航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
歴史前夜 〜真夏の夜の夢〜



令和3年があっと言う間にもう半年。6月21日(月)はもう夏至ですってよ。

★【夏至とは※以下コトバンクより一部抜粋

二十四節気の一つ。北半球では一年の中で一番日照時間の長い日で、6月21日前後になる。夏至を過ぎると、太陽に代表される「陽」の力が少しずつ弱まり、陰の力が増していく。

・わが国では夏至の行事としては取り立てて記するものはないが、夏至より11日目にあたる半夏生(はんげしょう)または半夏(はんげ)という日は農作のうえで大事な日とされている。田植はこの日までに終わらないと「半夏半作」といって収穫が半減すると言われている。

・ヨーロッパでも夏至の行事は広く行われていた。イギリスでは夏至祭といっても正確な夏至の日でなく、その3日後の聖ヨハネの誕生日に行われている。国々によって行事には異同があるが、共通していることは火祭の行われることである。夏至の祝い火の周りを人々は踊り歩き、火を跳び越えたりする。酒を飲んで大騒ぎするのである。火は多く小高い所で焚くので、風上から吹き付ける煙が畑の作物の上を吹くと豊作になると信じられている。

・ヨーロッパではこの日夏至の火を焚き、燃える輪をころがして衰え始める太陽の力を引き戻そうとし、綱引や模擬戦をして夏と冬、善と悪の闘争を象徴する。(夏至の火祭は、これを過ぎると日がだんだんと短くなるので、これを防ぐために火を焚いて太陽の活力の衰えるのを防止するにあったといわれている。)

・古代ローマでは平民や奴隷の歓楽の祭日であり、英国や北欧では恋の祝祭日であった。

・また魔女や妖精などの超自然的存在が地上に姿を現し、水や草花が異常な呪力をもつ日とされ、水浴や舟遊びなども行われた。キリスト教会はこの民俗的な水の儀礼を洗礼者ヨハネに結びつけ、夏至を聖ヨハネ祭(6月24日)、前夜祭(23日)として祝う。



★【F.メンデルスゾーン/劇付随音楽「真夏の夜の夢」作品61


洗足学園音楽大学 Senzoku Gakuen College of Music

公演名:Summer Dream Concert~山田和樹・アニメソングコース特別公演~

日時:2017年8月12日(土)
会場:洗足学園 前田ホール

指揮:山田和樹
ピアノ:本学オーディションにて選抜された学生
独唱:佐藤香菜(声楽)井野村麻衣(声楽)
ナレーション/合唱:本学声優アニメソングコース学生
演奏:洗足学園ニューフィルハーモニック管弦楽団

■Program■
 
J.ブラームス/ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調 作品83
Johannes Brahms // Piano Concerto No.2 in B-Flat Major, Op.83

F.メンデルスゾーン/劇付随音楽「真夏の夜の夢」作品61
Felix Mendelssohn // A Midsummer Night's Dream, Op.61

シェイクスピアの「真夏の夜の夢」と聞くと、『ガラスの仮面』(※第21〜23巻参照)を思い出すのは私だけではないはずw
音声だけで聞いていると演奏の合間の朗読劇が、生命力溢れる緑旺盛な公園の野外ステージでの劇団つきかげと一角獣の面々による芝居として生き生きと浮かび上がってきます。悪戯好きな妖精パックはもちろん北島マヤです。私はこの朗読劇ではタイテーニアが推しでねw『ガラスの仮面』では沢渡美奈演じる女王様は "タイターニア" でしたがイメージぴったり!


<6月の花の影には妖精たちが隠れている>
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シェイクスピアの”真夏”って夏至(6月)のことだったと今知った…



あれ!?そう言えば『ガラスの仮面』の最新巻てまだ第49巻(※2012年:平成24年10月5日に発売なので既に9年前…えぇ!?)なのかい!?いつになったら50巻が出るのか。。。
お願い、美内先生Σ(´Д`*)もはやライフワークとなった『ガラスの仮面』を完結させるまでは何卒お身体ご自愛ください。まだ予断を許さない状況のコロナ禍ですが、是非とも健やかにお元気でお過ごしいただきたい!(切望)

※美内すずえ:1951年(昭和26年)2月20日誕生日の今年で御年70歳!『花とゆめ』にて『ガラスの仮面』を連載開始したのが1976年( 昭和51年)の25歳の時だから…かれこれ45年に渡っておりますが、うち休載中の期間も10年以上のような。。。
古希のお祝いに原稿の催促は野暮かしらw しかしここはミヤジを見習って、引き籠り推奨の今こそバリバリと原稿を描き進めていただきたい…(;´д`)<どうか🍊だけはご勘弁を










そして6月はミヤジの誕生日もあり、本日12日はいよいよゾロ目の55歳なのです。まだコロナ禍の予断を許さない状況下ではありますが、これからもミヤジが健康で元気に歌っていられることを祈り、心からお祝いさせてください。(多分30代の頃だと思うんだけど、物凄い熱量で答えてた何かのインタビューの後ふと「俺、50まで生きられるんですかね…?」と自分で心配してたからw)

