航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
up&down+right&left その8〜涙で突き進め、笑顔の未来へ〜



発売日は14年前の元旦ですが、この可愛らしさが何だかバレンタインにもぴったりな気がして♪
てか節分も建国記念日🎌もバレンタインもとうに過ぎ…2月は逃げるってホント毎度思う。


★【エレファントカシマシ - 笑顔の未来へ】※発売時ミヤジ41歳

 このMVで共演した子は5歳くらいの女
 の子で、ミヤジ曰く「女の子って5歳で
 も母性があるって言うか、僕はこんなん
 だけど(TVなんだからちゃんとしなく
 ちゃダメよ!)ってリードしてくれて。
 ある種僕は解放感を覚えた」とかw


エレファントカシマシ、35枚目シングル「笑顔の未来へ」
◯作詞・作曲:宮本浩次
◯プロデューサー:蔦谷好位置(この頃からエレカシプロデュースが始まる)
◯2008年(平成20年)1月1日(元旦)発売(ユニバーサルミュージック)
◯MV監督:フカツマサカズ

またもレーベルが変わって(何回目!?)からの2枚目のシングルで、ミヤジ曰く「環境が変わってワクワクしていた」と言っていた様に、とても音が明るくてMVも可愛らしい。当時のエレカシには珍しい雰囲気?のストリングスチームとピアノの音がこの曲の軽快な印象をより華やかにしております。


このMVが公開された時、ゴツいエレカシファンはどよめいたと言う…
collage-erekashi-2008-35th-egaono.jpg
「あ、あの宮本が、女の子に翻弄されている、…だと!?」と。


でも女子的にはそう不思議でもないよね?このMVでの(こんな小さな女の子どう扱っていいかよく分からないよ…)なぎこちないミヤジはw

※2007年(平成19年)4月29日のARABAKI ROCK FEST.07にて初めてライブ演奏された時は「涙のテロリスト」と紹介された曲。次の5月12日の大阪城野外音楽堂ライブ以降は、「笑顔の未来へ」と言う曲名になった。「俺たちの明日」の収録曲「さよならパーティー」に続き、この曲で蔦谷好位置がプロデュースを務めている。同年12月から2008年1月まで、よみうりテレビ(日テレ系)全国ネット「ダウンタウンDX」EDテーマとなった。by wiki

★【宮本浩次 (エレファントカシマシ) - 2008.1.31 Yahooライブトーク (笑顔の未来へ・俺たちの明日 生演奏)】※ミヤジ41歳

2008年(平成20年)1月31日配信(21時〜22時頃?)
  宮本浩次 Yahoo!ライブトークより
 司会:荘口彰久
 key:蔦谷好位置
 時々石くん登場

・成ちゃんとは高校の時に会ったんだけど、最初見た時に、彫りが深
 くてカッコよくてびっくりした。(それまでは自分が世界で一番の
 二枚目だと思っていたのでw)

・「俺たちの明日」はYANAGIMANとやったんだけど、素敵だなと思
 ったのが(歌い方とか)常識的なことをキチッと真正面から僕に伝
 えてくれる人で、僕はライブでは(エレカシ的な)エッセンスとし
 てある種外して歌ってたんだけど、(言われてからは)レコーディ
 ングではすごく丁寧に、丁寧に言葉を届けられる様に歌いました。
 この歌は、年齢も上がってそれぞれが抱えてるだろう実感できない
 頑張りとか、そう言った同世代への歌で泣けてくるんです。ライブ
 の時も会場のみんなに「どうだい?」って気持ちで歌ってます。

・「笑顔の未来へ」の紹介。「しかも!、私の…(大好きなと言おう
 として?w)、あの…、えーとですね。蔦谷好位置さんと言うです
 ね、その…非常に素晴らしい音楽家で、今回この曲をアレンジして
 くれたプロデューサーである蔦谷さんと、歌います」

 =♪ アコースティックライブ ♫=
  「笑顔の未来へ」 31:40〜
    行こうぜ、笑顔の未来へ…!

(一曲で汗いっぱい。壮口さんに「ツアーのリハでも全力ですけど、ここでもリハーサルから全力ですね!」と言われてるけど、55歳のバースデーライブ『縦横無尽』でのリハでも、バンマスの小林武史さんに「リハーサルからこんなに全力でやる人いないですよね。でも、きっと彼はこんな風にしかできないんでしょうね」と言われてましたね。リハから全力がいいか悪いかは別として、多分それがミヤジ…)

・スピッツの「空も飛べるはず」(※8枚目シングル、1994年/平成4
 年4月25日発売)、いい曲です。ROCK'IN ON JAPANフェスでは
 ステージの袖で聴いた「涙がキラリ☆」(※12枚目シングル、
 1995年/平成5年7月7日発売)のイントロで泣けてきちゃってさ、
 ハイ、好きです。(スピッツの草野マサムネさんもステージで大好
 きなエレカシの「悲しみの果て」を歌ったりしてるとか)

・(春に新しいシングルが出るんですか?と聞かれ)…それは「桜の
 花、舞い上がる道を」の事ですか?我々の3月5日発売ニューシング
 ル「桜の花、舞い上がる道を」の話じゃないですかね。(大事な事
 なので2回w これも蔦谷さんに手伝ってもらって作ってたのね)

・(17歳のファンからカバーして欲しい曲と紹介されたQueenの
Bohemian Rhapsody」について)Queenの出世作で、それまで
 のバンドの歴史の中でもターニングポイントなんだよね。大勝負で
 スターダムの地位を築き上げたスタイルも痺れるくらい素敵。

・洋楽ではLed ZeppelinとかStonesとか好きですね。
(…開始から46分頃。この辺で集中力が切れそうになって質問が耳を滑っていき脈絡ない意味不明な話をし出すミヤジw 唐突に「やっぱタバコやめなきゃダメですかね?」で壮口さん困惑w 歌謡曲の話題になって意識が復活したw)

・(今後のライブ活動への意気込みについて)このアルバムは一曲一
 曲の世界観を丁寧に作り上げてきた。そのアルバムで展開される世
 界を、歌、メロディー、歌詞、演奏を、自分の歌を丁寧に伝えてい
 くって事を第一に考えて、歌声を、丁寧にお届けしたい。

・(宮本さんへこの機会に逆に何か言っておきたい事はありますか?
 と聞かれ)石くん「ないですね」(え、ホントに!?)

