明治23年(1890年)の8月に中学校の教師として来松したヘルン先生(40歳)は、なんと4ヶ月後の12月には武家娘の小泉セツ(22歳?)と結婚した。
というか、その時代によくその小泉家が外国人との結婚を許したなぁとちょっとびっくり。
=小泉八雲:ラフカディオ・ハーン=略年譜
1850年(嘉永3年) :(6月27日)
ギリシアのイオニア諸島レフカダ島リュカディアの町で、アイルランド人の父とギリシア人の母の間にパトリック・ラフカディオ・ハーン(Patrick Lafcadio Hearn)が生まれる。
1852年(嘉永5年) :2歳
父の生家ダブリンへ母子共に移り住む。
1857年(安政4年) :7歳
父母が離婚する。
1866年(慶応2年) :16歳
ジャイアント・スライドという遊戯中に左眼を強打し失明。
父がインド熱にかかりスエズで死亡。
1867年(慶応3年) :17歳
大叔母が破産したため学校(英国北東部ダラム市郊外のカトリック系学校ウショー・カレッジ)を中退。
1869年(明治2年) :19歳
リバプールから単身移民船に乗りニューヨークへ渡り、職を転々とする。
1874年(明治7年) :24歳
新聞『シンシナティ・インクワイヤラー』紙の記者になる。
1875年(明治8年) :25歳
黒人混血の女性マルシア・フォリーとの同棲生活が原因で会社を解雇される。
1877年(明治10年) :27歳
シンシナティを去りニューオリンズへ。
1882年(明治14年) :31歳
『タイムズ・デモクラット』紙の文芸部長に迎えられる。
1884年(明治17年) :34歳
処女再話集『異聞学遣聞』出版。
1887年(明治20年) :37歳
第2再話集『中国怪異集』出版。
1890年(明治23年) :40歳
4月、通信記者としてニューヨークからバンクーバー経由で横浜到着。
7月、松江尋常中学校、師範学校の英語教師に任命される。
8月、松江に到着。島根県尋常中学校・師範学校(現島根大学)の英語教師に従事する。
12月、教頭西田千太郎の媒酌で小泉セツ(22歳?)と結婚。
1891年(明治24年) :41歳
11月、熊本の第五高等中学校へ転任のため小泉セツと共に松江を去る。
1892年(明治25年) :42歳
アトランティック・マンスリーに『見知らぬ日本の面影』を連載。
1893年(明治26年) :43歳
11月、長男一雄誕生。
1894年(明治27年) :44歳
日本に関する最初の著書『Glimpses of Unfamiliar Japan』(*)全2巻を出版。
*「知られざる日本の面影」や「知られぬ日本の面影」「日本瞥見記」など和訳は色々ある。
11月、神戸クロニクル社に転職のため熊本から神戸へ転居。
1895年(明治28年) :45歳
2月、眼病のためクロニクル社を退社。
9月、『東の国から』出版。
1896年(明治29年) :46歳
2月、帰化が認められ「小泉八雲」と改名する。(*正式な結婚はこの年のようだ)
3月、『心』出版。
8月、神戸から夫人と上京する。
9月、東京帝国大学の英文科講師となる。
1897年(明治30年) :47歳
2月、次男巌誕生。
3月、松江時代以来の友人西田千太郎死去。
9月、『仏の畑の落穂』出版。
1898年(明治31年) :48歳
12月、『異国情緒と回顧』出版。
1899年(明治32年) :49歳
9月『霊の日本』出版。
1900年(明治33年) :50歳
12月、『影』出版。
12月、三男清誕生。
1901年(明治34年) :51歳
10月、『日本雑録』出版。
1902年(明治35年) :52歳
3月、『日本お伽噺』出版。
10月、『骨董』出版。
1903年(明治36年) :53歳
1月、東京帝国大学文科学長井上哲次郎の名で解雇通知を受け、突然の仕打ちにハーンは激怒する。学生たちによる留任運動が起きる。
9月、長女寿々子誕生。
1904年(明治37年) :54歳 (*日露戦争始まる)
3月、早稲田大学文学部に出講。
4月、『怪談』出版。
9月26日、狭心症のため死去。
1924年(大正13年) :
富山大学、ラフカディオ・ハーンの旧蔵書2,435冊から成る「ヘルン文庫」を開設。
1932年(昭和7年)
2月18日、小泉セツ夫人死去。
角川ソフィア文庫『新編 日本の面影』参照
小泉八雲という名はセツ夫人がヘルン先生の好きな『古事記』の
「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
のあの歌から付けたのだが、いかにも日本マニアな外国人らしい、しかししっくりとくるよい名を選んだものだと思う。
Glimpses of Unfamiliar Japan
Lafcadio Hearn (2005/12/31)
Cosimo
*詳細を見る
=目次=
