航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
末永く魂鎮るところ 4 麒麟はきたか

ここに来て、何故か明智光秀参上!!
♪ジャジャジャーン、ジャジャジャーン、ジャジャジャー、ジャジャジャー♬
ジョン・グラム風でw)


★【麒麟がくる メインテーマ (※エレクトーン)



いつもの如く気がついたらいつの間にか新年は明け令和ももう3年に。。。
うん、まあいつものことですからシレッと続きをば…(´∀`*;)ゞ




しかし、きっと分かる人は分かるw>なぜにここで明智十兵衛光秀の登場!?



江戸幕府開祖の初代将軍だった徳川家康が、死期を悟った頃に駿府城へ呼んだのが藤堂高虎天海僧正だったと知ったのは、数年前にフラッとあの上野にある東照宮へ行って看板を読んだ時でした。
(そこではまだ”天海僧正”って誰よ?的な薄いキャラ扱いw)
★【末永く魂鎮るところ 1 高虎の東照宮】2020(R2)/06/07(日) 記事参照〜


=以下、そんな看板の説明文から始まった妄想歴史絵巻でございます=



さて、駿府城へ引退した後も大御所様として絶大な権威を誇っていた家康が、その心の友に人生最後に望んだのが

「3人で一緒に末永く魂鎮まるところを作って欲しいのじゃよ…」(´・ω・`)

と言うものでした。
その時、藤堂高虎は当時宗派の関係上(?)家康と死後一緒に祀られることはできない立場だったそうなのだが、坊主(天海僧正)も一緒にいたのでその場で同じ宗派に改宗し(!?)
「これで死後も一緒にございますよ」と家康を安心させたとかどうとか。
高虎、優しい…やっぱそんなところが渋カッコいいと思ってしまうw



その場所が上野にあるあの地味な東照宮(造成当初は東照社)だったと知って「へー、日光の方じゃないん?」と、当時の私は素朴に思ったものでした。
(でも実はちゃんと日光東照宮の方に3人一緒におるんだっけ!?…とイマイチまだよく分かっていないが、ここはもう個人的解釈による妄想歴史絵巻として押して参りまするぞw)



家康の死後日光東照宮(※当初は日光東照社)の竣工は2代目将軍徳川秀忠で進められ、随分と後になって上野の藤堂高虎の屋敷地内に自分の寺社の子院として東照社を建立したのは、この仲良し御三方で一番長寿だったとされた天海僧正でした。当時東照社だった社名はその天海僧正も亡くなったずいぶん後に「東照宮」となっています。
(いや日光東照宮の方も天海僧正が大いに関わっていたと思いますが、なんとなく日光東照宮の方は所謂国家事業、上野の東照宮は民間事業なイメージです)


家康は1616年(元和2年)に亡くなったがこの江戸のみならず乱世の末にまとまった日本を守る神となり、死後405年経った今も日光東照宮は日本中から参詣が絶えません。(※2021年令和3年現在)

が、先にも言った様に、上野にあった藤堂高虎の屋敷地に天海僧正が子院の一つとして建造したの当初の「東照社」は、こちらは個人的な事業だったからか、それ故もっと地味な感じだったとされている。
(私の中の藤堂高虎がとっても渋い人物像なので、それもあってきっともっとシンプルで地味だったに違いないというイメージもあり)

それをあの女性っぽい中性的な(私の勝手なイメージですw)芸術家肌な3代目将軍家光が「この社は地味過ぎて気に入らぬぞ!(*`・з・´)」と(これも想像w)、日光や上野の東照宮を豪華絢爛なキンキラキンに改修したのが、今に伝わる日光東照宮や上野にあったあの彫刻の楽園のような東照宮なのです、 が 。




さて、そもそもどうして家康、高虎、天海僧正がこうも仲良し?なのか。

それこそ死後も「一緒のお墓で安らぎたいよね…(´∀`)(´д`)(´-`)・・」
などと思うほどにw

仕事上の付き合いで、雇い主と仕事を請け負う会社であるとか、会社の社長と従業員、上司と部下などと言う関係でここまで深い結びつきが得られるものなのだろうか、などと、平和な現代の日本で呑気に生きる私にはその感覚があまりに理解し難いわけです。

何が彼らをそうも得難い絆で結んだのであろうか?
そして、そこで出てくるのがまさかのあの明智光秀な訳とは!?