・プロデューサーの蔦谷さんやYANAGIMANとやる様になって、明ら
 かに4人で演る時と違って僕は自分の歌に集中して歌えたんです。
 メロディーとか歌詞とかが、耳からストレートに届く様に丁寧に僕
 は作ったつもりなので、その世界観を堪能してもらえると嬉しい。

・(ファンに向けて一言と言われ)可能な限り、健康に気をつけて、
 輝き目指して生きていこう!
 (冗談ぽく聞こえるけど、きっとこれはミヤジの本気ですw)

 =「笑顔の未来へ」MV=

 =♪ アコースティックライブ ♫=
  「俺たちの明日」 1:04:07〜

司会の壮口さんは「桜の花、舞い上がる道を(※同年3月5日発売の36枚目シングル)の頃に「泉谷しげると翼なき野郎ども」の番組でも司会として登場していたり、他のラジオ番組でも何度かミヤジにインタビューしていました。持ち前の打たれ強さと押しの強さでw、時に気難しく、拗らせると扱いにくいとも思われがちなミヤジとも明るく番組を進めていて楽しげですが、きっと進行にはご苦労されていたんじゃないでしょうか。(ミヤジが自由過ぎてw)
あ、このアルバムの発売後の3月に放送されたその番組で泉谷さんから「なんでこのアルバム(『STARTING OVER』)に「桜の花、舞い上がる道を」が入ってないの?何か理由があるの?」と聞かれ「…それは、(ユニバーサルの)係の人が(決めたんで分かりません)…」とミヤジが馬鹿正直に答えてズッコケたあれですw
★【大人の覚悟 〜桜歌から13年後の結実〜】2021(R3)/03/07(日) 記事参照〜


そうか〜、この頃からネット配信とかが割と一般的になってきたのかな。この時41歳のミヤジがネット配信を「(視聴者と)サシでいる感じがしていいですね」と語っていましたが、まさか13年後の55歳で「私、実はYouTuberに憧れてましてね」と自分で自分の宣伝をイキイキと生配信するようになっているとは流石のミヤジも想像だにしていなかったのではないかw

この頃は、新しいレーベルであるユニバーサルミュージックからの移籍第1弾にして、34枚目シングルそしてエレカシの新たな代表曲となった「俺たちの明日」(2007年11月)を発売後、もう一人のプロデューサーに新進気鋭のコンポーザーとして蔦谷好位置を迎え、エレカシとしてはある意味" 冒険的 "と言われた35枚目シングル「笑顔の未来へ」(2008年1月)を発売、からの再々復帰を果たしたと言われるアルバム『STARTING OVER』(2008年1月30日)発売の流れとなっております。
移籍は2007年(平成19年)ですが、この2008年(平成20年)はアルバムの名の通り、エレカシ何度目かの " 再出発 "の年でもあると言われています。
それは、いよいよどうなんだ…と思われていた鳥が、夜が明けると朝日を浴びて息を吹き替えし、また何度でも羽ばたく様にも似て、まるで不死鳥の如しなのであります。(ミヤジは時々若返る、とはこんな感じ!?)










◯エレファントカシマシ 18枚目アルバム『STARTING OVER
2008年(平成20年)1月30日発売(※発売時ミヤジ41歳)
※①エピック・ソニー→②ポニーキャニオン→③東芝EMI→④ユニバーサル(◁ココ)
このアルバムはタイトルで悩んで中々決まらなかったそうで、誰かが「STARTING OVER(※原点からやり直す、再出発の意味。ジョン・レノン生前最後のシングル曲のタイトルでもある)がいいんじゃないか」と言ったのを聞いて「それだ!」となったそう。

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=収録曲=
  (08以外全て作詞・作曲:宮本浩次)
 01. 今はここが真ん中さ!
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
 02. 笑顔の未来へ
    ◯35枚目シングル曲
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
 03. こうして部屋で寝転んでるとまるで死ぬのを待ってるみたい
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
 04. リッスントゥザミュージック
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
     西日本シティ銀行企業CMソング
 05. まぬけなJohnny
    ※編曲:YANAGIMAN、エレカシ
 06. さよならパーティー
    ◯34枚目シングル「俺たちの明日」C/W曲
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
 07. starting over
    編曲:YANAGIMAN、エレカシ
 08. 翳りゆく部屋
    ◯作詞・作曲:荒井由実
    ※編曲:蔦谷好位置、エレカシ
    エレカシ初の女性ヴォーカルカバー曲。ミヤジがソロで出し
    た2枚目のアルバム『ROMANCE』の原点とも言えるかも。
 09. 冬の朝
 10. 俺たちの明日(※ミヤジ41歳)
    
    ◯作詞・作曲:宮本浩次
    ◯2007年(平成19年)11月21日発売、34枚目シングル
    ※編曲:YANAGIMAN、エレカシ
    ◯MV監督:山口保幸
     ハウス食品「ウコンの力」のCMソング
 11. FLYER
    ※編曲:YANAGIMAN、エレカシ

※オリコン週間チャートでは7位を記録し、『sweet memory〜エレカシ青春セレクション〜』以来7年4か月ぶりにTOP10入りを果たし、再ブレイクを果たした。by wiki

※(君が笑えば誰かも笑う そんなもんだぞ「今はここが真ん中さ!」より)」そんな前向きな言葉のパワーと、胸のド真ん中を射抜く宮本浩次の歌声に満ちた新作は、問答無用に涙腺を刺激する。ポップな質感のなかにブルージーな哀愁を漂わせる、エレカシ節炸裂のナンバーはここ数作のなかでも抜群に渋い出来で、ユーミンのカバー“翳りゆく部屋”も秀逸。蔦谷好位置YANAGIMANという新たなプロデューサー陣との仕事が新鮮な風を吹かせた名盤です!  byタワレコレビュー




そうか、私の大っ好きなw「40代ミヤジ」の全方位最強説時代がこの2007年(平成19年)、2008年(平成20年)辺りのシングル・アルバムから始まったとも言えましょう。正にアルバムタイトルに吹いているであろう新しい風の匂いが、14年後の今の私にも感じられるようです。
「俺たちも心機一転でワクワクしていた」とミヤジが語っていた様に、このアルバム『STARTING OVER』は新しくレーベルが変わってプロデューサーも変わって、おそらくマネージメントの方針も変わって、そしてミヤジの元々の性根の明るさが楽曲とMVに衒いなく表現されるようになっていった、そんな時期なのでしょうか。(それまではエレカシ=硬派バンドのイメージだった様な?)

