航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
DATE: 2007/04/03(火)   CATEGORY: 建築物
松江旅情 42 賣布神社(めふじんじゃ)

♪「祓え給え 清め給え~」♪
   
 ♪「守り給え、恵み給え~」♪




大橋川南岸、新大橋の南詰めに鎮座してある賣布神社
この名前の「賣布」は「めふ」と読む。
(所在地:松江市和多見町81)→【マピオン地図


神社



現代漢字では「売布神社」とも書く。
古くは橋姫明神ともいい、松江白潟地域の氏神様でもあったので、通称で橋姫(はしひめ)さんとか白潟(しらかた)さんとも呼ばれているそうです。

橋姫さんというくらいなので女性神らしい。


賣布神社



出雲国風土記』(*)に「賣布社」(めふのやしろ)、『延喜式』には「賣布神社」(めふのかみやしろ)と記されていた古社だ。


*「風土記」とは?

元明天皇の時代、和銅6年(713年)に出された勅命で諸国が編集した地誌。
前年の和銅5年(712年)に『古事記』が、養老4年(720年)には『日本書紀』が作られており、これらの編集は古代天皇制の威令を高めるために行われた国家事業でもあったとされている。
「風土記」は、郡名の由来、伝承、産物、土地の状態などを解文(上への申請書)の形で記録されたもので、諸国の実情を把握し、『日本書紀』作成の資料とするために編集されたと考えられている。

出雲国風土記』は天平5年(733年)にまとめられ、地名起源の伝承や地勢、産物などが郡ごとに整然とした構成と詳細な記述で記されているのが特長。
 第一部:国の大まかな地勢、編集方針、国名由来、神社や郡、郷、里などの統計。
 第二部:出雲9郡に関する統計、郡名由来、伝承、地勢、神社、産物など。
 第三部:主要道路の順路と路程、軍制など。

当時大和朝廷が作らせた全国の62ヶ国のうち現存するのは出雲陸奥播磨豊後肥前の5ヶ国の『風土記』で、他に30ヶ国の逸文が伝えられている。
しかし完成本が残っているのは出雲国のみ
唯一の完成本である『出雲国風土記』は奈良時代の地方の人々の生活や信仰、自然のありさまを伝える貴重な資料でもある。

★【出雲国風土記について:松江城と周辺観光地案内】より




ちなみに社名の「めふ」は海藻や草木の豊かに生えることを意味しているとある。








この神社は青戸家が宮司を行っており、島根県立博物館の常設展示コーナーでもその青戸家所蔵の賣布神社に関わる中世の古文書などを展示したこともある。

島根県立博物館:常設展示スポットコーナー「県立博物館でみる戦国武将たち」で、賣布神社(青戸家)文書の中世文書11点を初公開。

展示期間 :
平成15年(2003年) 9月30日(火) ~ 11月30日(日)

★【島根県立博物館HP】にて
→平成19年3月10日から古代出雲歴史博物館の開館に伴ない移転している。


★【島根県古代文化センター、古代出雲歴史博物館HP
★【島根県立古代出雲歴史博物館正式サイト】←新しいサイトはこちらから。


「賣布神社の主祭神である速秋津比売神(はやあきつひめのかみ速秋津比賣神は『古事記』(*『出雲風土記』?)に見られるように水戸の神(みなと:水門)であり、
潮流の中にあってさまざまな恵みをもたらす神とされ、人格神としてではなく、自然神として祀られている点においてより古い信仰形態のなごりをとどめています」





しかし敷地が特別広大なわけでもなく、広さはどこの町にもよくあるような一般的なサイズの神社だ。
ちょうど【自然食れすとらんビーハイブ】のすぐ近くにあり、なんとなく通りかかる度に参拝していたのだった。

=過去記事参照=
★【松江旅情20 ベジミート丼!?



というか、ただひたすら神社の装飾のすばらしさに浮かれていたのだったりして。
うーん、すばらしいっていうか緑の船にとって琴線に触れるタイプの装飾だったというか。
古ければいいって訳でもなく、地味すぎてもつまらない。
技術が高度ってことと感じ入るその趣は別モノで、例えば骨董市場で気に入ったモノが必ず骨董品としては「いい仕事してますねぇ!」と評価されるモノではないのと似ている。
だから、絵画を見るときのような「ああ、この線がいいよなぁ…♪」とか「細かく見ると粗が目立つのに、引いて見るとすごーく美しい!」とか「なに取り立てて目立つものがあるわけじゃないのに、とても居心地がいい」そんなぼんやりしたモノが緑の船にとっての評価基準になっている。
「緑の船」というだけに海や船にまつわる神社と波長が合ったのかもしれない。



神社2





神社3




青戸宮司が述べているようにこの神社は出雲の中でも云われも古く、昔から土地の産土神として祀られている由緒ある神社だった…とはこの時は知らない緑の船。
ただ、社内をぐるりと一周して本殿後方に「金比羅神社」や「船霊神社」、本殿左側に「和田津見社」と海や船に関係する神社が多いことから水神さまや海神さまなんだろうな~、くらいに思ってはいたけど。



神社6



拝殿右側にあったのは「恵美須社」(大國主命・事代主命)。
このお社は小さーーいものなのだけど、この屋根が立派なこと!
脚立、脚立がほしいよ!屋根撮りたいよ!