何はともあれお誕生日おめでとう〜♫ミヤジ!🎂happy birthday♬(o‘∀‘o)*:◦♪
このご時世どうか喉を大事にね!それ以前にこれからは健康第一ですよw



  <生命力あふれる若葉が好きだと言ったから、今日は若葉記念日>
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    ミヤジが若葉が好きなのは、もしかして誕生日の風景だからなのかも。





実は忘れた頃に再びの<ミヤジの沼渡り、その5>誕生日ver.なのです(-∀-)
以下、個人的解釈と無駄に長い愛をry




そう、70歳の古希にして創作の現役でいらっしゃる先生もいるのです。(何十年も前から「ラストは決めている」と言っておきながら延々と引っ張っていますが…)
男は四十過ぎからが本番です、とは言え終わりのない旅に出ている様な明確な「ラスト」などない音楽活動において、30代後半は色々と悩み迷走しながら模索し「これでいいのか!?」「このままでいいのか?」「いや、もっと行けるはずだ!」と自問自答を繰り返す季節でもありましょう。
そんな苦い季節を乗り越えてこそ、大人の重い扉は開くのです。





「自信を全て失っても誰かがお前を待っている。分かるかい?」

★【ファイティングマン マイク投げ(※ライブではミヤジ35歳頃?)

「ファイティングマン」
 作詞作曲:宮本浩次(Vo.)
 演奏:石くん:石森(G.)
    トミ:富永(Dr.)
    セイちゃん:高緑(Ba.)


2002年(平成14年)エレカシライブハウスツアーにて(どこの会場か不明)

エレカシがデビューして初のアルバム『THE ELEPHANT KASHIMASHI』(※1988年:昭和63年3月21日発売:ミヤジ21歳)に収録されているど初発目の曲がこの「ファイティングマン」。また、2017年(平成29年)3月21日(ミヤジ50歳)には30周年の節目としてオールタイムベストアルバムを発売していますが、そのタイトルが『THE FIGHTING MAN』なので、バンドにとってもファンにとってもとても大事な曲なんだろうなと思われます。

「あ・な・た・の・力・が・必要です!
 ドラムはあなたしかいない!!歌う人僕しかいない!」

参考→※デビュー曲「ファイティングマン」誕生秘話(★【エレファントカシマシ:デビュー30周年記念スペシャルサイト】にてミヤジ本人の解説がちょっとだけ聞けます)

『THE ELEPHANT KASHIMASHI』:1st 収録曲
 1. ファイティングマン
 2. デーデ
 3. 星の砂
 4. 浮き草
 5. てって
 6. 習わぬ経を読む男
 7. BLUEDAYS
 8. ゴクロウサン
 9. 夢の中で
 10. やさしさ
 11. 花男


この2002年(平成14年)の公演時、ミヤジは35歳か36歳なので、デビュー以降かれこれ15年ほどずっと歌ってきている曲での出来事でしょうか。ステージでの音と構成が思い通りでなく許せなかったのか分かりませんが。
2017年(平成29年)の30周年記念まで丁度半分。まだまだ道半ばの頃ですが、この時はそんな未来など分かるはずもなく。

しかし個人的にはめっちゃ懐かしい感じw 別バンドだけど、私にはよく分からない様な理由でライブ中にボーカルが何かにキレてステージを去ったり、メンバーがギターをめっちゃくちゃにしてしまったりとかライブハウスではあったあった。<遠い目…(´-`) 困惑した感情のまま置き去りにされた時の寂しさったらないですが、今となってはまぁそれも良い思い出。
この時のミヤジはちゃんとステージ上で演奏を”回収”してましたね。けど、あの場で私がマネージャーだったりライブの主催者だったりしたら、めっちゃ胃が痛くなってたに違いないw

でも、この時のミヤジはブチ切れているようでどこか冷めた感じもしますなぁ。






” 二十代とは違うロックを ”

バンドとして15年以上活動を続けていた上での葛藤の裏で、そんなものを模索していたであろう三十路もいよいよ後半に差し掛かった頃のミヤジドキュメンタリーがあったのです。




★【扉の向こう 5/7※この時は2004年(平成16年)に入ってからの撮影?

 「歴史」(※まだ仮歌)
 ドラムのトミくん(富永)やギターの
 石くん(石森)の演奏やセッティング
 に喧嘩腰なツッコミを入れながらの緊
 張感漂う制作現場。


この20テイク以上も悩んでいる「歴史」と言う曲は、自身の37年間とデビューしてからのエレカシメンバーとの16年間という時間の意味が込められているらしいけど、この時はまだ明確な歌詞になっていないとか。
※この映像には14年前の2007年(平成19年)9月から今現在に至るまでYouTubeで様々なコメントが続いていて、その間のファンの意見の推移がまた面白い。生まれた子供が中学生になる間の、まんま世間一般の価値観の片鱗を見るようで実に興味深い。

「セッティング変えた?なんで変えんだよ!歪んでんだよ、音が!」
この「すっとこどっこいが💢」って本気で言ってる人、初めて見たw

ミヤジはただ自分のパートを歌うだけじゃなくて1曲1曲の総合プロデューサー的な役割も担っていた?昔からのファンにはお馴染みかもしれないけれど、最近曲をまともに聴き始めた私には、このドキュメンタリーはそう言った意味でなんだか新鮮。でも作詞も作曲もミヤジなので当たり前っちゃ当たり前なのかな。この時はまだ歌詞が固まっていないのか、メロディーに音の雰囲気だけ乗せている様な歌い方。まだはっきりとした歌詞になっていないこの感じの歌声がまた好きだったりするのよ(〃▽〃)。。困ったもんだw