30代後半(37歳頃)に音楽活動そのものに悩み模索し周囲から「宮本浩次はこのアルバムで表現者として死ぬかもしれません」と言われた15枚目のアルバム『扉』(※2005年3月31日発売)から数年後、こんな明るく突き抜け、老若男女を問わず大衆の胸に明るく届く歌を歌っているなんて当時は誰も想像できなかったかもしれません。
★【歴史前夜 〜真夏の夜の夢〜】2021(R3)/06/12(土) 記事参照〜

…いや、それでもミヤジ本人は周囲が何と言おうと「俺はもっともっと先へ行くんだ!」と前へ進むことを、「もっと輝くんだ!」と自分自身の明るい未来を信じていたのだろうと、今はそう思います。そして見事に40歳を超えて新たな扉を自らの意志で押し開いたと言うことなのでしょう。
20代、30代は若さと勢いが武器でもありますが、この18枚目のアルバム『STARTING OVER』はオジサンと呼ばれ正真正銘中年となった40代で、なんのもう一丁!と突き進むこのミヤジの、エレカシと言うバンドの底力に改めて驚嘆する一枚と言えるでしょう。(この時点で何気に18枚ってすごくない!?)




そして、さらにここから10年後の2017年(平成29年)、51歳で発表した50枚目シングル「RESTART/今を歌え」の曲中で(私は何度も生まれ変わり歩き続けてきた)という詩が出てくるのですが、あのありきたりとも思える短い詩に、こんなに骨があり肉があり血潮を感じるのは、そこにミヤジの歩いてきた道程を10年スパンで俯瞰できている今だからこそなのかもしれません。

collage-2017-ek-imawoutae-3.jpg













 でも、そんな事など知らな
 くとも、あの細い体の奥底
 から出てくる、ビリビリと
 震えながら胸に突き刺さる
 あの「嗚呼!」と言う歌声
 には、どんなに詳細に記述
 した言葉でさえ表現しきれ
 ないミヤジの歌に対する思
 いや人生の手触りが、一瞬
 で伝えられている様にも思
 うのです。


★【up&down+right&left その7〜旅に出ようぜ〜】 2022(R4)/01/23(日) 記事参照〜






さて、40代になったばかりの時代に戻ってみましょう。

冒頭の「笑顔の未来へ」のデモテープは、実はプロデューサーにお願いする前にバンドで音は何となくまとまって一応できていたんだけども、蔦谷さんへはあえてギターの弾き語りの原曲を渡したのだそう。この時蔦谷さん30歳、ミヤジ40歳。ミヤジは蔦谷さんの音楽は聴いて知ってはいたけども、まだお互い顔合わせもしていない段階で、もしかしたら(お手並み拝見)だったのかもしれません。そして、すぐにアレンジされ戻ってきた音源を聴いて、ミヤジはものすごく感動したのだと後のラジオで嬉しそうに語っていました。
「俺の歌レターが届いて返ってきた」「これが俺の歌だ」と。

「俺のこの曲に込めた気持ちを分かってもらったと感じた」「実は自分にとってとても大事な曲だったし、その曲がまだ会ってもいない、顔も見ぬ蔦谷さんにちゃんと届いていて、しかもすごい素敵になって返ってきた。
…もうそれだけでさ、一発だよね

この時のミヤジの感動の度合いは、何も知らないでラジオを聴いていたら多分「ふーん」位だったと思うのですが、今の55歳の「YouTuber大作戦!第2弾(前編)」でアルバム『LIFE』で小林武史さんと出会う前にデモテープ(俺の魂)を持ってあちこち回って「誰かに俺のこの気持ちを分かって欲しい!」となんとかしていい音にならないかと彷徨い「まるで流浪の民よ!」と回想していたのを思い出すと、ものすごく、ものすごくグッとくるんです。
★【up&down+right&left その5〜彷徨う魂〜】 2021(R3)/12/12(日) 記事参照〜

「もちろん蔦谷さんはストレートに(普通に)仕事をしていただけだったと思う。でも音楽にものすごくロマンを持ってて、夢も野望も持っててそこですよね」「蔦谷さんはストレートに(真剣に)ロマンを持って仕事をしていると思う。誰に対しても何に対しても。じゃなきゃ俺は好きにはならない」「(信頼する理由は色々あるんだけれど)つまりニュアンスなんだよ、一言で言うとそれが ” 好き ” ってことなんだよ」

蔦谷さんは蔦谷さんで、「この曲(※この時はまだ仮タイトル「涙のテロリスト」)はデモテープを聴いてすぐにアレンジができた。多分5分くらいでできたと思う。宮本さんのやりたいことがすぐイメージできた」とも。賢いんだろうな。
またある時は楽屋で一緒にいる時に蔦谷さんが急にイチローの話をし出し、最初(?)だったミヤジ。「イチローは4割の力で100%の結果を出す」という話なんだけど、要するに「宮本さんはステージで力み過ぎて怒鳴り過ぎなんじゃないか、もう少し力を抜いて歌った方がいいパフォーマンスが出せるんじゃないか」と言う意味の例え話なんだけど、もう、それでミヤジ感激で目から涙ボロボロ流したとか。(と言うか号泣!?意外とミヤジよく泣くよねwと言うかそれ他のスタッフやファンの人も思ってただろうし、他の人からもきっと言われてたハズw)
ミヤジ風に解説すると「好きな人じゃないとそんなこと言われたくないし、言いたくないじゃない?そんな事普通プロの歌手に向かって言いたくないじゃない?それを敢えて俺に苦言じゃないけど言ってくれようとしたのは、仕事として常に俺やバンドのことを全力で真剣に考えてくれているからだと思うしその心意気が嬉しいじゃない? だからそこが好きw」と。

