” 再出発 ”の意味を冠するエレカシ18枚目のアルバム『STARTING OVER』(2008年/平成20年)が再々出発の一枚との事でありましたが、ではエレカシ最初の再出発はいつだったのか?
★【up&down+right&left その8〜涙で突き進め、笑顔の未来へ〜】2022(R4)/
02/18(金) 記事参照〜
※共同プロデューサーとして佐久間正英氏を迎える。エレカシが外部プロデューサーを初めて起用したアルバム。①エピック・ソニー→②ポニーキャニオンと契約・再出発して初のアルバム。シングル、アルバムを含め、本作で初めてエレカシがオリコン週間TOP10にランクインした㊗️ by wikiエレカシ 8枚目アルバム『ココロに花を』 1996年(平成8年)8月21日発売(ポニーキャニオン)
◯作詞・作曲:宮本浩次(※発売時ミヤジ30歳)
01 ドビッシャー男
・編曲:宮本浩次
俺たちは、ドビッシャー男! ♪
この曲を再出発の一曲目に持ってくるのがエレカシ!
02 悲しみの果て ああ、この曲やっぱり好きだわぁ!(*´ω`)
◯10枚目先行シングル:1996年(平成8年)4月19日発売
・編曲:宮本浩次、土方隆行
・表記はないがアルバムミックス
※再出発前のライブハウスシェルターにて
1995年6月21日(ミヤジ29歳):エレカシ無所属時代の
「悲しみの果て」もう27年も前!そりゃみんな若いよw
何度見てもロン毛の若ミヤジと黄色い声援と野太い声の飛び交う
会場の雰囲気が新鮮w そしてこの頃の石くんがなんと可愛い!と
今頃気が付いたw この頃から彼は七変化だったのね。
03 かけだす男
・編曲:宮本浩次、佐久間正英
04 孤独な旅人
◯11枚目シングル:1996年7月19日発売
・編曲:宮本浩次、土方隆行
05 おまえと突っ走る
・作詞・作曲:ガンダーラコンビネーション
(石森敏行・宮本浩次)
・編曲:宮本浩次、佐久間正英
06 四月の風 大阪のラオジオ局でパワープレイされた曲
◯10枚目シングル「悲しみの果て」カップリング曲
・編曲:宮本浩次、土方隆行
07 愛の日々 青いミヤジの伸びのある透明感な声が堪能できる一曲
・編曲:宮本浩次、佐久間正英
08 うれしけりゃとんでゆけよ
・編曲:宮本浩次
・後に12枚目シングルの「悲しみの果て」カップリング曲として
「宮本プロデュースバージョン」がシングルカットされた。
09 流されてゆこう
・編曲:宮本浩次
10 Baby自転車
◯11枚目シングル「孤独な旅人」カップリング曲。
・編曲:宮本浩次、佐久間正英
11 OH YEAH!(ココロに花を)
・編曲:宮本浩次
やるこたぁ、まだまだある
闘うために生きていこう OH YEAH!
口には微笑み
未来には勝利を託して行こう ♪
それは、デビュー当時から所属していたエピック・ソニーから契約解除され(所謂クビになった)事務所もなく、そこから2年以上のインターバルの後に発売されたこの緑ミドリした8枚目のアルバム『ココロに花を』なのです。
動画で見るまだポニーキャニオンと契約する前の若ミヤジはヤケクソもあるかもですがとてもハツラツとしていて勢いがありなんと言っても20代、やはりまだまだ若いよねw
とは言え世間の同級生が例えば大学を卒業し22〜23歳で就職したとして28歳になった頃は社会でそこそこ育って後輩を指導する様な立場になっている時なわけで、そんな頃にエレカシはレコード会社も事務所と言う後ろ盾も無くし、売れないままの28歳のアマチュア(?)ミュージシャンで振り出しに戻った状態。そこから新たにレコード会社、新事務所を得て契約を交わし、本当の意味でプロとして再出発するまでの2年間は金銭的にも精神的にも中々に苦しい時間でもあったのでは?と私なんかは思うわけです。
「あんたももういい歳なんだから、そろそろちゃんと就職したら?」
「〇〇ちゃんなんかもう結婚してて、お父さんになってるわよ」
時々母親目線になる私が彼らの親だったら絶対言ってる気がするw また、私が彼らの同級生だったとして、デビュー当時は「応援してるよ!」と言っていたとしても、いよいよ20代も後半にレコード会社をクビになったらそう言っていたような気がするわけです。エレカシの4人は中学、高校時代からの同級生バンドで、ずっと東京という地元にいる彼らはそう言われることも多々あったのでは、と想像もします。直接面と向かって言われずとも、何とはなしに風に乗って噂話が耳に入るのが地元の恐ろしいところでもあるではないですか。
(いや、それとも意外と東京ではいつくになってても応援してたりするの!?)