「中途半端なことは一切しないでもらいたい!」
「…もっと自分で足していかないと。オジサンになって中年になって減ってってるんだよ。中年の良さを出してよ、もうちょっと」
(※ミヤジ37歳。三十路も終盤ともなると「もう若くはない」と自他共に思う頃か)

しかしステージとはまた違う空気の張り詰め方ねぇ。まだ若い頃の自分がこんな現場を見たら「怒鳴ってて怖いなぁ((((;´・ω・`)))」とか「なんかピリピリしてて嫌だなぁ|ω・`)」とでも思うんだろうか。今だからか、この張り詰めた現場を見ても私は特に嫌な感じもしないけど。そもそも17年前?の事だし。 ただただこの時の、17年前の30代後半に差し掛かったミヤジの「真剣」や「本気」或いは「焦り」がこんな色の空気だったんだろうなという印象。



★【扉の向こう 1/7※ライターの火w 前髪燃えそうw

 2003年(平成15年)11月の制作時。
 レコーディング4日目にしてアルバム
 の発売は3ヶ月後と決まっているが、
 歌詞は一曲も完成していないという
 めっちゃ煮詰まっている時。


◯ドキュメンタリー:「扉の向こう」〜ロック歌手・宮本浩次という生き方〜
◯映像監督(プロデューサー):是枝裕之
(映画『ワンダフルライフ』、『誰も知らない』等の映画監督。このドキュメンタリーは2003年(平成15年)末からか2004年(平成16年)3月末くらいの間で撮影されたもの?)
エレカシ15枚目のアルバム『扉』の制作現場とその頃のミヤジの生活にも密着した映像なのかな。バラエティーみたいな番組やラジオの時とは雰囲気が全く違う様に感じるのは、映像プロデューサーが是枝監督だからなのか、アルバムを制作している時だからなのか、それともミヤジの素がそもそもこんな混沌としている感じだからなのか。


「俺さ、森鴎外の本読んで笑ったりしてるんだよw アホだと思わない?w」
「 37になってみると、ますます含蓄が深いんだよね。若い頃と全然違うところが面白いんだよねw(森鴎外が)」
相方(音楽プロデューサー?)の人はすごい同意して笑ってるけど、私には笑いどころが全く分からない(°_°;)。。。とりあえず森鴎外が62歳くらいで没したことは分かったw

「あれ、俺どこに書いたか…わかんないんですよ、前後しちゃっててさぁ」
「まとめてないんだよ、わざと。バッと書いて後でまたまとめようと…」
「全部出しちゃおうと思って、毒を」
「意識としては、オジサンというか自分と同年代の男っていうのがある」
「(そう言った対象に)どうだ!って言う意識でね…」

夥しい量の文字がノートを埋め尽くしては消され、また書き綴られていく。あのとっ散らかっている様なミヤジの頭の中をちらっと覗けるそのノートを手に取って見てみたいと思う。
しかし、レコーディングって曲が完成する前に始めるものなんだ(°_°;!? と言うかアルバムって曲ができる前に発売日が決まってるものなんだ!?と軽く衝撃。そして、一曲も完成していないアルバムのタイトルが『扉』っていうことだけ決まっていると言うミヤジ。完成はしていないけども、イメージはもうそこにはある!ってことだったのかしら。どんな感じなんだろう?そのイメージがまだモワモワしている時のミヤジの頭の中の世界を見てみたいのです。




★【扉の向こう 2/7※思いの外整然としていたミヤジの自宅(部屋)
意外〜。もっととっ散らかってグチャグチャなのかと想像していた…

 <引っ越したばかりの新しい部屋にあ
  るミヤジ文庫>
 ・森鴎外
 ・太宰治
 ・曲亭馬琴
 …等の古書がぎっしり!


1989年(平成元年!)デビューして1年後で当時23歳のミヤジ登場。若っw
にそにそ笑っていたかと思ったら、客にヤジ?を飛ばされて「うるせぇな馬鹿野郎」と返す声がまたねぇ、よく切れる剃刀みたいな表情で、きっと当時からのファンはミヤジのこんなところも堪らないのかな。(※「Do you remember?」で共演した横山氏が、デビュー当時のエレカシの”本気の恫喝”に怯え、”明らかに異質でオリジナルなスタイル”に惹かれた、と語っていたのはこんなところ?)その頃と比べてしまったら、そりゃぁ37歳は中年でしょうねw


「もっと行ける。絶対自信がある!」
「好きな言葉があったんですけど、見当たらないんですよ。あっちこっちに書いてて…」「作家の原稿ってすごいと思う。(頭の中に全部できていて、時間通りに出てくるよね、すごいね)うん、うん」