それからはもうどっぷりと「蔦谷さん大好き!」になって、本当に心から信頼しちゃったんでしょうか。自分でも語っていたけれど、カメラマンに対しても一度好きになっちゃうと、とことん心を開いてもう何時間でもどう撮られてもいい!みたいな全幅の信頼を寄せてしまうらしく、この時もラジオの番組で蔦谷さんのことを10回以上「ここが好き」「あそこが好き」「そーゆうところが好き」と好き好き言っちゃってて、終いには「俺ばっかりさっきから10回以上好きって言ってるのに、蔦谷さんから一回も言われてない」とか言って「ちゃんと好きですってw」と無理やり言わしてたのに吹いたわw 出会った当時の初々しい話題から「笑顔の未来へ」をラジオで流して欲しそうなミヤジだったのですが、この時はまた別のアルバムの宣伝だったのでDJのジョー横溝さん(※日本人ライター、ラジオDJ、構成作家、インタビュアー。雑誌「Rolling Stone 日本版」のシニアライター。『DAYS JAPAN』元編集長 by wiki)の方が時々頑張って軌道修正してましたなw


★【ほぼ週刊 宮本浩次ナイト!(1)】※2010年(平成22年)11月15日放送(INTFMより)参照。※出演時ミヤジ44歳。


ラジオは2010年(平成22年)11月17日発売のエレカシ20枚目アルバム『悪魔のささやき~そして、心に火を灯す旅~』のプロモーションの一環での出演でミヤジ44歳の時。知り合って4年目にしてまだまだ愛が止まらないw
ラジオの音源を通して伝わるミヤジの蔦谷さんへの信頼と愛情表現から、この頃の音楽活動における充実っぷりが伺えます。なんてったって「レコーディング中にこの" 好き "って気持ちをなんとか伝えたくて、気まずいくらい褒め過ぎちゃって、逆に白けちゃう時がある」だそうですからw どんだけ好きなんw

ハッ…もしや、私が大好きなミヤジ40代最強説は、この迸る蔦谷愛がミヤジから溢れて反映された時代なのだったりして(=∀=;)



丁度この新しい環境に変わって勢いのある頃、多分「俺たちの明日」が34枚目シングルで発売された2007年(平成19年)11月21日頃に出演したミニミニ音楽番組「D☆JACK」にて(※ミヤジ41歳)
★【ロック人生1/2】D☆JACK「宮本浩次のロック人生」前編

 日本のロックシーンに多大な影響を与えてきた
 孤高のロックバンド、エレファントカシマシ。
 唯一無二のバンドスタイルでロックファンたち
 を熱狂させてきた。そんな宮本浩次の喜びと悲
 しみのロック人生を特製パネルで振り返る。


 「人間てね、褒められるのはイイですね」
中3の春休みにバンドに誘われ「ミヤジ、歌やんないか?」と、ようやく来たかと思ったね。
大の字(白衣):衝撃、あの「ファイティングマン」のイントロ、1行目、ヤバかったね〜
ミヤジ:「そんなね、僕ね、僕もう…もっと褒めてください!」www

大:1993年、『奴隷天国』この時あんまりライブやってくれなかったんですよね。
ミヤジ:…本当に申し訳なかったんですけどね、このアルバムの前に彼女にフラれましてね。お笑い草なんですけどライブどころじゃなくなっちゃったんです。年間3本しかライブやれなかったんですから。事務所の人大変だったと思うな〜。(略)20代半ば、どうでした?模索なんですよ。どういう音にするか、どういうスタイルにするかって模索の時期なんですよ。

1994年、7枚目アルバム『東京の空』を最後にレコード会社契約終了(ミヤジ28歳)
ミヤジ:いつもね、誰かが助けてくれてたんだよね。いっつも何処かで誰かがさ。でもそれを知らなかったんだな、この頃は。でもね、若さって強さですよ!(バンドの)みんなでね、デニーズで待ち合わせて「今日はどこのレコード会社持って行った」「今日はどこ行った」って一生懸命みんな話聞いてくれて、あれが嬉しかったな〜。
※5分間だけの番組なのに、もうなんかとっても濃い(ノ∇≦*)!


★【ロック人生2/2】D☆JACK「宮本浩次のロック人生」後編

 後編は、1994年レコード会社を契約打ち切り
 以降、どん底からの復活劇を振り返る。


大:新しいレコード会社が決まって、1996年に発売シングル「悲しみの果て/四月の風」、これが大ヒットで、楽屋でも芸人が噂してたんですよ。
ミヤジ:あ、そうですか。
大:そうですよ!だからびっくりしたんですよ。
ミヤジ:嬉しいじゃないですか、ホントに…話半分、じゃないよな!?(前のめり)
大:ないですないですwww
ミヤジ:「四月の風」はすごく大事な曲なんだけど、大阪のFM局がたっくさん流してくれてね。…もう、嬉しかった〜(泣)。自分たちのさ、音がさ、ラジオから聞こえてくるんだよ。嬉しかったね。(しみじみ)

大:ここからワッと行きましたよ。そして1997年「今宵の月のように」(TVドラマ「月の輝く夜だから」に依頼され制作した主題歌)が70万枚の大ヒット!
ミヤジ:「俺はドラマなんか見ない」と言ってましたけど、TV付けたら「♪くーだらねえと、つーぶやいて♪」ってさ、「俺は見てないけど」と言ってたけども、ちゃーんとその時間にはTVの前で正座して(見てました)。w

大:これまた衝撃でした。1999年『good morning』シングル「ガストロンジャー」!
ミヤジ:これはね、打ち込みで曲を作ってね。
(この頃から彼のロック人生は苦悩と模索の時代を迎える)
ミヤジ:俺は天才だ!くらいの気持ちでやっちゃってたの。一人で打ち込みでね。(セールス的には落ちたけど)むしろ、音楽的には楽しかったですね。

大:そして2002年、小林武史さんを迎えてプロデュース、12枚目アルバム『LIFE』発売。
ミヤジ:反省したんですよ、分かりにくかったかなーと思って。メロウって言うか、柔らかい方がイイかなって思って。ちょとこう…、委ねたんですよね、小林さんに。
大:『ライフ』から間もなくミニアルバム『DEAD OR ALIVE』リリース。
ミヤジ:イベントで若手バンドと(対バンを)やった時に、全っ然かなわねえなと思っちゃった。
大:それかなり挫折ですよね。
ミヤジ:色んな一流のプロデューサーとやったり、打ち込みやっちゃったり色々やったけど、なんかだったらもう、ちょっと原点に帰ろうや!と。

