
この構図を見て西行法師(1118年:元永元年~1190年:建久元年)のこの有名な歌を思い出した。
冒頭の歌は西行が60歳くらいの頃に詠んだ歌だと言われている。
=西行法師(享年73歳)=
生没年:1118年(元永元年)〜1190年3月31日(文治6年2月16日)*釈迦入滅は旧暦2月15日。
1135年(保延元年):18歳…左兵衛尉(左兵衛府の第三等官)に任ぜられる。
1137年(保延3年):20歳…鳥羽院の北面武士として奉仕していた。(この頃から和歌と故実に通じた人物として知られていた模様)
1140年(保延6年):23歳…出家して円位を名のり、後に西行とも称した。
平安時代末期から鎌倉時代初期の天皇から武士に政治権力が移行する時代への過渡期にあって、「歌聖」とも呼ばれた偉大な歌人。
時代は保元の乱、平治の乱、平家の勃興と滅亡、源頼朝の鎌倉幕府の設立と義経の憤死など日本史上でも有数の波乱と変化の激しい時代に生きた。
『新古今和歌集』(*)には最多の94首が入選している。
*第1期の建仁元年(1201年)から第4期まで、建保4年(1216年)までの間に最終的に完成した歌集。
西行は宮廷を舞台に活躍した歌人ではなく、山里の庵の孤独な暮らしの中から歌を詠んだ。
★【花と月を愛した漂泊の歌人:西行法師の生涯】より
=如月の望月の頃っていつ?=
旧暦で2月15日の満月の頃のこと。(*2007年では4月2日)
★【旧暦の計算:こよみのページ】参照。
ちょうど今年のサクラの時期と重なっております。

西行法師の生きていた時代にソメイヨシノはまだ登場してはいない(*)訳だが、違う種類の桜であっても咲き誇る桜、勢いよく散る桜を見れば、800年以上昔のその生死観が今も多くの日本人にはすんなり受け入れられていることは自然なような気がする。
*「ソメイヨシノ」
江戸時代に今の豊島区にある染井村の植木職人が交配して作ったサクラの新品種。ヒガンザクラとオオシマザクラを交配したもの。(→*追記)
山桜よりも早く成長するため日本全国で大流行した。
=追記=
*ソメイヨシノの起源については諸説あり、まだはっきりとは確定されていないが、1916年(大正5年)、米国植物学者アーネスト・ウィルソンが提唱し、国立遺伝学研究所の竹中要が交配実験によりその説を確認したことによって、1965年(昭和40年)には「ソメイヨシノ」が野生種のエドヒガンを父種としオオシマザクラを母種とした交配によるらしいということになった。
が、自然交雑種か人工交配種なのかについては真相は定かでない。
いずれにしても、染井村の「吉野桜」は、本家吉野(奈良)の山桜にある「芳野」とは別物であるため、明治33年(1900年)に刊行された「日本園芸雑誌」に発表された「上野公園桜花の種類」の中で、藤野寄命が山桜と区別するために「染井吉野」と名付けたのがその名の始まりで、学名もそのままソメイヨシノになったということである。
★【多摩川の汽水域】→【六郷川注釈集】→【参考21:染井村とソメイヨシノ】参照。
もちろん我々は、はらはら散る桜にアンニュイになるだけでなくその桜の下でわいわい宴会をする楽しさも知っているのだがw
西行の歌からは、800年以上の昔からも「春になると桜の名所である吉野の山へ都から見物人がわんさかやってきて…」「桜が散ると、また侘しい里山になり…」という風にお花見に人々が押し寄せていたにぎにぎしい様子が伺える。
吉野山の桜はもともとは古くからの山岳信仰から桜の木を御神木として祀ったり、献金ならぬ献木で植樹したりしているうちに増えつづけ、現在のような桜の名所となった所だ。
なので当時はもっと宗教的な意味合いも強かったのだろうが、当の西行も「いくつになっても桜の季節にはうきうきと浮かれてしまう…」だの「散ったばかりなのに、もう来年の桜の季節が待ち遠しい…」だのと宗教観とは別に花そのものに執着してる様がなんとなく微笑ましい。
★【吉野町:桜情報「吉野山と桜」】
★【吉野地域情報:YoshinoWeb】
★【吉野山桜情報】
![]() | 西行・山家集 井上 靖 (2001/10) 学習研究社 *詳細を見る |
西行は『山家集』という歌集に1500首余りを収めていて、その中でも特に吉野の桜は好んで歌にしておりその数は60首余りもあり、「花」と詠んで「桜」を指す歌も含めると253首にもなる。
その中で、緑の船が「あ、いいな~♪」と思う歌は数えたら75首にもなってしまった。
さらにそこから「西行桜:緑の船選歌25首!」と題して厳選してみました♪
誰かまた 花を尋ねてよしの山 苔ふみわくる岩つたふらむ
☆☆:花見
雲にまがふ 花の下にてながむれば 朧に月は見ゆるなりけり
