますー。
昭和2年(1927年)完成ということは、さらに築年数が伸びて今年で築81年目ということですか…!
松江で最初の鉄筋コンクリート建築というのも由緒があってスゴイです。

>古い建物を含む良い趣のある町並みが破壊され続けて
そーなんですよね(泣)案外地元のヒトはその古い町並みの良さに気がつかないことってあるのか、「キレイな方がいい」「新しいものの方がイイ」とどんどん取り壊していってしまう所って松江に限らず多い気がします。
松江の魅力を知ったのはつい最近なんですが、あの手の建築物群の醸すいい雰囲気をどうしたら街に残していけるのだろうか…といつもひっそりと考えています。
緑の船 | URL | 2008/05/11(日) [EDIT]========================
♪ 出雲ビルの築年数について
現在の出雲ビルのオーナーで、ビルを建設した出雲益良の孫にあたります。私が聞いているところでは、完成は昭和2年、松江で
最初に建った鉄筋コンクリート作りの本格的?ビルディングで、地下がある事だけでも大変珍しい時代であったようです。最近松江市の発行した『湖都松江』と言う文化情報誌のなかで、未来に遺す松江特集にも出雲ビルが紹介されています。松江では古い建物を含む良い趣のある町並みが破壊され続けており、観光都市松江の魅力は急激に低下中です。関東に住む私から見ると、とても残念な事と思われます。

izumo naoto | URL | 2008/05/09(金) [EDIT]========================

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 航海記 ♪歌いながら行くがいい♪. all rights reserved. ページの先頭へ