大:でも、宮本さん達はヒット曲もあって昔からのファンもいらっしゃると思うんですよ。(バンドの活動は)それだけでも出来ていたと思うのに、何故そうやって(変遷を続けていくのか)?やはりもう一度再生しようとか?バンドを…。
ミヤジ:(考え込む)…変な話ね、…金が無くなっちゃったんだよ。(真顔)
大:…(え、え!?wwwwww)
ミヤジ:いや、まだ41だから、そいでまた長寿の国だし日本というのは。イイ国だから。(真顔)
大:(www普段そんな事考えてたんすね)。そして紆余曲折を経まして、満を辞してレコード会社を移籍して「俺たちの明日」!これ、すっごいいい曲ですね。(略)宮本さんにとって、これまでの音楽人生を一言で例えると?

ミヤジ:…シュババババ「ドーンズ!!」

大:…宮本さん、人生は「ドーンズ。」と行った方がいいですね。
ミヤジ:…行ければ、それが一番良い。 ドーンと行け!!

「好きなんです、メンバー4人ともね」


各5分間程のミニ番組なのに、どうしてどうしてすごく端的にエレカシヒストリーを追って下さってます。私、ふんふんと食いついちゃいました。なんてったってミヤジがめっちゃ明るくてはっちゃけてるw そしてめっちゃ張り切ってて小さいスタジオ?からはみ出しそうw
エレカシヒストリーなんて多分5分じゃ足りないだろうに、よくぞここまでシンプルにしかもポイントをまとめて絞ってあって、コメントからも司会の大の字(白衣)さんは何気に初期からのガチエレカシファンなんですね。


<追加>どんどん伸びるw
★【スーパーエディション2 3/42009年(平成21年)4月頃?(※ミヤジ42歳)

 打たれ強く押しも強いw壮口さんを助っ人に、
 ミヤジ本人が5週に渡ってパーソナリティを務
 めるラジオ番組「スーパーエディション」の2
 週目より。(www.jfn.co.jp/se)
 新作アルバム『昇れる太陽』(※)の頃


そして、ここでもミヤジがかけたい曲はやっぱり「笑顔の未来へ」なのですw

※エレカシ19枚目アルバム『昇れる太陽』

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 2009年(平成21年)4月29日発売
 ◯作詞・作曲:宮本浩次(※注あり)

01. Sky is blue
   ※編曲:エレカシ
02. 新しい季節へキミと
   ※編曲:亀田誠治・エレカシ
03. 絆(きづな)
   ※作曲:宮本浩次・YANAGIMAN
    編曲:YANAGIMAN・エレカシ
04. ハナウタ〜遠い昔からの物語〜
   ※編曲:蔦谷好位置・エレカシ
   ◯サントリー焼酎「はなうた」CMソング
05. あの風のように
   ※編曲:蔦谷好位置・エレカシ
06. おかみさん
   ※編曲:亀田誠治・エレカシ
07. It's my life
   ※編曲:生駒龍之介・エレカシ
   ◯シングル「新しい季節へキミと」のカップリング曲。
08. ジョニーの彷徨
   ※編曲:蔦谷好位置・エレカシ
09. ネヴァーエンディングストーリー
   ※編曲:蔦谷好位置・エレカシ
10. to you
   ※作曲:宮本浩次・YANAGIMAN
    編曲:YANAGIMAN・エレカシ
   ◯シングル「絆(きづな)」カップリング曲。
    シングルバージョンとはミックス違い。
11. 桜の花、舞い上がる道を
   ※作曲:宮本浩次・蔦谷好位置、編曲:亀田誠治
    あ、このアルバムに入ってたのねw


壮口:初期の頃はライブで声援を受けて「うるせー!バカ野郎!」とか言っていたそうですが?
ミヤジ:ほんとにねぇ…何て奴なんでしょうか。(自分で言うw)声援はどんどん言ってください。僕だって色んな人やバンドのコンサート行って、グアーッと盛り上がると声援の一つも送りたくなりますもの。もうどんどん送ってください!
壮口:(アニメショーン作家の卵さんからの質問)作品を作る最初の段階は、映像でも音でも絵でもない何となくなイメージが浮かんで来るんですが、宮本さんは音楽を作られる時は、初めは何かイメージがあるのでしょうか?それとも音を鳴らしながら何もないところからスタートして曲を作るのでしょうか?
ミヤジ:あー。歌詞…、例えば歌詞とかは全く同じかもしれません。もわぁ〜っとあるのを、こう言葉で形にしていったりとか。あと曲は、歌によるんですけど例えばギターで音をわざと歪ませてやったりとか、音をそのままナチュラルにサラーっとした音でやるのとでは全然違うし、音で刺激される事もありますし、一緒かもしれません。もわぁ〜っと言うのを形にするのに時間がかかることもありますし、そう言った時に蔦谷さんに手伝ってもらったりとかすると、それがくっきりしてきたりすることもあったりとか、面白いもんで、ええ。
壮口:蔦谷さんが、ポンってくれた言葉でシュッとフォーカスが合う、みたいな?
ミヤジ:そうそう、あとアレンジで割と答えを明快に渡してくれたりとか。ギター1本だったものが色鮮やかになっていって、また歌詞がイメージできたりとか。音楽ですからアニメとは違うかもしれないけど、歌詞なんかは、もわぁ〜っとしたところから言葉で一個一個繋いでいく感じですかね、はい。
(※おお〜+.(*'v`*)+知りたかったミヤジの創作時のイメージについてこんな感じで聞けるとは!ミヤジにとっての歌レターを蔦谷さんがいかに明快な答えでお返事しているのかとか、ここでも語ってますね。そのイメージが具現化する雰囲気の「フォーカスが合う」って表現がとても分かりやすい!さすが壮口さん)