☆☆:満開夜桜
ねがはくは 花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃
☆☆☆:桜心情
わび人の 涙に似たる櫻かな 風身にしめばまづこぼれつつ
☆☆:散り始め
なにとなく あだなる花の色をしも 心にふかく染めはじめけむ
☆:桜心情
山おろしに 乱れて花の散りけるを 岩はなれたる瀧とみたれば
☆☆:桜の滝風景
さきそむる 花を一枝まづ折りて 昔の人のためと思はむ
☆:故人を偲ぶ
よしの山 高嶺の櫻さきそめば かからんものか花の薄雲
☆:桜風景
吉野山 一むらみゆる白雲は 咲きおくれたる櫻なるべし
☆:遅桜
山おろしの 木のもとうづむ花の雪は 岩井にうくも氷とぞみる
☆☆:桜散る
春風の 花のふぶきにうづもれて 行きもやられぬ志賀の山道
☆☆:桜散る
うき世には とどめおかじと春風の ちらすは花を惜しむなりけり
☆:桜散る
雪と見て かげに櫻の乱るれば 花のかさ着る春の夜の月
☆☆:散る夜桜と月
春ふかみ 枝もうごかでちる花は 風のとがにはあらぬなるべし
☆:桜散る
風さそふ 花の行方は知らねども 惜しむ心は身にとまりけり
☆☆:桜散る心情
春風の 花をちらすと見る夢は 覚めても胸のさわぐなりけり
☆☆☆:桜散る心情
草しげる 道かりあけて山ざとに 花みし人の心をぞみる
☆:花見
ちる花の いほりの上を吹くならば 風入るまじくめぐりかこはむ
☆:桜散る
葉がくれに 散りとどまれる花のみぞ 忍びし人にあふここちする
☆☆:桜と故人
山櫻 つぼみはじむる花の枝に 春をばこめて霞むなりけり
☆:春間近
花の火を さくらの枝にたきつけて けぶりになれるあさがすみかな
☆☆☆:桜風景
山ざくら ちらぬまでこそ惜しみつれ ふもとへ流せたにがはの水
☆:桜散る
くれなゐの 雪はむかしのことと聞くに 花のにほひにみつる春かな
☆☆:桜風景
春雨に 花のみぞれの散りけるを 消えでつもれる雪とみたれば
☆☆☆:桜散る
花を惜しむ 心のいろのにほひをば 子をおもふ親の袖にかさねむ
☆☆:桜心情
★【『山家集』の研究】→「櫻の歌」より漢字・仮名使い参照。
いろいろある歌の中でも、緑の船はあまり小難しく考えないで、桜を雪や滝、氷、雲などに喩える情景を歌った歌が好きなようです♪
あとやはり「桜散るシリーズ」が好きかなぁ。
ところでこの「ねがわくは~」の歌に西行は当時流行った歌合せという遊びで、自分で自分の歌を左右に並べて優劣を競わせている。
それが『御裳濯河歌合』で、歌合せの形態をとった西行による自撰歌集。
西行自らが晩年期に自作歌から選んだ歌で構成されている。
次の二首は『御裳濯河歌合』の七番に一対で載せられている歌で、判定は友人の藤原俊成や藤原定家らが行ない、結果は「持」=「引き分け」としている。
(七番・左)
ねがわくは 花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月のころ
(七番・右)
来む世には 心の中にあらはさん あかでやみぬる月の光を
=自分なりに英訳してみた=(どうでっしゃろ?)
(The left)
Preferably,
I want to die in spring in a bottom of Sakura,
In the days of a full moon of the February(lunar calendar February).
(願わくば、二月(旧暦)の満月の頃、春のサクラの下で死にたいものだ)
(The right)
I will imagine it in a heart in the future life,
The moonlight that has died out without rising now.
(来世では心の中に思い描こう、今は満ちることなく絶えてしまった月の光を)

西行の「桜の花の下で春に死にたいものだ」というこの歌の意味は、「仏陀入滅と同じ頃に」という当時の宗教観が含まれているもので現代人の情緒的な共感とは少しズレいるかもしれない。
だがしかし、やはりあの歌が一番我々にもよく知られ心の奥底で馴染んでいるのではないだろうか。
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どこか刹那的で儚い桜の姿に人生を重ね合わせてみたり、と同時に過去と現在を連綿と結ぶ大きな流れの中にも自分があるという悠久を感じてみたり…。
800年以上経っても現代の人々に受け入れられている歌っていうのは、タイムマシンのような機能があるのかもしれない。