PUBLISHER'S FOREWORD (出版社前書き)
PREFACE (序文)
1. MY FIRST DAY IN THE ORIENT (東洋の第1日目)
2. THE WRITING OF KOBODAISHI (弘法大師の書)
3. JIZO (地蔵)
4. A PILGRIMAGE TO ENOSHIMA (江ノ島への巡礼)
5. AT THE MARKET OF THE DEAD (死者の市場で)
6. BON-ODORI (盆踊り)
7. THE CHIEF CITY OF THE PROVINCE OF THE GODS (神々の国の首都)
8. KITZUKI: THE MOST ANCIENT SHRINE IN JAPAN (杵築:日本で最古の神社)
9. IN THE CAVE OF THE CHILDREN'S GHOSTS (子ども達の死霊の岩屋で)
10. AT MIONOSEKI (美保の関にて)
11. NOTES ON KITZUKI (杵築の覚書)
12. AT HINOMISAKI (日御碕にて)
13. SHINJU (心中)
14. YAEGAKI-JINJA (八重垣神社)
15. KITSUNE (狐)
16. IN A JAPANESE GARDEN (日本の庭にて)
17. THE HOUSEHOLD SHRINE (家庭内の神社)
18. OF WOMEN'S HAIR (女性の髪)
19. FROM THE DIARY OF AN ENGLISH TEACHER (ある英語教師の日記より)
20. TWO STRANGE FESTIVALS (ふたつの奇妙なお祭り)
21. BY THE JAPANESE SEA (日本海に沿って)
22. OF A DANCING-GIRL (舞妓)*巫女?
23. FROM HOKI TO OKI (伯耆から隠岐へ)
24. OF SOULS (魂)
25. OF GHOSTS AND GOBLINS (幽霊と悪魔)
26. THE JAPANESE SMILE (日本人の微笑み)
27. SAYONARA! (さよなら!)
*原典は明治27年(1894年)に発表
日本人もびっくりの日本オタクっぷりは、彼の有名な著書『知られざる日本の面影』について、来日当初の日本贔屓からくる興奮のあまりからか、絶賛される反面「抽象的で大袈裟で派手な文体だ」と酷評されることもあるほどだったという。
後にハーン本人も書いた数年後に、自らの作品の一部を読んでは「その通りだし…」と嘲笑し謙虚な気持ちになったとも述べている。
![]() | 新編 日本の面影 ラフカディオ・ハーン/訳:池田雅之 (2000/09) 角川書店 *詳細を見る |
しかし、緑の船はハーンの文章はやはり素晴らしいと思う。
私たち自身が気がつかなかった日本というものの側面を、彼本人の興奮が伝わるほどのはしゃぎっぷりで心のままに綴っていることに対する好ましさは、よくある「こう言ったらあなたは嬉しいでしょ?」とか「こう言ったらあなた方が喜ぶだろうから誉めているんですよ」といったお世辞やおべんちゃらからくる言葉ではないだろうと、素直に感じ受け取れるからだ。
そのため、日本に住む外国人は、もっと大きな喜びと苦悩ともっと大きな理解力を伴なった西洋社会の、激しくも並外れた不平等感を、懐かしく思わずにはいられない。
だが、それもほんの一時のことにすぎない。そうした知的な損失というのも、実際には、日本の社会的な魅力によって、十分に埋め合わせされているからだ。
日本人をすこしでも理解した人であれば、それでもやはり、日本人は世界で一番、一緒に暮らしやすい国民だという思いが、胸に長く残っているのである。
『新編 日本の面影』…「日本人の微笑」第4章より
うれしいじゃないか。

<追記>
★【八雲会HP】
小泉八雲を知る、読む、楽しむ!
ちなみに「Glimpses of Unfamiliar 〇〇」の訳は…
「馴染みの薄いものを垣間見ること」とある。
Glimpses /ɡlɪ́mpsɪz/
・glimpseの三人称単数現在。glimpseの複数形。
一見, ひと目, ちらりと見えること
of /(弱形) (ə)v/
・…の, の所有する, …に属する
Unfamiliar /`ʌnfəmíljɚ/
・よく知らない, 見慣れない, 珍しい
そのまま訳すと
『見慣れない日本のチラ見え』(゚д゚)チラ
『珍しい日本のひとかけら』
↓
『見知らぬ日本の面影』
『知られぬ日本の面影』→著書名では、ぱっと見こちらの方が検索では多い。
『知られざる日本の面影』→しかし私としてはこちらの方が響きが好き!
そして新編ではさっくりと『日本の面影』にw
「チラ見え」を「面影」と訳したのは確かに雰囲気からも音からもいい感じ。
うーん、言葉の印象って大事ね(ノ∇≦*)!