壮口:(栃木県のファンから)武道館ライブお疲れ様でした。今年初のライブであり、8年振りの武道館ライブのセットリストに、パフォーマンスに度肝を抜かれ驚嘆しながら観ておりました。スクリーンが2箇所あってスタンド席からも見えやすかったのでライブをより楽しめました。どなたのアイデアですか?(略)
ミヤジ:今回たくさん(お客さんが)入ってくれたんで、後ろの方まで見えた方がいいんじゃないかって、誰かが言って割とあっさりそうなったんですよね。
壮口:もう8年振り、の武道館ライブだったんですよね。一番最初は3000席の限定ライブをやったとか。
ミヤジ:(笑)15、16年前とかにね。
(※1991年/平成3年1月4日(金)武道館の新春ライブの事ですね。なのでこのラジオから18年前の24歳の若ミヤジくんの時ですよw ちなみに当時のチケット代は税込3,090円…今はもう3倍以上に!収入も3倍以上だと良いのに…)
壮口:武道館て、そんな節目節目で、演る度に新鮮な気持ちになったりとかします?
ミヤジ:今回は、どう言う訳か、本当に物凄い楽しみで、本当に指折り数えて(楽しみながら)練習もしたし、ストリングスの皆んなにも入ってもらったりとか、蔦谷さんとか平間さんみたいな強力なサポートで6人のバンド(体制でやって)、僕らの方じゃなくて、みんな、多分初めての人も今まで来てくれている人にもみんな凄い楽しみで、凄い特殊で、いい意味で良いニュアンスの雰囲気が武道館に流れてて、すごく一体感のあるいいステージになったと思います。ほんとに楽しかったです、はい。
壮口:あれだけの会場でも、特別な一体感が?
ミヤジ:面白かったですねぇ。なんか不思議なエネルギーが充満してるコンサートって言う感じで。

スクリーンショット 2009-0411-ek-budoukan

 ★【エレファントカシマシ「悲しみの果て」
 
 あ!多分これ!私が大っ好きなw40代ミヤジを
 象徴するあの「悲しみの果て」を男前に歌って
 いるステージがこの時のだ。そっか〜。。。


※全26曲、2時間半を超えるステージ。(※公演時ミヤジ42歳)

あの男前の「悲しみの果て」しか知らないけど、この時のコンサートが ” 不思議なエネルギーが充満してた ” ってのが何となくも伝わります。今のソロミヤジの縦横無尽のコンサート(2021年12月:大阪城ホール)でその感じを味わってしまったので、あんな感じなのかなぁ、と想像ですが。

★【エレファントカシマシ / プロローグ オブ 桜の花舞い上がる武道館

 公演の27日前の3月15日。武道館での演目を
 蔦谷さんやストリングスチームの金原さんと打
 ち合わせ。4月1日、曲の進行で迷うストリン
 グスチームにミヤジの分かりにくい説明をさり
 げなく通訳してフォローする蔦谷さんw


【エレカシ8年振りの日本武道館ライブを追った秘蔵ドキュメントをYouTubeで限定公開!! 】
こちらは本番27日前の選曲ミーティングから、10日前と3日前のリハーサルスタジオの模様、本番前日にステージが組み上がって行く様子、さらに当日、ボーカルの宮本浩次がなんと地下鉄で会場入りし、リハーサルを終え、午後6時10分、ついにライブがスタートするまでを追った、DVDには収録されないドキュメント映像。
by navicon 2009年09月07日16時31分記事



この頃は、蔦谷さん他新しいプロデューサー陣と出会ったことでミヤジの音楽に新しい息吹や明るい彩りを添えた時代なのでしょうね。おしゃべりなのに口下手!?なミヤジには、一歩引いた立ち位置のよき理解者であるパートナー(蔦谷さん然り、小林さん然り)がいると、音楽的により自由になれるって事なのかもなぁ。『YouTuber大作戦!』(第2弾)でも「やっぱりパートナーって大事ね」と自分でも語ってましたしね。




この頃のミヤジからは蔦谷愛が溢れていますが、また蔦谷さんにとっても、この15年以上前に始まって経験したエレカシへのプロデュース業は今尚思い出深いものでもあった様です。
★【音楽プロデューサー蔦谷好位置、エレカシ宮本浩次との出会いがターニングポイント※2021(R3)/10/30(土) 「Tokyo FM+」21:18配信記事より

(略)
プロデュース業としてはやっぱりエレファントカシマシ(がターニングポイント)だと思いますね。宮本さんが自分を認めてくれたのがすごく大きいというか。当時、僕が30歳で、宮本さんが40歳だったんですけど、10歳年下のやつが生意気にも「ここはこうしたほうがいい」みたいなことでも、1回ちゃんと受け入れてやってくれるんですよ。そういう姿勢をすごく学びました。
今、自分が当時の宮本さんよりも年上になってみて、若い人と(レコーディング作業を)やることが多いので、若い人がやっていることをまずは受け入れて、理解をして、かつ何がしたいのかをキャッチするように丁寧に関わるようにしています。









しかし、出会いがあり別れがあるのが人生。そんな大好きな蔦谷さんとも、音楽を続けていく上ではいずれ何らかの形で区切りをつける時がきます。

★【笑顔の未来へ / エレカシ / 宮本浩次】新春ライブ2015にて ※ミヤジ48歳

 武道館新春ライブ
 ※初日:1月3日(rock'n on:2015(H27)/1/5 12:24配信レポ参照)
 ※2日目:1月4日
 (映像化されたのはこちら)



例の耳の病気から2013年(平成25年、ミヤジ47歳)に見事復活を遂げ、2014年(平成26年1月11日)のあの多幸感溢れるたまアリのエレカシ25周年ライブも終え、4年振りとなる日本武道館での2015年(平成27年)エレカシ新春ライブ2DAYSの2日目にて。
そこには文字通り涙のテロリストとなったミヤジがおりました・゚・(つД`)・゚・

「すごく大事な、お馴染みの、でも大切な曲、聴いてくれ!」

=2日目の演目より=
   <第1部>
 01.  夢のちまた
 02.  DEAD OR ALIVE
 03.  ココロのままに
 04.  今はここが真ん中さ!
 05.  悲しみの果て
 06.  デーデ
 07.  おかみさん
 08.  風に吹かれて
 09.  精神暗黒街
 10.  ジョニーの彷徨
 11.  真冬のロマンチック
 12.  リッスントゥザミュージック
 13.  昔の侍
 14.  普通の日々
 15.  明日への記憶
 16.  あなたへ
 17.  赤い薔薇
 18.  今宵の月のように
 19.  I don't know たゆまずに
 20.  赤き空よ!
 21.  ズレてる方がいい
 22.  俺たちの明日