<仮説その1>
この天海僧正はあの明智光秀だった!…かも!?


そう、私には最初から「天海僧正?誰だっけそれ?」な立ち位置で特にこれと言った人物像がなくてw まったくイメージのなかったこの人物なのですが「天海僧正は実はあの明智光秀だったのではないか?」という歴史マニアあるあるの仮説を知ったことで、あの「三人で一緒に魂鎮まるところで静かに眠りたい…」という家康の人生最後の願望の意味と、今期の大河ドラマ「麒麟がくる」で感じていた違和感がなんなのかやっとピンと来たのでした。



大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれている長谷川博己演じる今回の明智十兵衛光秀は、義にも情にも厚い鉄砲の名手にして、爽やかなのに中間管理職的な立ち位置で毎度悩める武士として登場している。史実が不明な点が多いとされる大抵は脇役扱いの明智光秀を、今までのところとても面白く丁寧に描いていると思う。いや、不明な点が多いからこそ面白く自由に描けたとも言えるのかw

1528年(享禄元年)生まれ(※諸説あるうちの一つ。本能寺の変の年に死亡:享年55歳)とされる明智光秀は、若き日は美濃の国でケチなw斎藤道三に仕え、2代目の息子義龍には義を感じず離反、今の所世を平らげる、己が仕える君主であるべき人物を探し求め流浪の末に生活に困窮し、仕方なく越前一乗谷の不気味な印象のユースケ・サンタマリア大名(朝倉義景)に仕官を申し出受け入れられ働く。その間にカワイイ娘2人(妹のたまは芦田愛菜演じる後の細川ガラシャ)を授かり、しっかり者の煕子夫人にも支えられ貧しくとも穏やかな生活を送っているが、己が進むべき道はこれでいいのか…と悶々とした日々を送っていたりする。
そうした日々の中、京都で出会った懐かしい知り合い(※眞島秀和演じる細川藤孝。後に明智光秀にとっては戦友としてかなり信頼していたと思われる人物)から「京へ行って将軍の催す能を観に来ないか?」(足利義輝将軍に会って欲しい)と勧められる。燻っていた越前を出発し久々の遠出(※)で京へ行って観たらば、昔「私のところに麒麟は来ぬ…」と嘆いていた気弱な将軍様は、誰からも相手にされない現状に随分と性格も歪み側近の意見にも耳を傾けず無益な戦を起こそうとする、そんな不穏な情勢になっていた。武士として将軍を慕う十兵衛は心を痛めたりする。

※福井県一乗谷→京都は距離150〜170km(徒歩で30〜35時間かかりまするw)
202011itijyoudani-kyouto.jpg
※しかし湖北から船を利用すればもっと早かったはず。

しかし、この辺の旅の件をさらっとでいいから入れて欲しかった。毎度思うがこの時代、船を使った移動はきっともっと多かったはずなのに、この手のドラマでの移動シーンはいつも大抵どこでもドア(中略)か徒歩か馬ばかり。。。
ケチな斎藤道三にやっと許可をもらい堺に鉄砲の見聞に出かけた時に若き十兵衛が琵琶湖を船で渡るシーンが出てきたり、たわけな若き信長が熱田の海岸から漁船で登場!したり、「おお!やっと船の絵が見られる時代劇がきたかっ!? きたのか‼︎━(@▽@)━!!!」とワクワクしていたのに、その後まーったく船の絵が出てこないw
  …
てぇぇぇい(o゚□゚)o ≪≪≪もっと船の絵を入れてくれい!
ちょっとでいいから、背景でいいから船を映せば時代劇の絵はもっとリアルな匂いがするはずなのにぃ!船の出てくる画面をもっとカモーーンッ!


おっとつい、閑話休題。。。


さて、どうしてこんなめんどくさい状態で私を呼ぶかな( ノД`)!?と何故かいつも面倒事の舵取りを任される苦労人明智十兵衛光秀。めんどくさい人間模様にキレもせず一生懸命身を粉にして働く中間管理職の様な十兵衛を見ていると、だんだん感情移入していき引き込まれてゆく不思議w 長谷川光秀なかなかに見ている者をも味方につけます。(ドラマでの光秀は本当に人望が厚く皆に慕われている)
そうこうして十兵衛は最近勢いのあるあの尾張の田舎大名、織田信長を将軍の味方につけようと思いつき、これから道三の娘婿である織田信長に仕えることになるかも?いやならないかも?…なところで、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で中断していたドラマは再開したのでした。

