私の船は、ある趣の建築物に異様な反応をみせるw
それは自分が住んでいたわけでも、自分の住んでいた町並に似ているわけでもないのに、ある種の建造物に対して言いようのない懐かしさ、郷愁、親近感、もしくは興奮を伴なう強い興味を覚える。

例えば、例の松江城敷地内にある元迎賓館。
元々は大正天皇(皇太子時代)の御来松の際に宿泊施設として建てられたホテルで、その後は迎賓館や展覧会場として利用され、現在は松江郷土資料館となっているこの建物。
…好きだ、愛している、結婚してくれ!と言いたくなるような容姿美麗な佇まいである。
★「興雲閣」(こううんかく)メモ。
明治36年(1903年)に、松江城の二ノ丸跡に迎賓館として建てられた擬洋風建築。
松江の歴史文化教育に関する資料や、大正天皇皇太子時代の山陰行啓の折の御宿泊所を公開してある。
★擬洋風建築『日本の美術466』参照。
幕末から明治初期にかけて、居留地建築に刺激を受けた日本の大工棟梁が見よう見まねで西洋のデザインを採り入れ、事務所、ホテル、学校などを建設した。
伝統的な職人の技術をベースに洋風要素を採り入れたこれらのものを擬洋風建築と呼ぶ。
ちなみに明治36年(1903年)…この年の日本はペリー提督の黒船来航から50年、明治新政府樹立から満35年を経過した頃である。
この頃生まれた有名人もちょとピックアップ。
★【100年前の日本と世界?】より
★小津安二郎(1903-1963)
映画監督・脚本家。
代表作『東京物語』
★林芙美子(1903-1951)
小説家
代表作『放浪記』
★森茉莉(1903-1987)
小説家・随筆家。
東京出身、森鴎外の娘。
★ 山本周五郎(1903-1967)
小説家、山梨県出身。
『日本婦道記』で直木賞を、『樅ノ木は残った』で毎日出版文化賞を辞退。
『青べか物語』でも文芸春秋読者賞を辞退している。
代表作『さぶ』。
世界では何があったかというと、大きく科学や化学、電気工学が発展飛躍し始めているのが分かる。
★太平洋横断海底電線敷設(アメリカ)
1月にサンフランシスコ・ホノルル間が海底ケーブルで結ばれ、7月にはホノルルとフィリピンが結ばれる。
★【メディアの歴史から学ぶ】参照。
★ライト兄弟初飛行成功(アメリカ)
「鳥のように空を飛びたい。」(12月)
★キュリー夫妻ノーベル物理学賞受賞(フランス)
ベクレルとキュリーの夫妻が放射能の研究でノーベル賞を受賞。
★【ノーベル物理学賞受賞者一覧】参照。
また、ロシアとの戦争(翌年2月に日露戦争開戦)に向かう厳しい雰囲気が漂っている頃でもある。
★【Z旗:日露戦争略年譜】参照。
この白い洋館とあの黒塗りの松江城が同じ敷地内にあるわけだが、建築様式のせいか不思議と違和感がない。
松江城敷地内には立派な松や楠木はもちろんだが、桜の木も多く植樹されており、閑散とした冬もいいけども、桜の咲く春の佇まいを想像してうっとりする緑の船であった。
と脱線も多い緑の船。
しかし、脱線するからおもしろいものが見える場合も多々あるのだ。

この神社(名前忘れた…神社じゃないかも!?)も黒塗りの鳥居とちょっと変わった形状が目を引く。
赤い鳥居はよく見るが、黒い鳥居は初めて見た。
もちろん、神社仏閣、元迎賓館などの特別なものだけでなく、ここ松江には歩いているだけでアンテナにピピピと引っかかる愛おしい建物が多いのも魅力だ。
例えば普通の商店や一般の住宅。


これはどうもふるーい長屋のようだ。
玄関の庇のデザインがそれぞれ違う。ほとんどぼろっぼろで無人のようなのだが、一軒(?)は今も入居中のようだった。


木造建築の、この何気ないガラス窓のデザインも心をくすぐられる。
実際はこんなデザインの窓は造るのもめんどくさそうだし、機密性も薄そうなので寒さも厳しいかもしれないが、が、とてーも洒落ててイイ!


ここなんかはただの「新築物件の基礎工事中?」と思われるところだが、よくよくブルーシートの形状を観察してみると、どうも「遺跡が出てきたどうしよう!ととりあえず保存しておこう」な状態らしいw
またなんの変哲もない空き地にぽんっと刺してあった↓この看板。

母衣衆(ほろしゅう)屋敷跡について
1.母衣とは騎馬武者が背中を敵の矢から守るためにつけた布の袋のことです。のちに合戦で大きな手柄を立てた武士にだけ着用が許されるようになりました。
松江城初代藩主堀尾吉晴は、織田信長の部下だった頃の秀吉の母衣衆でした。母衣衆はやがて藩の家老職に次ぐ重臣を意味する様になりました。
1.向かいの裁判所は母衣衆屋敷跡です。この辺りは母衣衆にちなんで母衣町と呼ばれる様になりましたが、江戸時代初期の絵図によると、ここには二つの屋敷が並んでいました。その広い屋敷から、母衣衆の地位の高さを伺うことができます。
1.前の道路は大手前通りです。西の大手前広場から東は見える米子橋まで、築城当時の道幅11mは今日まで変わっていません。この道は城下の幹線道路であっただけでなく、城下町を作る時、大動脈としての役割をはたした貴重な歴史的遺構です。
1.この通りの裁判所側にある側溝の下には江戸時代の溝の跡が残されており、側溝のふたを開けると古い石積みを見ることができます。
2004年(平成16年)3月
松江城大手前通り街並み保存の会
周囲にはごく普通の住宅地。
母衣衆屋敷跡(ほろしゅうやしきあと)ということだが、時々こういった「街並み保存の会」の看板が見られる。
ふむ、この素晴らしく趣のある住宅が数多く残っているのもこういった地道な運動を行っているせいなのだろう。
気に入った!>松江市
TVでよく見る経済ニュースなどでは、島根県を含む山陰地方は過疎の問題や失業率の増加、病院閉鎖や鉄道・バス路線の廃線、高齢者問題など、割とネガティブなイメージが多いように見受けられる。
確かに200万人都市の名古屋市などと比べて地味な都市のイメージは拭えない。
新幹線も通過せず、大きなデパートも少ないし、トヨタのような大企業も多いとは言えない。
が、地方には地方の特色を活かしていく道があるんじゃないだろうか?…とこういった建築物を見るたびに思う。
正直言うと緑の船はやたらに近未来的なイメージの建築物が好きではない。
総ガラス張りの高層ビルを見ると「アホか!」とこっそり呟いてしまう。
まあ、大都市なら今更そう違和感もないだろうが、税収も少ない地方都市が「うちも都会には負けんぞ!」と場違いなビルをどかんどかんと建てるのにはちょっとげんなりする。
日本の建設・建築に関して素人ながら時々思うのは、その仕事に「情緒」や「美意識」をもっと重視してほしいということ。
その建物だけを眺めるのではなくて、地域の歴史や周囲との調和も意識して造ってほしいんだ。
コスト削減も効率も大事だけども、もっと街並を愛すべき風景として感じたいのだ。