それに4人いれば、誰かしらが「俺、バンドはもうやめる」そう言い出してもおかしくない時期がこの頃だったのでは、とも思うのです。が、この時誰もバンドを抜けなかったのですよね。(これが一番のスゴイところな気がします!)
例の5分間のミニミニ音楽番組で、18枚目アルバム『STARTING OVER』で再々出発した後に出演したミヤジ(40歳)がこの頃のエピック・ソニーから契約解除されポニーキャニオンで再契約に至るまでのことをちらっとこう語っていました。
「(バンドの)みんなでね、デニーズで待ち合わせて ”今日はどこのレコード会社へ(デモテープを)持って行った”、”今日はどこ行った”って、一生懸命みんな(俺の)話聞いてくれて、あれが嬉しかったな〜」と。
多分、ミヤジはこのミュージシャンとしてマネージメントしてくれる事務所もない宙ぶらりんの時も自分ができる事を一生懸命にしていたんでしょうね。「馬鹿野郎、このヤロー!エピック、俺をクビにしてんじゃねぇ!」とライブでは派手に愚痴をぶちまけてましたがw
でもだから、そこなんですよ!いくらデモテープを持ち込んでも話を聞いてももらえず門前払いを喰らった事もあったでしょうし、話を聞いてくれたとしても「今まで売れなかったバンドだったんでしょ?事務所もないの?…君らもう28歳なんでしょ? ( ´,_ゝ`)そろそろ諦めて普通に就職活動でもしたら?」なんて言われた事もあったんではと想像するんです。
そんなミュージシャンとしての不遇を大声で愚痴ってても、そこで折れて燻って世の不条理を拗ねて終わらなかったんですよね、ミヤジは。諦めなかった。だったらもっと自分で自分らを売り込もう、もっともっといい歌を作ろう、自分を買ってくれる事務所を探そうと自らの足で奔走してた訳です。(この頃のミヤジはお金もなく確か車の運転免許もなかったはずw)
ここにミヤジの己を、己の歌を信じる力の強さしぶとさと(でもきっとビルの谷間から月を見上げて泣いていたりしていたと思う)、バンドのメンバーが売れないまま契約解除された後もミヤジから離れないでバンド活動し続けていた理由や、ミヤジの持つ愛嬌や魅力が垣間見えるのです。
今になって過去の動画の一部を見て、ミヤジを王様気質だワンマンだパワハラだなんだとやたら批判する人がいますが(王様気質はミヤジ本人も別に否定しないと思うw)、でも、それだけであればこの時にメンバーは離れてとうにエレカシと言うバンドは解散していたと思うのですよ。
一度は華々しくデビューして、でも鳴かず飛ばずで期待していた程全く売れずレコード会社に見放されて契約解除されるという事態は、バンドやミュージシャンにとってそれぐらいハードインパクトだったはずです。
しかもこの時、エレカシのために奔走していたのはミヤジだけではなかったのです。
1995年(平成7年)某月、エレカシのカセットテープを持って、とある会社を訪ねた男がいたのです。
「素晴らしいアーティストなんだけどね、なかなか相性のいい環境がないんですよ」□ヽ( ´_`)聴いてみてくれない?