それからは、将軍様は色々あって弟(には見えないw)足利義昭に代替わりし、十兵衛の働きかけもあり信長は将軍義昭と朝廷にお墨付きをもらうことで大名としての箔を段々と増していき、その勢いに上手に乗った羽柴秀吉も出自の身分からは考えられない破格の出世をしていく。
(坂東玉三郎演じる正親町天皇がまた不思議に美しい!※”おおぎまち天皇”と読む。日本の第106代天皇。佐々木蔵之介演じる羽柴秀吉もまた今までになく明るく出世のためには恩ある明智光秀をも裏切るというブレない不気味な雰囲気が良いw)
しかし、十兵衛の根回しも虚しくいつしかその将軍義昭と信長の反りが合わずとうとう反目。足利弟将軍は京から遠い備後の国に幽閉され室町幕府も虚しく機能しなくなってゆく中、まだまだ戦続きの過酷な乱世の只中で
「いつか戦のない大きな国を、いつか来る平和な世を、麒麟の現れる世を」
と思いを抱き迷い悩みながらも十兵衛は日々戦に明け暮れ生きている。
戦働きで功を挙げ、すっかり貫禄も出て落ち着きひと段落。貧乏浪人からやっと一国一城の城(坂本城※これもせっかくの水運業の盛んな琵琶湖の畔に城下町を作ったのにその辺の件はほぼスルーとは…)を持ったと思ったら、程なくして最愛の伴侶を失くし、長く付き合いのある旧友であり戦友でもあった松永久秀をも攻め滅ぼすことになり、(自分の進むべき道はこれで良いのか、このままで良いのか…)と、君主である信長を、己が進むべき道を疑い迷い始める。

ここにきて勢いと絶大な権力を持ちつつある、いやこの時はすでにもうその頂点に達しようとしてるかの信長の描写は、昔の田舎尾張の城での板張りの簡素な居室から豪華絢爛な広い広い畳張りの安土城の大広間に変わったことで表現されていた。着物がだんだん豪華になっていくのもその一つ。

しかしそれでもまだ信長の権力の強大さがイマイチ伝わらなかったなぁ。あの大広間の室内デザインは実にオシャレだったけどもさ。
また、久々に帰蝶さまが登場した時は、十兵衛⇄帰蝶さま⇄信長の、それぞれが若い頃とは違うお互いの心の距離感を、あの大広間で絶妙に感じさせた。静かな会話なのに何気に危うい緊張感が漂っていて演出の練りに練ったセリフ回しが光っていたように思う。
春奈帰蝶さまってば代役抜擢だったのに実に良いよね!もう当分出てきそうにないのが残念。

染谷信長から「憎き本願寺を叩くには補給を叩けば良いのじゃ、毛利の村上水軍を叩くのだ!どうじゃ!」的な台詞が出て、アレか、いよいよアレが出てくるのか!?と正座して待ち構えていた私 .゚+.(・∀・)゚+. …しかしこれもこの台詞でちょろっと触れただけでスルーとは。。。
何故だ、何故にあの超インパクトのある信長の鉄船を出さんのだ…ええぃ、なんでもいいからもっと船を出せぃ!!>>p(゚□゚*)

個人的には毛利の村上水軍と織田の九鬼水軍木津川口の海戦の件をあんな短いセリフで済まされたのが非っ常〜に残念無念ですよ、がっかりですよ。少しくらい触れてくれたっていいじゃない。(不貞寝)
★【船の科学館と「宗谷」の思い出 5 和船の趣き(番外編)】2019(R1)/07/29(月)記事参照〜


ここまで直向きに信長を支え、命を賭して仕えてきた十兵衛だったが、平蜘蛛の釜の一件と美しき玉三郎天皇との月見の会で信長に対しての疑念を決定的にしたかに見えた。(第41回「月にのぼる者」は実に色々と見応えありだった!)