”昨年の夏、宮本は高級マンションからこの部屋に引っ越した”とナレーションが流れていたけど撮影はいつだろう?”昨年の夏”が2003年(平成15年)か2002年(平成14年)の夏?その頃にある思いがけない出来事があったそうで、”愛車のポルシェや家具も売り払い、彼は音楽に集中するための覚悟を決めた”とナレーションではキレイに軽くまとめてあったけど。。。

「お金のことを任せている人に通帳とか全部預けちゃってて、要するに全財産を盗られちゃってw 」(軽く自虐!?)
サラッと流されていたけど、個人的にはその件で目が点…ハア⁉︎Σ(゚д゚|||)マジで!?
…いやいやいやwそこもっと突っ込んで!パスタ食ってる場合じゃないw それ普通に重大な窃盗事件ですから!いやまあ自然にキッチンに立つ姿もそれはそれで新鮮でいいんだけどもw もっと料理するとこ見たいけどもw



「僕は作家にすごい憧れが強いんですよ」
曲亭馬琴は、晩年は不幸だもんなぁ。両目潰れちゃって、それでも”作家”ってすげぇなって。…これだ!って、そうなりたいって思ったんですよねw」


※曲亭馬琴(滝沢馬琴とも呼ばれている作家):明和4年(1767)6月9日生まれ。江戸時代後期の読本作者。本名は滝沢興邦(瀧澤興邦)で、後に名を解(とく)と改める。号に著作堂主人など。 『尽用而二分狂言』(つかいはたしてにぶきょうげん)を寛政3年(1791)に作家として出版。代表作は『椿説弓張月』(初編出版:文化4年(1807))、『南総里見八犬伝』(文化11年(1814)から28年に渡って刊行された106冊からなる長編小説)。ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家である。by wiki

★【曲亭馬琴|鏑木清方記念美術館※1907年(明治40年)作の絹絵より。

「曲亭馬琴」鏑木清方1907-M40

江戸の戯作者・曲亭馬琴が失明した後に、息子の嫁・路に一字一句文字を教え、口述筆記により『南総里見八犬伝』を書き継いでいる場面です。このエピソードは『南総里見八犬伝』の「あとがき」にあたる「回外剰筆(かいがいじょうひつ)」に記されています。清方は、失明した馬琴でも、馬琴を支えた路でもなく、「回外剰筆」に記された、口述筆記による馬琴と路のエピソード(史実)を視覚化しました。その意味で、西洋における物語る絵画としての「歴史画」に近い作品であるといえます。本作で清方が試みたのは、かつて史実のなかに生きた人間としての馬琴と路の生々しいすがた、実在した人間の生き様そのものであるように思われます。(解説より)

両目が潰れたとは言え、家族に支えられている姿でもあるこの絵からはそう不幸そうには見えない。馬琴がライフワークとしていたというこの『南総里見八犬伝』の序文には「婦幼のねぶりを覚ますものなり(婦女子のねむけ醒ましともなれば幸いなり)」と書かれている。そしてその”婦女子のねむけ醒まし”のために馬琴は目を潰してしまい(目の病気で失明?)、それでもなお口述筆記で続け28年に渡って刊行した。享年82歳で亡くなるまで創作活動を続けたとか。…そんな馬琴の様になりたいと語った、この頃のミヤジ37歳。その胸中にはどんな風景があったのか。

★【15分でよむ『南総里見八犬伝』

 何気に出てくる浮世絵と挿絵
 がすげぇ!!国芳の「木曽街
 道六十九次之内蕨犬山道節」
 大判錦絵(嘉永5年)と芳年
 の「芳流閣両雄動」大判錦絵
 (明治18年)が特に好き♪
 ヌォ━━(#゚Д゚#)━━!!


 二代歌川国貞(くにさだ)嘉永5年(1852)
 月岡芳年(よしとし)慶応2年(1866)〜慶応4年(1868)、明治18年(1885)
 歌川国芳(くによし)弘化4年(1847)〜嘉永5年(1852)
 豊原国周(くにちか)文久2年(1862)
 一養亭芳滝(よしたき)明治3年(1870)〜明治7年(1874)
 三代歌川豊国(とよくに)弘化4年(1847)〜嘉永3年(1850)
 巻金之助(きんのすけ)明治33年(1900)
 歌川芳虎(よしとら)元治元年(1864) ※浮世絵登場順( )は制作年


★【映画「里見八犬伝」真田広之&薬師丸ひろ子】真田広之は犬江親兵衛(仁)役
★【映画里見八犬伝~クライマックス】なぜかクリムトの接吻が和風な壁画にw
★【里見八犬傳 CF 第一版】薬師丸ひろ子がちゃんと馬に乗ってる!(驚

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 この原作の原作である馬琴の『南総里見八
 犬伝』は読んだことがないけども、確かに
 角川映画の『里見八犬伝』(監督:深作欣
 二。原作:鎌田敏夫 『新・里見八犬伝』
 1983年(昭和58年)12月10日公開)は
 私も大好き!.゚+.(・∀・)゚+ 真田広之(当時
 23歳)が若いw ハリポタなファンタジー
 よりもこっちの和風ファンタジーが好き♬
(弓の引き方が何か変な気がするけどw)