本殿の右側に進むと、産土神の「白潟地主総荒神」(速秋津比古神素盞嗚尊)、小さい「常光神社」があり、本殿後方の右に「船霊神社」(表筒男命・中筒男命・底筒男命)、その左に「金刀比羅神社」(大名牟遅命・少彦名命)、本殿左側に回ると「和田津見社」(櫛八玉神・豊玉彦神・豊玉姫神)があり一周する。

「わだつみ」と打つと「海神」と一発で変換されるのでびっくりだ。







しかし、なんと言っても装飾の彫り物は拝殿や本殿のものがすばらしい!



神社4




とにかく彫り物がとってもステキ!
水や海に関する神社らしく特にこの神社には社殿のそこかしこにの彫り物が施されていて、その表情がいいなぁ~♪と思っていたら、この彫り物の中にはあの小林如泥のものもあるらしい!



神社5




龍の彫り物だけでなく、この拝殿の屋根の内側からじっくりみていると季節の草木や野菜、海や水、波の彫刻が丁寧に施されている。
デジカメで撮ろうとしたがズームがイマイチで綺麗に撮れなかった。
飛び上がって噛り付いてもっと近くでよく見たかったなぁ!
もう首が痛くなるまでずっと上を向いて眺めていた。

宝物の中には7代藩主松平不昧公直筆の「御神詠和歌の額」なんてのもあったようだ。
ここにも月照寺の霊廟と似た空気がある。

=過去記事参照=
★【松江旅情 26月照寺 ⑥7代藩主治郷公(不昧公)
★【松江旅情 27月照寺 ⑦小林如泥



賣布神社は、もともとは摂社の櫛八玉神(くしやたまのかみ漁労の神、調理の神)が、速秋津比売神(はやあきつひめのかみ速秋津比賣神水門の神、祓門の神)を生命の祖神として祀り、後に樹種の神とされる相殿の三神(五十猛命、大屋津姫命、抓津姫命)を合わせ祀られたとされている。


神社の松の木




このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。

神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ(*穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を蘇らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。

そのための活力(気)は、「潮の気(水気や塩気)、そして樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と信仰されてきたのです。


【賣布神社御由緒】看板より







神社の看板




風土記の社・延喜式内
賣布神社御由緒

一、 御祭神
主祭神:速秋津比賣神(はやあきつひめのかみ)(*水門ノ神、祓門ノ神)

相殿神:五十猛命(いたけるのみこと)
    大屋津姫命(おおやつひめのみこと)
    抓津姫命(つまづひめのみこと)(*樹種ノ神)

摂社神:櫛八玉神(くしやたまのかみ)(*漁労ノ神、調理ノ神)


二、 御神徳とその意義
当社は遠く神代において摂社の御祭神である櫛八玉神が潮の流れの中にあるとされる速秋津比賣神を生命の祖神としてお祀りになったことに始まり、後に樹種の神とされる相殿(あいどの)の三神が合わせ祀られたと伝えられています。
このことは、海の潮の働きと地上の樹木の働きがあいまって海河山野の幸がもたらされ、人々も生かされていることが示されているのです。
神ながらの道の原点は、大自然の営みに畏敬の念をはらい、自己の生き方を律して、諸々の禍いや過ち、そして気枯れ(穢れ)などあればこれを見直し、人本来の生き方や生命力を甦らせることにあり、それが「祓え・清め」の真の意義でもあります。
そのための活力(気)は、「潮の気(水気や塩気)そして、樹木の気に宿る神々によってもたらされる」と、信仰されてきたのです。


三、 社名と神社の歴史について
当社は、『出雲風土記』に「賣布社」(めふのやしろ)、『延喜式』には「賣布神社」(めふのかみやしろ)と記された古社であり、社号の「めふ」とは海藻や草木の豊かに生えることを意味しています。
当社の元の鎮座地は、古代名の「意宇の入海」(おうのいりうみ:今の宍道湖)の西部湖岸と考えられ、潮の流れや地形の変動に伴ない遷座され、岩崎鼻(袖師ガ浦袖師ヶ浦)に鎮座した時代もあり、潟地が広がって白潟の地が形成されて現在地に遷座されたのが13世紀頃と考えられ、「白潟大明神」とか、15世紀には「橋姫大明神」とも称され、水郷松江の産土神として鎮座しました。
(*海水の流入口となった現在地へ遷座されたのが天正年間(16世紀後半)の頃)
また中世には港町「白潟」の宮座の権利として神田や漁業権を保有してきた歴史があり、祭儀では摂社の「櫛八玉神」の御事蹟と関連して、古代神話の国譲りの段に因む神事が継承されてきました。


四、主な祭儀
 1月 歳旦祭、潮会の祭(ドウ開き)
 2月 節分祭(立春祭)
 5月 春祭
 6月 大祓祭(夏越祓)
 7月 夏祭り(船神事)
 10月 例大祭《御餐の神事(みあえのしんじ):(すずき祭)(焚火の神事)》

【賣布神社御由緒】看板より



=関連サイト=
★【松江城と周辺観光地案内HP
★【賣布神社:出雲國神仏霊場公式HP
★【賣布神社(売布神社):玄松子HP





壁の鳴る某ホテルの話題のあとなので、この神社の祈りの言葉をばもう一度。


♪「祓え給え 清め給え~」♪
   
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(-人-)








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