ともあれ、歴史として最終的にはいよいよ天正10年6月2日(1582年6月21日)に起きた「本能寺の変」で一転、明智十兵衛光秀はその信長を急襲する。
暗殺は成功したものの、結局はクーデターを予見していた(若しくはそう仕向けた)秀吉の「中国大返し」と言われる驚異的なスピードで備中高松城(岡山県)から200kmを戻ってきた軍勢に討たれ三日天下と言われて亡くなったところまで、は歴史の教科書にも載っているような史実として、これまでの大河ドラマでも概ねその様に明智光秀を描いていたと思う。
(※実際は本能寺の変から11日目に農民に竹槍で刺されたとされる説が一般的か)

なので、これからは、信長に離反する決意をした光秀を、その人生の最後をどう描くのかがこのドラマの腕の見せ所なのではないかと思われる。



…が、ふと思う。

ん!?

これでは ” 麒麟がくる ” までの世は到底描かれようがないではないのか?
(?_?)オヤオヤ?


そう、「乱世を治める天下人が現れる時、麒麟を連れてくる」と言うストーリーがこのドラマの根底にあるはずなのである。
(煕子夫人の「それがあなたであったならようございますのに…」と亡くなる間際に十兵衛に語るという伏線めいたセリフもあったが、まさかそれで終わりではないはず)


光秀は信長と出会い、麒麟の匂いを嗅ぐ。
「この方が大きな国を作り乱世を治め、世を平かにし麒麟を連れてきてくれる!?やもしれない」

今までにない感覚を持ち、新しきものもどんどん取り入れ、やる気と才能と実績のある者は身分に関わらずどんどん採用する信長には武勇に秀でた者達が集まり、勢力をどんどん伸ばしていく。ドラマでは実は初恋の人だった帰蝶さまの心も掴んだ様に見えた信長は、光秀の目にはどう映ったのだろうか。いつの間にか浮気してちゃっかり隠し子までもうけて、あの帰蝶さまを”何でも褒めてくれるあれは母親だ” などと言ってしまったり、悔しいけれど何かしら不思議な魅力ある人物に映ったに違いなく、だからこそ長く信長に仕えてきたのだろう。

しかし、信長に仕えるその少し前、まだ若い光秀は三河で人質となっていた幼き頃の家康(竹千代)とも出会っている。ドラマが再開する前の総集編で見たそのシーンは割とさりげなく描かれていたが、このシーンに「これは、光秀と家康の運命的な出会いだった」的なナレーションも入っていたと思う。(うろ覚え)



実のところ、あの時代の乱世を治め、戦のない世の中を確たるものにしたのは…徳川家康その人なのである。最終的に覇権を手中に入れ、京ではなく、遠い関東に新しい幕府を開き、後年「江戸時代」と名の付く一時代の幕開けを切り拓いた紛れもない日本の英傑の一人である。

しかし、天正10年(1582年)本能寺の変で信長を暗殺した明智光秀は、兵力をまとめる暇もなくあっと言う間に戻ってきた大軍の秀吉勢に鎮圧される結果になり、光秀は君主を暗殺した謀反人として歴史からは消えてしまっている。
(ドラマでは佐々木蔵之介演じるあけすけで計略に長けた実に腹黒な秀吉がなかなかに不気味で、漫画の石井あゆみ作『信長協奏曲』のブラックな一面を持つ実は”忍びだった秀吉”に通じるものがあって私は結構好きですw)



そう、「麒麟がくる」の主人公である明智十兵衛光秀は、その後の豊臣秀吉が大阪で築いたど派手で雅な商業文化も、再び東軍西軍に割れて争った天下分け目の関ヶ原の戦いも、その後政権を掌握した徳川家康の老獪な政治手腕も知らないはず。

家康が築いた本当の天下太平の世の幕開けを見ていないのであれば、”麒麟がきたか”など分かるはずもないのである。
この乱世の時代の流れの中で「戦のない平かな世を治める時、麒麟がくる」と言われているのなら、結果からすると当然にその麒麟は家康の側にいたと言うことになるのではないか…。

その麒麟を、光秀は見たということになるのではないか!?

そして、その家康が心の友として「3人で一緒に魂鎮まるところに眠りたい」と願ったのは…藤堂高虎と天海僧正の二人。…とここで「実はその天海僧正が明智光秀なではないのか!?」説が今期大河ドラマと繋がるのである。

元和2年(1616年)に75歳で家康が亡くなった時、天海僧正は齢80歳とされる。(その数年後、藤堂高虎も家康と同じく75歳で亡くなる。皆長生き)
明智光秀が享禄元年(1528年)生まれとし、家康が亡くなった時生きていれば光秀の年齢は88歳ということになる。三河の城で人質だった幼き頃の家康と信長に仕えるはるか前の光秀の出会いの「麒麟がくる」のあのシーンは何歳くらいの時でしたっけ!?二人の歳の差13歳とし、家康あの時10歳だとして光秀23歳の頃とか?