”婦女子のねむけ醒まし”のために目を潰してしまうなんて、なんと馬鹿な話だ…、と思う方もいるかもしれないが、改めてこのストーリーと挿絵や物語を元にした浮世絵の名作を見ていると、当時(江戸時代後期)の腐女子婦女子たちが目をキラキラさせて「続きは?続きはどうなるの!?」☆*:.。. o(≧▽≦)o 「信乃様〜!」(゚∀゚≡゚∀゚)「あたしの推しは犬坂毛野だけどあんた達は誰?」.ヽ(*>□<*)ノ「道節様よ♪」。.:*☆とワクワクしていたであろう様が、まざまざと目に浮かびますw もうこれは立派に偉業でしょう。約200年後、江戸→明治・大正・昭和と時を超え現代風にアレンジした小説ができ映画化もされ、他多数の戯曲や歌舞伎・ドラマ・映画だけでなく漫画やゲームにまで登場し、平成も超え早38年後の2021年(令和3年)現在までも心をワクワクさせることができる、この”婦女子のねむけ醒まし”の効能たるや、もはや超時空的社会奉仕ですよ!婦女子が楽しい社会はいつの世も平和なのですw

 
 …(おっと、閑話休題)…


「幸せって言うか、でも無理なんですよ。…音楽1コでも充実した時間を過ごせれば…それが幸せなんじゃないかって、これが仄かにね、余裕がある暮らしをしたら、余裕のある楽しい暮らしになってしまうんですよね。どっちかってことなんですよ。最小限の自分の分にあった生活をして、でも音楽には夢いっぱい!ってそれかなーって、仄かにこのアルバムには思ったんですよ」


この書庫の夥しい書籍を見て、例の「獣ゆく細道」のMV(※2018年:平成30年10月はミヤジ52歳)での和装姿のびっくりな似合い様にも納得。作品そのものだけじゃなくて「作家に憧れが強い」と言うのは、まさにあの雰囲気がそうだったのかしらね。はっ、あれもそうと知った上での林檎さんと児玉監督の企み(演出)だったりするのかしら!?
あのポジティブの塊に見えたミヤジの「幸せが無理」ってのが何というか、意外で。所謂世間一般的な結婚して家庭を持ってって、そういう意味でかしら?(この頃はまだ独身だけど、そういや今も結婚とかしていないんだっけ?)ミヤジは普通にモテそうだし自身も惚れっぽい様にも見えるけどなぁ。音楽だけでも充実していればそりゃあ幸せなんだろうけど、(自分には両立は無理だから音楽に世間一般的な幸せをも投影している)みたいにも聞こえちゃう。たまたまこの頃(ミヤジ37歳)はそんなちょと内省的なシーズンだった?あの詳細は不明なんだけど ”思いがけない出来事” とやらもあったわけだし…。


レコーディング13日目。ミヤジ体調を崩し1週間ダウン。



★【扉の向こう 3/7※大人で38℃の熱ってツライわよね。

 「化ケモノ青年」
 歳を重ねて行くことへの葛藤と希望を
 歌ったもの。(らしい)


「若返ろうって抵抗するのは最悪だよね。そのまま行っちゃわないとみっともない」(男性に限ると思われるw だって女性は絶対キレイな方がいいでしょうよ…)

…それは、まだ自分を”若い”と思うからそう言えるのではないかな、37歳の宮本くんw
”三十代後半になり、父と母そして老い(自身のも含め)というテーマに直面する”
するが、大抵はそれを歌にしようとする発想はなかなかないし、思っても実際にやろうとはしないと思う。そのテーマは確かに誰にも切実だけれど、 ”妖精は美しいものであってほしい” と言う感覚に似て、ありのままの老化現象を歌に組み入れられても…正直聞きとうないと言う気もする。。。 え?廊下?農家? (;´д`)<アーアーキコエナイ〜↓


「(そのまま行くって言っても)20代の頃は怒っててファーストアルバムの時は若くてテンションも高いけど、そう言うことじゃないんですよ、もう」
                             あらそうなの?


★【扉の向こう 4/7※ミヤジの音楽のルーツはクラッシックと歌謡曲

「僕はロックは好きじゃなかった」
 中1の時から石くんはギターを、トミはドラム
 をヤマハの音楽スクールで習っていて2人とも
 中学校の卒業アルバムの”将来の夢”は「バンド
 になる!」だった。石くんに至ってはツアーに
 車で回っている絵まで描いていた。


”玄関の前で、奮い立って笑顔を作った” (「地元の朝」より)

こんな詩が、ミヤジから出てくるのがなんだか意外に思えた。私の中でミヤジは、笑いたければ笑い、笑いたくなければ笑わない、そんな人物像がすでに出来上がっていたようで。
でもまあ三十路も後半に突入した人間がそんな単純なわけもなく。天真爛漫に見えるミヤジだって落ち込むこともあり、当然悩むこともあれば、些細なことも腹立たしく理不尽な苛立ちを隠せないこともあるわけで。ただ、これがミヤジの中の実体験なのかは分からないけど、なんとも言えない映像的な文章に思えたな。たったあの一文で、私は団地のあの重めの金属のドアの前でしばらく足を止めて立っているミヤジの細長い後ろ姿が目に浮かぶ。俯いて自分の中の自分と折り合いをつけながら、しばらくしてやっと顔を上げドアノブに手を掛ける横顔が浮かぶ。「ただいまー」と、もうあの陽気な声と笑顔で玄関の扉を開ける絵が見える。