   <第2部>
 23.  大地のシンフォニー
 24.  Destiny
 25.  桜の花、舞い上がる道を
 26.  なからん(新曲 / タイトル仮)
 27.  雨の日も(新曲 / タイトル仮)
 28.  明日を行け
 29.  新しい季節へキミと
 30.  FLYER
 31.  ガストロンジャー
 32.  ファイティングマン

  <アンコール>
 33.  平成理想主義
 34.  笑顔の未来へ
 35.  ハナウタ~遠い昔からの物語~
 36.  涙
  <ダブルアンコール>
 37.  待つ男

※エレカシのライブへの意気込みとそれまでの活動実績がこの曲数に端的に表れていますな。確か今年2022年(令和4年)1月12日(水)の新春ライブがアンコール含め28曲だったかと。でもそれもコロナ禍での制約された範囲でできた精一杯だったかもしれません。



ずっとね、なんでこの時ミヤジはこんなに泣いているんだろう?って思ってたのね。歌の世界に入り込んで、昔付き合ってた人の事や悲しい別れの事でも思い出しちゃったのかなぁとか、4年振りと言われる武道館での新春ライブで感極まっちゃってたからなのかなあとか。(あの「2009年桜の花舞い上がる武道館」からは6年後か…)でも、この日は2DAYSの2日目のアンコールなのね。



collage20150104-ek-shinsyun-1.jpg




だって、もうこの曲を歌う前から泣きそうで泣くまいとして音程外しまくってるのね。もしかしてまた耳が聞こえなくなっちゃった!?と心配したファンもいたんじゃないだろうか。でも、この時は上を向いても声を張り上げてもどうにも涙が止まらなくてとうとうタオルで顔をゴシゴシ、終いにはもう涙ポロポロ流しながら「笑顔の未来へ」を歌う正真正銘の「手に負えない涙のテロリスト」がそこにいたわけです。



collage20150104-ek-shinsyun-2.jpg




この2015年(平成27年)の新春ライブの時、ミヤジはもう48歳。…男がステージで無様に泣いてそれでいてこんな可愛い48歳います!?この年の6月には五十路手前の49歳になろうかと言うオジサンですよ!?(でも個人的に40代のミヤジは全方位で最強と思っているから(=∀=)ホホホ可愛いって言ったらおかしいかもだけど、でもこの上擦った声で一生懸命歌うミヤジを見て「いい歳して男がみっともない」とかロックバンドのくせに「情けない奴だ」とはどうしても思えなかったんですよね、私は。。。(つい謎な母親目線になってしまうw)
最後には意地と力で歌も軌道修正してちゃんと歌い上げたけど、ステージでこんな涙脆いミヤジは珍しいんじゃないのかな?あのオラついた「奴隷天国」や「ガストロンジャー」を歌っている男が「愛しい人、俺は結構都合よくできている♪どんな悲しみからもすぐに立ち上がるのさ」なんて歌いながらポロポロと涙を流してて、この振り幅はもう「RESTART」の二面性を遥かに凌駕しているのです。なんてったってステージの上でのリアルな姿なんですから。

あんなに明るくて軽快な曲で、大好きで大事な歌で、ミヤジがどうして泣いて泣いて涙が出て仕方なかったのか。

それは、バンドとプロデューサーとして音楽を制作するという部分で、大好きな蔦谷さんと近く決別することになると感じていたからなのではなかろうか。きっかけや理由は私には分からない。40歳で出会いこの新春ライブの48歳までの8年の間で、ミヤジは結構な時間を蔦谷さんと音楽について語ってきただろうと思う。去来するいくつもの思いがこの曲で溢れたのかも知れない。
そして2015年新春ライブから11ヶ月もたったある日、そのプロデューサーとして信頼し大好きで仕方ない蔦谷さんにミヤジは自分から切り出すのだ。「10年近く一緒にやってきて、僕らも蔦谷さんに頼り過ぎちゃってるところがある」と。
そうして、2015年のMr.Childrenの対バンツアーの大阪のライブ(※2015年11月16日(月)大阪府のZepp Nambaにて開催されたMr.Childrenとエレファントカシマシの対バンライブ)を最後に蔦谷さんはエレカシから離れ、ミヤジは49歳でまた新たな道を模索すべく「RESTART」したのだと思われます。

その時のことを蔦谷さんはお互い次のステップに行くために必要だったと思うと語っている。

「人と人との関係性を分かった上で(宮本さんから離れようと)切り出してくれたんだと思います。もちろん絶対に僕を傷つけるような事は言わないし、本当に優しい人だなと思いました」

2021(R3)年10月13日発売『別冊カドカワ』- 総力特集宮本浩次 新作『縦横無尽』- より(蔦谷さん談)


いや、それミヤジが優しい人だからじゃなく、単に蔦谷さんが好きで好きで仕方ないからだと思いますw(だってバンドのメンバーにはめっちゃ当たり強いじゃないのwいやバンドのメンバーももちろん大切な仲間で大好きなんだとは思うけど)




そしてまだ、エレカシときっぱり離れることを知らないであろう蔦谷さんと制作したこの曲。あの涙の2015年新春ライブから9ヶ月後に発売されたエレカシ47枚目のシングルなんだけど、この頃にはもう、ミヤジは蔦谷さんとの決別を自分から切り出すことを決めていたんではなかろうか。いや、お互いどこかで区切りをつけなければならないとは分かっていて、でもやはりまだ迷っていた時期なのかも。

★【エレファントカシマシ「愛すべき今日」】※発売時ミヤジ49歳

エレファントカシマシ、47枚目シングル「愛すべき今日」
2015年(平成27年)9月23日 発売
◯作詞・作曲:宮本浩次
◯編曲:宮本浩次、蔦谷好位置
※MV監督:須永秀明



   <現れろ、新たなる闘いの神よ>
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 ♪
  悲しそうな顔をしないでくれよ
  悩む俺の心を映し出す鏡の様だね

  夢見し愛おしき人よ 
  静かに暮れてゆくこの空にもう一度
  愛の歌、歌おう


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  闘いの神よ
  人は目覚めてゆく
  愛すべき今日の日に
  ヤワな俺が顔を出す  ♪