男が訪れた会社は、この後エレカシ再出発(一回目w)の事務所となる会社なのですが、1995年(平成7年)当時は設立したばかりで、会社が欲しかったのは”まっさらな新人アーティスト”だったので男の話を聞いても、「全く売れずエピック・ソニーをクビになった?え?20代も末のアラサー!?(しかも何だか気難しそうな中堅アーティストか…)」と、さして関心もなかったのだとかなんとか。(※この辺は若干の脚色を添えておりますw)
でも『ロッキング・オン・ジャパン』とは今後のお付き合いもあるだろうし、まあ、聴くだけ聴いてあげようかな、くらいの感じで会ったのかもしれないと想像。そう、この時エレカシのために会社を訪問したのは知る人はみんな知っている音楽雑誌『ロッキン・オン・ジャパン』編集長の山崎洋一郎氏(※)だったのです。
※山崎洋一郎:1991年(平成3年)10月、『ROCKIN'ON JAPAN』二代目編集長に就任。デビュー当時からプッシュを続けてきたエレカシが1994年(平成6年)にレコード会社と契約を切られた上、所属事務所が解散してしまったときにはエレカシ復活のため一役かい、ブレイクのきっかけを作る。by wiki
その山崎氏が渋々な感じの会社の人に聴かせたのが、この「四月の風」と「Baby自転車」の2曲のデモテープなのです。そして、そのデモテープの音源に会社の人は見事食いついたのです!これがきっかけでエレカシは新事務所とレコード会社との新規契約と相成ります。ここからがいよいよやっと再出発(1回目w)なのです!
この「四月の風」はシングル、アルバム『ココロに花を』にも入っている曲で、発売後は大阪のラジオ局でパワープレイされた曲でもあり、ソロ活動中のミヤジが昨年から始まった日本全国縦横無尽コンサートツアーにおいて、大阪城ホール(2021年/令和3年12月)の公演中にも「すごく大事な曲です」と紹介され歌われました。(ショートバージョンだったっけ?)とてもとても大事に歌っていました。
ここまでで、いかにこの「四月の風」がエレカシにとって、ミヤジにとって深い思い入れがある曲なのかお分かりいただけましたでしょうか?(はあ、はあ)
★【「四月の風」エレファントカシマシ】
何かが起こりそうな、そんな気がする
何かがきっともう始まっていて
なんだかじっとしてられないんだ
このまま全てが叶うような、
そんな気がするんだ
ああ、四月の風が吹いている
きっとどこかで
誰かが俺たちを待っている ♪
エレファントカシマシ 10枚目シングル「悲しみの果て / 四月の風」より
「四月の風」
◯作詞、作曲:宮本浩次
◯編曲:宮本浩次、土方隆行
◯ 1996年(平成8年)4月19日発売(ポニーキャニオン)
※この頃のエレカシは「ELéPHANT kashimashi」と表記されている。
なんでこんなめんどくさい表記に(-∀-)w そんな雰囲気がカッコイイとされる時代だったのか、ちょっと怖いイメージだったエレカシを心機一転でオシャレでライトな感じにしようと事務所が思ったのか。どちらにしろエレカシとは真逆なイメージでちょっとどうなんだな気がしますが…。 ちなみにフランス語の「Ele」はあの人、あいつ、彼女、等の意味だそう。(例:Ele est bele!=あの子美人だなぁ!)絶対ミヤジのセンスではないと思われw
新年度になってもしれっと飽きずに「ミヤジの沼渡り、その21」です。
と言うか、4月になったら (*´v`σ)σ絶対この曲!と決めていたんですw
大阪城ホールで聴いた時はまだ寒風の吹く12月だったけれど、あっという間に桜満開の4月に聴くこの曲はまた格別なのです。まだ事務所もなくレコード会社との再契約の目処も立っていない頃(多分7枚目と8枚目のアルバムの空白期間の時の四月の風景なのでしょう)に作った歌だと言うのもまた感慨深いのです。「でもね、若さって強さですよ!」と言ったミヤジの声が聞こえてきそうw
このデモテープの音源は、当然アルバムの発売当時は表には出ず、アルバム『ココロに花を』の正規CDだけだったのでしょうが、エレカシ25周年記念の<great album deluxe Edition シリーズ2>として「『ココロに花を』deluxe Edition 」と言うバージョンで、通常盤+初期デモ音源の2枚組が発売されており、今はそのオリジナル音源(デモ音源)も聴くことができるのです!