「(中学校の頃からやっていて)バンドとしての達成感てのは、プロとしてデビューした事で一つ叶えられたのかな」

<参考>
★【kanashiminohate zenya※演奏日:1995年(平成7年)6月21日
東京のライブハウスshelterにて、ミヤジ29歳のバースデーライブ?(※誕生日は6/12)

悲しみの果て」1995年(H7年)ver.
 めっちゃロン毛w そしてツヤツヤ☆
 学生の時にデビューしてヒット曲もないまま7
 年後にはレコード会社に契約打ち切られ、その
 1年後のライブかな?「バカヤロー!」連発w


「僕らのレコード会社、いつになったら決まるんだろう?www」

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40代で男前に歌い、50代で林檎さんと一緒にのびのび歌っていたあの「悲しみの果て」が、20代末のこの頃にはこんな荒削りで吠える様に歌われていて男子の野太い声が飛び交ってて新鮮w この時はこれからエレカシがどうなっていくのか分からない時で不安もあり、とは言えまだまだ若くエネルギーに満ち溢れた頃の元気潑剌な20代のミヤジくん。37歳からすれば確かに20代の時とは違うロックを模索していかないと…、と感じざるを得ない意味不明なエネルギーがありますw 契約解除されてからレコード会社もまだ決まってなくて次の日本武道館もたまアリもまだまだ夢のまた夢、みたいなの頃の小さなライブハウスでの演奏だけれど、不思議とバンドの雰囲気が今とそう変わってもいないのね。



★【扉の向こう 6/7

「傷だらけの夜明け」
 ※デビューから7年後の1994年(H6)、
 ヒット曲もなくエレカシはレコード会社
 (エピックソニー)から契約を打ち切られる。
 (ミヤジ27歳か28歳頃?)


「(ポップカルチャーなんだから、やりたいことをやって注目される感じが)いいよね。やっぱ売れたいよね」「売れるのって大事ですよね」(切実)

契約打ち切りから2年後?新しいレコード会社(ポニーキャニオン)にやっと移籍、1996年(平成8年)4月に10枚目のシングルとして「悲しみの果て」を発売し、エレカシはメジャーシーンで再出発する。そうして、屈辱の契約解除から3年後の1997年(平成9年)、7月30日に発売したあの「今宵の月のように」が70万枚を超える大ヒットとなるのだ。(※ミヤジ31歳)
(※ネットで調べると41万枚?70万枚?80万枚?今はダウンロードとかあるけど累計枚数とかどうやって集計されているのか??よくわからず…)
やっとこの辺りで私はエレカシの歌に触れる。多分、これがエレカシだと認識する前に ”なんかいい歌だな” と何処かで耳にした記憶の積み重ねがあって、しばらくしてから、この歌「今宵の月のように」って歌なんだ → へぇ〜「エレファントカシマシ」ってバンドなんだ。ヘンな名前w → …20数年後(今頃ミヤジの沼にハマる)(´∀`σ)σ今頃ここ♬
あれですかね、広く受け入れられる歌には、プロモーションも含め売る力もあるってことなんでしょうかね。当時はTVドラマで毎週流れてたのでそこから入っていく方も多かったでしょうし、もちろん、大前提に楽曲そのものの素晴らしさがあってのことでしょうけれども。


「自分の中で、このヒットである程度の成功を収めたっていう結果があったからこの歳までやってこれたと思う。この年(37歳)まで夢とか憧れだけで続けるのは無理だったと思うんですよ。現実って意味で”売れるって言って、俺は売れたんだ!”っていうね」
     破天荒そうに見えて、自分の足元はしっかり現実的に見てるのも意外なのよね。



★【扉の向こう 7/7】※2004年1月13日新宿コマ劇場にてライブ:『扉』

「化ケモノ青年」
「   」
「傷だらけの夜明け」
「歴史」(※本歌入れ)


<残された時間の中で僕らは死に場所を見つけるんだ。それが僕らの未来だ>
ライブの後でまだレコーディングが続いていて、あの「歴史」の歌入れだけが最後まで残っていた。

”宮本はそんな鴎外への憧れをストレートに詩にしてしまった”
         ナレーションの「してしまった」がちょい気になるんですけど。。。

森鴎外ってね、自分の父親とか色んなものに重ねてるんだと思う。渋いじゃん、自分の親父とかさ」「うん、報われますね、詩にできるんだったら。森鴎外は21歳ぐらいの時からずっと好きですから」

「使い尽くしたいと言う感じはあるんですよ。もうちょっと行けるんじゃないかなって言うのがあって」
夏目漱石なんて作家としてデビューしたのが37、38歳ですし」
「(40代50代になってもロックでやってっていうのは)不可能ではないと思う。それはもうその人の度量や器量にかかってるっていうか。人間のデカさって言うのを信じるって言う力がどこまで強いかってことで」


”「歴史」とは、過去ではなくこれから彼が出会う未来の歌だった”
”「先へ、もっと先へ!」前のめりになって歩く人の前に、扉は不意に開く”