天海僧正は、正式には「南光坊天海」と呼ばれ、天文5年(1536年)会津生まれ、 寛永20年10月2日(1643年11月13日)に107歳で亡くなったとされている人物である。
現代だったとしてもかなりの長寿を全うしたと言えるが、家康に用いられたのは慶長14年(1609年)からと言う説もあり、とするとこの時の天海僧正はすでに御年73歳(光秀だったら81歳)、1542年生まれの家康が67歳の時の出会いということになる。また二人の初対面は駿府城での慶長13年(1608年)とする説もあり、その場合家康66歳、天海僧正72歳の時となる。
どちらにしても、年齢が全てではないが「末長く安らげるようなお墓に一緒に入りたいよね〜!」(´・Д・)」(゚д゚)などとなるのには双方随分年老いている気がする。
慶長10年(1605年)には将軍は2代目秀忠になっており、大御所様として影響力はまだまだ健在だったと思われるが、そうすると表向きは天海僧正とは家康が政治的にはすでに引退した後からの付き合いということになるか。

私的には印象の薄い天海僧正も「黒衣の宰相」と異名もあるほどで、家康に対して政治的な影響をも与えていたといい、ただの隠居同士の茶飲み友達でもないだろうが、慶長8年(1603年)に江戸に幕府が開府されてから後の初対面が慶長13年(1608年)であるなら、天海僧正と家康の付き合いは10年にも満たない。
年寄りの10年なんて若者の2年くらいの時間感覚なんではないだろうかという気がして(失礼!)、ますますその短い付き合いで「一緒に魂鎮まる場所で安らぎたい…」などと今際の際で願うだろうかと私は思ってしまうのだ。

だが、その天海僧正が実は心細い日々を送っていた幼き日の自分に心を砕いてくれた光秀だったとしたら、生きるか死ぬかの戦続きのあの若き日々を二人で「いつかは戦のない、平和な世を」と理想の未来を語った相手だったとしたらどうだろうか。



さて、この天海僧正の出自だが、若き日に僧として天台宗を学び始め、「天海」と名乗ったのは天正16年(1588年)に星野山(武蔵国の寺)に移ってからと言われている。もし、明智光秀が生きていたら60歳。

光秀が1582年の「本能寺の変」の後に秀吉勢に敗れ処刑されたのが55歳頃?と推定されている(※諸説ある中の一つ)が、しかしその後、実はひっそりとどこぞで誰かに匿われ、僧として名乗り生き長らえていたとしたら…。まあまあ有り得ない話ではない年齢差と思える。
(「麒麟がくる」での明智十兵衛光秀はとにかくみんなに愛され好かれ頼られている。京から遠い三河の地でも家康と菊丸に頼りになるのは明智様と噂されるほどw だから誰かに匿われていてもおかしくはないw)


ちなみに見どころ満載だった秀逸な回の「月にのぼる者」で一番引き込まれた場面は、なんと菊丸のシーン!
あれ、この人ってぐるナイごちの岡村さんと同一人物だっけ!?と今も半信半疑w 十兵衛に対して静かに自分の心情を吐露していたあの地味なシーンが、変な感想だが、岡村さんが北島マヤに見えるw 長谷川十兵衛が姫川亜弓だったら「うっ、この子は今、本当に安土桃山時代の三河を思い出して迷っている。…恐ろしい子!」と白目で呟いているのではないだろうか。
三河へ帰る際に秀吉の手下に襲われた時の唯一アクションシーンと呼べるあの立ち回りも、決して派手ではないが実に自然だった。走り去る後ろ姿を透過して消えてゆくあの演出も実に秀逸で、もう本当にお気に入りの場面の一つなのです。録画したサムネが菊丸シーンのアップなほどですよw