このシングル発売の2ヶ月後、ミスチルとの対バンライブ(大阪)のリハーサルで二人きりで楽屋にいる時に、いよいよミヤジはお互い離れる時なのだと蔦谷さんに伝えるわけです。
でも、蔦谷さんも多分薄々その時なんだろうと気が付いていたんじゃないかしら。なんてったって9年一緒にやってきたのです。賢い蔦谷さんは、言葉だけじゃない雰囲気やニュアンスからもミヤジが何を求めているのか感じたりしていたかもしれず。この時ミヤジ49歳、蔦谷さん10歳年下の39歳。気心が知れた仲間として一緒にやっていくのは、ずっとそこにいたい位ぬくぬくと居心地のいい場所でもあるけれど、そこで現状に満足していちゃお互いにダメだろうと考えたのかも知れません。(※妄想想像です)お伝えし忘れていましたが、これは「ミヤジの沼渡り、その19」です。最初から最後まで個人的解釈と無駄に長い愛をry

エレカシ以外にも手がける歌手やバンドがいるプロデューサー業に於いて「僕にとってはエレカシだけが特別じゃない。他のみんなも特別で大事で、そうでなければならない」とラジオでクールに語っていた蔦谷さんですが、それでもこの決別から4年後の2019年(令和元年)の野音で久しぶりにエレカシのステージに呼ばれた時は「めちゃくちゃ嬉しかった」そうです。

でしょうねw(蔦谷さんは絶対ツンデレ系ですねw)

逆にミヤジは…好きになったらとことん好きで「好き好き好き好き好き(ry」うっとおしいくらい愛情表現するタイプかもw
でも一旦別れたらこっちが拍子抜けするくらいあっさり引き下がって、もう付き合っていた時の宝物のような時間はその時から「美しい思い出」になってて、過去の出来事として思い出箱に仕舞ってしまうんだったりして。第3弾にしてソロ集大成のアルバム『縦横無尽』に収録されている5曲目の「十六夜の月」で、ヤバいくらいに恋焦がれたその美しい思い出を(意外なくらい静かに そして乾いたまま 揺れる波を見ていた)と綴っている様に。ひとり、美しすぎる月夜の海を眺めているそんなミヤジの横顔を想像してしまい、なんかちょっと寂しい…(妄想はタダですw)曲は「十六夜」と書いて「いざよい」と読みます。
★【宮本浩次のYouTuber大作戦!第一弾 Archive -前篇-】2021年(R3)10月11日にライブ配信された第一弾より。「十六夜の月」♪は0:10;16頃から(第一弾※ミヤジ55歳)

=「十六夜」とは =
①十六夜の月のこと。(季語は秋)、②陰暦16日。また、その夜。
③動詞としての「いざよ・う(いざよふ)」【猶=予う】 … 進もうとしてもなかなか進めない。躊躇する。ためらうの意。十五夜の月と共に美しく、十六夜の月もその年により満月の時がある。十六夜は旧暦の8月16日で十五夜の次の夜の月のため、出るのをためらっている様に例え十六夜を「いざよいの月」と呼ぶようになったとか。
★【十六夜はいつ?読み方や由来、旧暦との関連とは】Beyond編集部2018年(平成30年)9/26記事参照






ほいでね(ミヤジの口癖w 好きな人の口癖はつい真似たくなるw なりますよね?ね?)、この「愛すべき今日」がね、私はすごくすごく好きなのよ〜。



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出だしから透明感や揺らぎや風や空の軽やかさを感じる、でも途中からバンドサウンドがミヤジの歌声をしっかり支えていて地に足が着いている様で、バランスと言うかこの音の安定感がね、これまた色んな意味で良くてさ。

なんと言ってもね、この歌の肝はね、ドラムです。何がイイってドラム!ギターもベースも良いけれど、特にドラムがすごく印象的な一曲でもあるのです。ギターとベースが地面を低くうねり駆け抜けミヤジの歌声が空高く響き渡る中、ドラムの音がバシバシと胸に飛び込んできて、私の体の内側からもリズムを叩き出してくれるかの様な音なのです。決して派手にスピードやテクニックを披露する様なドラムではないですが、渋くそれでいて力強い生命力を感じさせるこのドラムがめっちゃ好きい….゚+..(((o(≧ω≦)o))*:◦♪堪らん…
エレカシに限らず今まで聴いた曲・歌でこんなに「このドラムが好き!」と思ったのってないんじゃないかしら。それくらい印象的で好きな音なのさ。



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ステージでは尖った危うさもエレカシの持ち味なのかもしれないけど、この隙のない「バンドとしてのエレファントカシマシ」を体現しているこのMVの雰囲気も含め、もうすっごく好きなの!(*´∀`人 ♪また増えましたw







…そうか、蔦谷さんと作った最後のシングル曲だったのか。
それを知ると、この曲の風景がまた違った角度で立ち上がってくるのです。

これはエレカシと言うバンドの歌であると言う一面、その裏にはプロデューサーでありミヤジの音楽の良き理解者でもある蔦谷さんへの愛の歌であり、同時に別れの歌でもあるのだ、と。だけども、音楽と言う場所ではこれからも一緒なんだと、これからもお互いに「いい歌を、音楽を作って行こうぜ!」と言うエールでもあって。



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石くん、君はどうしてそう七変化なのか…
はげスキンヘッドだったりロン毛だったり)でもこのスタイルはイイよね!





応援歌と言う意味では、この曲のプロデュースは蔦谷さんからエレカシへの最高の贈り物とも言えるかも知れません。曲だけでなくドラムがとんでもなく素晴らしい全体の音のバランスも含め、この時のミヤジの歌い方は、蔦谷さんがミヤジにイチローの例え話で伝えた「4割の力で、100%のパフォーマンスを見せるべきではないか」の苦言を素直に聞き入れた結果の様にも思うのです。

これは、いつもの何気ない日常を映し慈しみつつ、また生きていく上で自分を奮い立たせるための闘いの歌でもあり、そして雨の日も風の日も次なる高みを目指し、悩みながらも五十路を目前にしてなお新たな「笑顔の未来へ」と歩き出すことを決めた、不器用で涙脆い男の決意の歌なのだ。




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