ーー<ドキュメンタリーここまで>ーー


当時の「Weeklyぴあ」にこのドキュメンタリーを撮った是枝監督のインタビューが掲載されていて、監督はエレカシサイドのスタッフから「このレコーディングを最後に、宮本は表現者として死ぬかもしれません。もしそうだったら死ぬところを撮ってください」と言われたらしい。「表現者としての死」とはミュージシャンにとって随分な死刑宣告だけども、当時はなんだかんだで色々と切迫した雰囲気だったんだろうか?ミヤジが一曲一曲を絞り出して創作するその様子が、スタッフには(彼の音楽の泉はもう枯死寸前かもしれない)とでも映ったのか。

今の私はその10年後の47歳のエレカシ25周年記念ライブの様子や、今現在55歳(※この6月12日が誕生日、おめでとう(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」おめでとーっ!:大事な事なので2回目w)でも元気で陽気なミヤジの様子を知っているから気楽に眺めていられるけども、そうだよね。。。模索の只中にいる時は、そんな確たる未来なんか周囲の誰にも見えはしないのだから。

でも、もしかしてミヤジ本人には ”完成はしていないけどそこにある!” と自分が強く信じる未来のイメージはあったのかもしれない。


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 ※実はちょいジャケットを加工

 なんとなく、あの37歳の頃のミ
 ヤジのドキュメンタリーを見て
 「扉を開ける」のイメージで。

 というか、つい唇カサカサを修
 正したくなってと言うのが本音
 ですw

 




◯エレファントカシマシ:15枚目のアルバム『扉』
 2004年(平成16年)3月31日発売。(※発売時、ミヤジ37歳)

【全アルバムレビュー:エレファントカシマシ】15th『扉』
 『Rock'n on』サイト公開記事より(2017.03.16 07:00)

1. 歴史
2. 化ケモノ青年
3. 地元の朝
4. 生きている証
5. 一万回目の旅のはじまり
6. ディンドン
7. 必ずつかまえろ
8. 星くずの中のジパング
9. イージー
10. 傷だらけの夜明け
11. パワー・イン・ザ・ワールド



「表現者として死ぬかもしれない」
周囲にそう言われながらしかし、ミヤジはメンバーと共に今に至るもう一枚の扉をここで開けたのだ。確実に。
だからエレカシは2017年(平成29年)にはデビューから30周年を迎えることができたし、ミヤジはその後50代にしてソロ活動の新しい扉を開け、五十路も半ばの今もフェスで歌うことの喜びを感じながらステージに立っている。きっと、コロナ禍のこの今も「馬鹿らしくも愛しきこの世界」へと愛を綴りながら、自分にできることをまた模索しているのだろうなと思うのです。

「儚くも麗しきこの世界」でミヤジが日々を気持ちよくこれからを生きていてくれれば良いな、と私はネットの隅でそっと願う。

…(P.S.  I love your singing voice )…




その重い『扉』を開ける約8ヶ月前の真夏のある日。
あの「歴史」は、まだタイトルもない剥き出しのままここにあった。

★【エレファントカシマシ 歴史前夜※ミヤジ37歳の夏
2003年(平成15年)8月3日(日)ROCK IN JAPAN FES にて


ずっとこれは「歴史」なのか、でもこれって「歴史前夜」ってタイトルで違う様な、でもメロディーはこれだよなぁ…(・ω・)?はて?
もしかして所謂英語ver.の「歴史」なのかな?とも思ったんだけどそうでもない様だし…??とずっと謎だったんだけど。このフェスで歌った時は、まだ「歴史」にはタイトルもあの歌詞(森鴎外)も付いてなかったんですね。

あのレコーディングの時の雰囲気が妙に好きだったんで、あれをステージ上で歌うミヤジの、エレカシの演奏を聴けたなんて当時の参加者の方が羨ましい!
|ω・`)もう18年前のフェスですが。。。
ちなみに昨年の「ROCK IN JAPAN FESTIVAL 2020」は、8月8日(土)・9日(日)・10日(月・祝)と開催を予定していた様ですが、やはり新型コロナウイルス感染拡大の影響で6月9日(火)には中止の発表となっていました。 (その時もミヤジはソロで出演予定だった)なお、今年の開催については情報がないのですが、もし開催されるのであれば2021はこのフェスの22周年記念になるはずですが、今年はどうでしょうか。。。



2003年(平成15年)の夏と言えば、例の「思いがけない出来事」があって、愛車のポルシェや家具や収集していた古書のほとんどを売り払って高級マンションから少し手狭な部屋に引っ越した頃?ですかね。是枝監督の「扉の向こう」のドキュメンタリー撮影以前の頃の。

「(昨日の夜ホテルの部屋で寝たんですけど)一人でいると、懺悔するわけじゃないんだけどさ、なんか恥ずかしい事ばっかり浮かぶんですよね、部屋にいるとさ。そう、だから…」
この突き抜けた「ウイェェーーーエイ!」がまた好きでねぇ(ノω`*)ノ


「エブリバデ! ROCK IN JAPAN FES、♪ …楽しもうぜ」
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「ウイェェーーーエイ!」前後の切り替えが意味不明なのですが、この謎の掴みできっとこの場にいたら私も「キョエェェーーーッイ!」と謎の声を出して応えたことでしょう。



今改めて思ったんだけど、私はミヤジのこんな合いの手のハミング?雄叫び?とでも言うのか、あの歌詞には載らないラフな声のスケッチの様な彩りがとっても好きのようであります(惚´д`)否ダイスキデス↑。
歌詞の合間にひょいと出てくる「はっ!」や「huu〜♪」とか前に出た演奏(間奏)の裏側で自由に跳ねている様なあの声の雰囲気がいちいち好きなのです。本当に困ったものですw




    <ドラムとベースとギターが2本、そしてミヤジの歌声>
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          もう、それだけで十分なんだ!