「歴史前夜」の様な、まだ歌詞のないままのミヤジの声が曲の印象に乗って剥き出しのままで歌われている曲があって、なんと言うか、やはり私はこの初期音源の雰囲気が好きだな〜と、改めて思ったのでした。
初期音源にはまだ歌詞が定まっていない状態でミヤジが歌っているものがたくさんあるんですが。。。聴いていると大阪城ホールで聴いた「夜明けのうた」の様な不思議な感覚になりました。歌が体の中に入ってきて、胸を昇って目から涙になって溢れた、あの感覚です。
ちゃんとした通常盤の前にこのデモの方の初期音源を先に聴いたので、最終的な歌詞は知らない状態だったんですけど、やっぱいいのよね。なんかよく分からないけど、やっぱりミヤジの声っていいなぁとシミジミ聴いちゃった。改めて、ああ、今の私はミヤジの声が本当に好きだなんだなぁと再認識しました。(多分昔はそれほどでも?)個人的には40代ミヤジこそ全方位最強説推しなのですが、30代になったばかりの、でもまだ青さの残る若ミヤジの希望に満ち溢れたハリのある歌声もいいですね。今はもう聞けない声です。
ポニーキャニオンから30歳での再出発(1回目)で8枚目のアルバムを出し、この「四月の風」が大阪のラジオ局でパワープレイされた時の事を、ユニバーサルに移籍し40歳での再々出発(レーベルは4回目)で出演していた例の5分間のミニ番組で「もう、うれしかった〜(泣)」と大袈裟に表現して笑わせていましたが、多分ミヤジにしたら大袈裟でも何でもなく、本当に心の底から嬉しかったんだろうなと、この「『ココロに花を』deluxe Edition 」の初期音源を聴いて思うのです。
あ、だからタイトルが『ココロに花を』なのか!(納得)
花なんか咲かせなくたっていいだ、(僕らの花は)もう咲いているんだ、と語っていた「桜の花、舞い上がる道を」まで、このアルバムからずっとミヤジの道は続いているのかもしれません。
まだ事務所もなく、あの下北沢の小さなライブハウスで歌っていた荒削りで吠える様な「悲しみの果て」のライブを思わせる様な若さと勢いが、新しい環境で、メジャーシーンでもう一度やってやるぜ!な空気がそのデモの初期音源に溢れておるではないですか。ちっともメソメソ燻ってなんかいなかったのかもしれませんね。
この三十路での再出発で、ミヤジだけでなくバンドのメンバーもワクワクしていたんだろうなって、想像ですけどそう感じる様な雰囲気がバンドの音にもあって、あらゆる方向に音に喜びが弾けている様な気がして、なのに何故か私は切なくなりました。多分、ミヤジがこの後も何度も突き当たるであろう音楽の壁を知っているからなのだと思います。
「いろんな人が助けてくれてたの、いっつもどこかで誰かがさ。でも、その頃の俺は、それを知らなかったんだな」と回想していた様に、もしかして『ロッキン・オン・ジャパン』の山崎氏が宙ぶらりんのエレカシの為に奔走していなければ、今のエレカシは、ミヤジはいなかったのかもしれないと思うと、もう、山崎神社を祀っていい気がしますw
「ココロに花を」deluxe edition

Disc1はファンにも評価の高い弊社在籍中の8thAL「ココロに花を」のリマスタリング & Blu-spec CD2(高品質CD)にて収録。
