入った途端、広くて明るい吹き抜けと白いオブジェに思わず天井へ視線が行く。
オブジェはかなり大きいものだが、その色と軽やかな形状、透けた素材のせいか圧迫感はない。

問題 : ここは何の施設でしょう?
館内の内装はまるで美術館かホテルのようですが…。

この大きな木はレプリカなどでなく本物のベンジャミンの木。
3、4本ほどこのロビーに植えてある(鉢植えじゃない!)。
★【ベンジャミン:観葉植物一覧】
階上のレストランに上がってみると、エレベーターから降りてすぐに宍道湖を眺めることができる展望台があった。
ちなみにレストランはちょとしょぼい。


あいにくこの日は風が強く、時々風花の舞うような天候で外には出なかったが、その眺望は十分に堪能することができ、晴れた日は宍道湖が綺麗に輝いて見えるだろうと思われた。

眺めの良い休憩室はこの展望台だけでなく各階にあり、ほっとすることができる空間が多い。
分別できるゴミ箱もその建物の壁に収納されてデザインも統一してあり、とてもすっきりしていて感心しきり。


建物の突き当たりに行くと、ゆるくカーブしている廊下や丸い照明が宇宙船の艦内を彷彿させ、船の名の通り「おお!」と感動する。

建物の突き当たりのコーナーはちょっとした休憩コーナーとなっていて、そこにあるイスはデザイン家具のよう。
もちろん座り心地もよく落ち着ける雰囲気。

大きな窓からは外が十分に見渡せる。
このようなコーナーは建物の両側にあるようなので反対側に周ってみよう。

こちらはその反対側の休憩コーナー。

こちら側はアメリカンシナモンロール(*シナボンレシピ)のような丘がでーんとあって、眺めがいいとはいえない。
が、ところでこの不自然な丘は何じゃ?
…
なんとこのシナボン、本物の遺跡ですっ!
さ、さすが遺跡満載処は出雲神話のお膝元。

オレンジで囲んであるハート型部分が発掘された古代遺跡の重要部分。
等高線模様があるのは、外敵から集落を守るために作られたと思われる人工の溝(堀:環濠)跡。
しかし実はこの環濠の中には人々は住んでおらず、その3重の環濠の外側に居住地域が隣接した形になっている…という不思議な遺跡。
普通は環濠の中に居住地区も入っているのが当たり前。(外敵から守るという意味では)
なので、この小山を利用した環濠の頂上はよほど古代の人々が大事に守ってきた神聖な場所だったと推測されている。
しかもここからは、当時実戦も繰り広げられたとか、いいやそれは模擬実戦だ…とか論じられているように実戦で利用されるべき武器も多く出土されているのだそうだ。
まるなか建設・大林組・鴻池組・カナツ技建工業・幸陽建設・林谷工業特別共同企業体が施工した「田和山遺跡と共存する松江市保健医療福祉ゾーン(松江市立病院・松江市保健福祉総合センター)」が大賞を受賞いたしました。
(略)
夜になると、まるでホテルをイメージさせる光の演出は、昨今の社会情勢から賛否は分かれるところではあるが、街路を明るく照らすことで文教地区の安全性を保ち、山陰道を通る車に現在地松江を知らせるランドマークとなっている。
単に医療福祉施設の機能を追求するだけでなく、利用者、周辺地域の人々、そして、市街地や山陰道といった離れた位置にいる人々など、施設を見る(施設から見る)あらゆる目を意識し、出来る限りの配慮を行ったデザインは、まさに大賞にふさわしいといえよう。
(島根県ホームページより)
★【第13回しまね景観賞【大賞】を受賞しました:まるなか建設㈱HP】2006年(平成18年)2月16日記事より。
いや、実は緑の船も何も知らずにその外観を見たときは「ん?最近できた美術館かホテル?」と思った。(昼間だったけど)
タクシーの運転手さんにも「あれって美術館ですか?」と聞いてしまったくらいだ。
「あれは松江の市立病院ですわ。
始めはその隣の小山を削ってその上に立てる予定だったらしいですけど、調査したらそれがそのままけっこう大きな集落の古代遺跡だったんで、最終的に病院はヨコへ移動して遺跡が保存されたんですわ」
と聞いてびっくり。
びっくりするだけではつまらないのでその美術館と見まごう松江市立病院へGO!
というわけで
問題の答え : 市立病院
でした。
基本的にピカピカ近代的建築には素通りの緑の船なのだが、そのピカピカ近代建築+古代遺跡という組み合わせに興味津津。
=田和山遺跡(たわやまいせき)=
所在地 : 島根県松江市
宍道湖を望む独立丘陵に所在する弥生時代前期後半から中期後半にかけての環濠をもつ集落。
中期後半には三重の環濠がめぐるが居住域はその外にあるという他に例のない構造をとっている。
弥生時代の集落構造や環濠の性格を考える上で重要な遺跡である。
★【史跡名勝天然記念物の指定について:文化審議会】より
田和山遺跡は「日本のパルテノン神殿」とも呼ばれる遺跡で、弥生時代から古墳時代には土地の人々にとっての聖地だったのではないかと言われている。
そういう意味でも、この遺跡が病院建設に伴なって消滅しなくてよかった~!
しかし、病院建設(移築)の際には行政側と遺跡保存を求める市民側とで裁判になるという一悶着もあったようだ。
この田和山遺跡の最大の特徴に、吉野ヶ里遺跡(佐賀県)のような「環濠集落」とは異なり、環濠で囲まれた中には人が暮らしていた住居跡がないということがあった。
環濠外に集落が展開すると言う他に例のない環濠集落遺跡だということで、文化遺跡としての重要性を国にも認められ、病院設計はその遺跡を避けるように東側へずずーーいっと移動した形になったのである。
★【田和山遺跡:360度動画】*公園整備前。
★【田和山史跡公園:松江市HP】
★【田和山史跡公園の見所!】
★【出雲・田和山遺跡HP】
★【出雲大社巡礼記HP】
市民からの強い要望によって現地保存された田和山遺跡は、2005年(平成17年)8月に田和山史跡公園として第1期オープンを迎えた。
隣には肩を並べるように、当初田和山に建設が予定されていた松江市立病院が同じく2005年(平成17年)8月に開院している。
史跡と病院との共存は大きなテーマであったが、第1期オープン以降、田和山史跡公園を訪れる人の中には病院来訪者も多く、病を治す病院と心に安らぎを与える史跡公園がうまく相乗効果を果たしている。
また、田和山山頂よりも標高の高い市立病院最上階は田和山を上方から眺める新たな視点として市民から好評を得ている。
★【田和山遺跡の整備と活用:遺跡学研究2:日本遺跡学界】より
風花舞う季節には遺跡の山も枯草色だったけど、もう少ししたら綺麗な緑になってるかもしれない。
遺跡公園は年中無休の入場無料なので、気候のよいときに登ってみたいと思います♪