英語なんだかよく分からない中「夏、夏、夏の夜」のとこだけ分かったw
夏に、俺に、絶望の、… ラブソング、言葉として聞こえたのはそれくらい。

=歴史前夜(改)=
はらり はらはら舞し春の夜
棘の刺さったまんまの朧月 
小石蹴る
歴史 空の上の
歴史 Too long long road to rock ’n’ roll

また夏夏夏の夜

夏に 投げ捨てて後悔して
俺に迫る覚悟のラブソング
突きつけて
歴史 空の上の
歴史 Too long long road to love song
叩きつけ

歴史song
歴史song
歴史
春のあの夜に 苦し言葉の意味を問い
雨に打たれ彷徨う夏の道
徒然に破り捨て

寂し 人の好い面し
瞳見つめたまま吐く嘘
真っ直ぐに
歴史 空の上の…歴史なんて
なんの役にもたちゃしねぇよ クソ喰らえの
絶望ロード Too long long long long road to love song

詩吟 in the love song
詩吟 in love
春の波に骨身を晒してゆけ
青い嵐を走り抜け歌え踊れ
どうしてかって?どうしてだってさ!

(全財産盗られどーすんだよ俺)

ひとり ひらひらこの腕すり抜けて

Don’t comeback don’t comeback the lost love song
詩吟 in the lost song
詩吟 in lost
全て許したわけじゃないが
忘れ果てて 
手触りすらもはや砂の山 
歴史 俺の歌はまだ
Let’s singing

※勝手に作詞 by緑の船(空耳ver.)
(れりれり歌っている音を可能な限りそのまま拾って詩にしてみた。後半がまだ甘い…)





この時の演奏が本当に堪らなくすっごい好きです!"o(≧ω≦)o"ギャーッ

collage20030803-RIJF3.jpg
バンドでなければ、いや、エレカシでなければこんな曲は演れまいよ!





頭掻きむしって魂削るくらいのつもりで悩んで悩んで悩んで悩んで歌詞を絞り出していたあのドキュメンタリーの前の、このまだイメージの定まらないこの頃の、歌詞のないこの歌の雰囲気ががすっごい好きなのです。
ミヤジのあの苦心の作詞風景を見て知ってはいても、この曲にはこんな風に決まった歌詞のないままの、言葉の意味を持たないままの、ただそこにある ”風景” みたいな、風の温度や土の匂いだけが感じられる様な歌い方こそがしっくりくるんじゃなかろうか!?と思わずにはいられないほどに。




そして、こんな大きな空の下でみんな<エビバデ>と聴きたい曲だと思う!
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タイトルがまた実に秀逸で、まさに「歴史前夜」以外にないのだ!

このタイトルをつけたのはおそらくファンの一人なんだと思うけど、私はこの「歴史前夜」をまたどこかで歌ってほしいと切に思う。(というか、これはちゃんとパッケージして音源をしっかり残しておいてほしいわ(>ω<)!マジでお願いします!)

この歌詞のない「歴史前夜」は、その時その時の歌い方で絶望の歌にも喜びの歌にもなるであろう、エレカシだからこその唯一無二の名曲ではなかろうか。いや断言する、

これは名曲です!



「歴史前夜」 2003(H13) 〜 真夏の夜の夢ver.〜
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ただ、分かってはいるのだ。
この歌は、もう随分と前のあの夏フェスでしか出会えない、ほんの一瞬しか見ることができない、妖精の様な儚い夢の様な歌なんだろうとも。

それでも、野外のステージでいつかまたあんな大きな空の下で、あの歌の ”風景” を私もみんな<エビバデ>と聴いてみたいと思うのです。かれこれ18年も前のミヤジが37歳の時と全く同じこの雰囲気の「歴史前夜」はもう存在しないであろうと分かってはいるけれども、あの重い大人の扉を開けた後の、今現在の、これからのエレカシの「歴史前夜」に出会ってみたいとも。

この曲に関しては、正直なところもはや歌詞の意味や理屈などもうどうでもよく、理由なく片想いをしていた頃の様な気持ちに似て、同じ演奏には二度と出会えないと分かっているけれども、 ”あのエレカシの演奏に会いたい!またあのミヤジの歌声が聞きたい!” と恋焦がれる気分でいるのです。
そして多分また、この曲をこの夏中聴いていることでしょう…(*ノ∪`*)コマッタモンデスヨ。。。

もしや、そう言う意味で私にとってこの歌はエレカシ最強のラブソング(ミヤジ比)なのかもしれません。





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