Disc2には新レーベル契約の前後に録音された、未発表曲を含むデモ音源を発掘収録!素晴らしい勢いの一発録り「悲しみの果て」、本邦初公開となる「四月の風」のサビが全く違うファーストバージョン。「ココロに花を」ネイキッドと言っても過言ではない、ファンならずとも必聴の1枚。
商品説明より
前作の「東京の空」までを聴いていた方にとっては、一体何があったのか心配になるほど雰囲気が変わったアルバム。 それでも、現在のミヤジの人気に繋がる最初のきっかけとなったのは間違いないと思います。 Disc2のデモ集はファンにしか関心が無いと思いますが、1,5,6,11は必聴の音源です。
by HMV&BOOKS onlineストア:口コミより(@kiyoshi さん)
私も大好きな「東京の空」だけど、7枚目アルバム『東京の空』までのファンがびっくりするくらいアルバムの雰囲気が変わってしまったんですね。多分、この再出発で新しいファンも増えたでしょうし、しかし、この変化を厭わないのがエレカシの、またミヤジの本質でもあるのかな?
などとソロになってからの55歳のミヤジから30歳の再出発時代へ遡る私は気楽に眺めていられるのですが、最初から付き合っているファンにしたら余程「え?…えええっΣ(´Д`*)!?」な再出発だったんでしょうねw
実はこの8枚目アルバムは最近になって、ちゃんと中身も確認せずに勢いで買って、後で「あれ!?このアルバムって2枚組だっけ!?」とびっくりしたんだけど、25周年記念のリマスタリングバージョンだったのでした。しかも!私が「デモ音源欲しいよ!もっと聴きたいよ!」と思っていたあの初期デモ音源が付いているという誰得私得なアルバムだったのですヽ(´∀`)ノワーイ!
ちなみに「ココロに花を」と言う名のアルバムなのに花は一輪もなく両面緑一色のアルバムで、何気にそこも緑の船得のアルバムなのでした♫
(ちなみにCDジャケットの植物は何なのか色々調べたけど分からず。カズラの一種で定家葛が似ている気がするけど、ジャスミンのような気も。いわゆるマツリカ(茉莉花)の葉っぱのような、英名はアラビアンジャスミンとも言うのでその辺と思われ。アルバムと植物の種類に特に意味はなさげだけど気になる…何だろう?CDケースを開くと黄色斑紋の天牛(カミキリムシ)とドクダミの花の前で笑うミヤジがいるw この25周年記念バージョンだけ?)
※追記:よくよく見たら、アルバム表紙の緑はなんか普通にハラン(葉蘭)な気もしてきたw そうすると、花言葉が生きてくる!?
◯和名:葉蘭(ハラン)、馬蘭(バラン)…お寿司のお皿になってたりする葉っぱです
◯英名:Iron plant (アイロンプラント) Barroom plant(バルームプラント)
◯花言葉:平癒、強い心、強い意志、など。
いや、うん、もうデモ音源聴いて喜びの舞を舞っている私ですが、ホント音に喜びと当時のバンドの勢いが溢れているよねw
そして、何度も再出発しアルバムを出し続け歌い続けステージで演り続け、50代になりバンドメンバーが一人も欠ける事なくエレカシはデビューから30周年を迎え、ミヤジのソロ活動中、いよいよ還暦カウントダウン前の55歳にはアルバム3枚を出して絶賛全国ツアー中の最中に、ミヤジ風に言うならば年相応にヤレてきた激渋オヤジ4人衆が、令和4年の今現在も武道館にて元気な姿で集うエレカシが存在しているわけです。
30歳で再出発したアルバム『ココロに花を』を発売してからもう25年、と言うのが改めてびっくりなのです。