さて、天海僧正=明智光秀ではないか!?説は歴史マニアには意外と知られている仮説らしいので、根拠として挙げられる事例は先人達にお任せします。
曰く、日光には美しい景勝地に「明智平」と言う地名があるが、命名したのはこの天海僧正である。曰く、どこそこの寺社には明智光秀が奉献したと言う灯篭があるが、その年にはすでに明智光秀が死去している。などなど(割愛)
個人的には、家康が亡くなって後の霊名を「大明神」にするか「大権現」にするかで揉めた時に、この天海僧正が「大明神は(あの裏切り者の)秀吉と被るから絶対ダメ!」と大反対したという逸話が印象的で、それも実は明智光秀だったからと仮定すると、ものすごくすんなり納得してしまうのでありますw
また、その「天海僧正=明智光秀」説を否定する側の根拠として「それぞれ筆跡が明らかに違うので、その説は眉唾である」とする意見もあって、実際年齢差もあるし、まあ、その辺を紐解くのが楽しいということで、その他の意見ももっとある事でしょうからその辺りの議論は歴史マニアさんにお任せするとしましょう。(私は妄想するだけが楽しいw)


しかし、しかしですよ。
もし、「本能寺の変」の後に、どうにか生き延びていた明智光秀が、その後に天海僧正として生き続けており、家康もそれと知って光秀と再会していたとしたらーーー。
天海僧上のいたという武蔵国は、家康が幕府を開くまさに江戸の土地その場所なのです。いえ、もしかして家康がしがらみの多い京や大阪と遠く離れた関東へ幕府を移したのこそ、天海僧正と名乗っていた明智光秀がいた場所だったから、共に新しき世を作ろうと語った場所だとしたら。

武蔵国は現在の東京都や埼玉県、神奈川県川崎市や横浜市の大部分を含む一都二県にわたる広大な地域です。当初、豊島、荏原(えばら)、橘樹(たちばな)、久良岐(くらき)、都筑(つづき)、多摩、足立、入間、比企、横見、埼玉、大里、男衾(おぶすま)、幡羅(はら)、榛沢(はんざわ)、那賀(なか)、児玉、賀美(かみ)、秩父の19郡から成っていましたが、8世紀には高麗郡と新羅郡(後の新座郡)が、そして江戸時代の初め頃に下総国葛飾郡の一部が武蔵国に組み込まれ、22郡となりました。

★【「武蔵国全図」より】





若き日に美濃から尾張熱田の港町や大阪堺の商いで活気ある市中を見て驚いていた彼が、いつしかもっともっと大きく活気に溢れた江戸の市中を見て周り、日の本はなんと大きな国になったのだと、戦のない平和な世が本当に来たのだなと実感できる日がきたのだとしたら、きっとこう呟くのではないか。



「麒麟は、あなたが連れてきて下さったのですね」と。

そして、家康はこう返したかもしれない。

「私が麒麟を連れてきたというのなら、
 私のそばにいてここまで導いてくれた
 其方こそが、麒麟そのものであったのであろうよ」





★【【麒麟がくる】メインテーマ NHK大河ドラマ ジョン・グラム エレクトーンSTAGEA



★【【科学が立証】豊臣秀吉「本能寺の変を事前に知っていた」説は正しかった】by 三重大学教授:藤田達生記事

★【朝倉氏の歴史】by 福井県立一乗谷朝倉氏遺跡資料館HP

★【明智光秀の出自と生誕地について調べてみた】by「草の実堂」

★【日光のはじまり-天海大僧正-】by「世界遺産日光の社寺」HP

★【江戸を大都市にした天海が、街に仕込んだ「秘密の仕掛け」】by PHPオンライン衆知

江戸城と堀の設計の実務面では、築城の名手であった藤堂高虎らが中心となり、天海は思想・宗教的な面で「陰の設計者」として関わっていました。工事が完成するのは寛永17年(1640)の家光時代で、その時すでに家康も藤堂高虎も他界していましたが、天海はなお存命しており、50年近い江戸の都市計画の初期から完成まで関わったのです。




おお、ここで藤堂高虎と天海僧正と江戸の街並みが深く関係してくるのね!
この説だと、江戸幕府初期から関わっていたという事なので、家康と天海僧正の出会いはもっと前と言う事になりまする。(色々な説がある様で、私にはどれが本説なのかわからないのですが…)



さあさあ、いよいよドラマもクライマックスが近づいてきていますね。果たして「麒麟がくる」ではどこまで描かれていくのか、本能寺の変からどの様にまとめていくのか、今後の展開がますます楽しみなのです!
(実は菊丸岡村の演技にいたく感動して、つい麒麟と東照宮を結びつけてけて妄想してしまったのは内緒ですw)



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