航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
小さな美術館 5 雪を見る会

何と麗らかな2月の始まり…(´ω`)。

今年(この冬)は本当に雪を見ていない。
きっと降って積もったら積もったでブツブツ言いそうだけど、降らなかったら降らなかったで何だかわざわざ見に行きたくなる不思議…。





ねぇ、雪を見に行かない?
見渡す限りの雪景色が見たい。

いいね、じゃあ深川や洲崎の近くで十万坪なんてどう?

ああ、いいかも!
行こう、行こう。

お江戸の雪を見に行こう!






201301-edo100fukagawasusaki.jpg





おっと鷲が鋭い目つきで狙っているよ!

大丈夫、大丈夫。
ここは丈夫な窓の内側。
時空の壁で守られているから♪








歌川広重 
 ・本名、安藤重右衛門。享年61歳。
 ・1797年(寛政9年)生まれ〜1858年10月12日(安政5年9月6日没)
名所江戸百景 深川洲崎十万坪」 1857年(安政4年)60歳の時の作。
(※同じ構図でも↑摺師の配色で色々なパターンができるのが浮世絵・版画の面白いところ!個人的にはこのアダチ版↓が絶妙で素晴らしいと思う)

hiroshige1857-edo100-fukagawa.png


いいよね〜、この構図大好き♪(もちろん摺師さんのセンスによるところも大きい)
うっかりすると我が家の小さな美術館コーナーに毎冬登場してしまう。

深川は江戸時代に造成された埋め立て地で、深川八幡宮をはじめ岡場所(*非公認の私娼屋が集まった遊郭)ができ発展していった町で、その先には江戸湾を一望できる行楽地であった洲崎があり、初日の出や汐刈り月見などで四季折々賑わっていました。

そのはずれにあった十万坪は広漠とした土地で人が生活できる場所ではありませんでした。画面上部に鷲が羽ばたく構図は、斬新で迫力のある秀作です。

★【浮世絵のアダチ版画】より




この「十万坪」と言う土地は、今から297年前の1723年(享保8年)、まだ湿地帯だった海岸を千田庄兵衛と言う近江商人だった方が「新田開発をさせてほしい!」と願い出、3年かかって普請してできた埋立地だったそうな。
享保というと…あの8代将軍徳川吉宗、そう暴れん坊将軍の時代だ!

★【暴れん坊将軍ⅡOP♪ジャジャジャーン、ジャッジャッジャッジャーン♪

(私のケータイに電話をかけるとこのテーマ曲が流れますw)
うーんこのOPは今でもやっぱり最高にカッコイイ!菊池先生と言えばこの曲です。


★【おかやま山陽高校 「仮面ライダー、Gメン75 ・・」第30回全日本高等学校選抜吹奏楽大会ついw KKC EXPRESS (菊池俊輔メドレー)より



○徳川吉宗

幕府権力の再興に務め、増税と質素倹約による幕政改革、新田開発など公共政策、公事方御定書の制定、市民の意見を取り入れるための目安箱の設置などの享保の改革を実行した。徳川家重に将軍の座を譲った後も大御所として権力を維持し、財政に直結する米相場を中心に改革を続行していたことから米将軍(八十八将軍)と呼ばれた。
by wiki


吉宗が許可したこの湿地帯の工事に当たっては江戸中の塵芥を集めて埋め立てて造成したとか。急増する江戸の人口を賄うべく新田の造成は始まったが、1731年(享保16年)末より悪天候が続く→1732年(享保17年)さらに冷夏による不作→1733年(享保18年)正月には飢饉による米価高騰などから打ちこわしが起こるなど、「享保の大飢饉」に見舞われる。

この土地は千田新田とも呼ばれ(千田さんが干拓してできた土地なので)、村があったが、海を干拓してできた土地だからか当時なかなか作物が実らず人気のない寂しい〜土地であったとも伝わる。それは歴史的な飢饉の生々しいイメージがまだ残っていたからなのかもしれない。

広重が描いたこの深川洲崎十万坪は、その享保の大飢饉からは124年後の1857年(安政4年)の作。なのでその頃のイメージはもうなかっただろう。

ただ、嘉永7年から安政元年に改元した年(1854年–1855年)は黒船にてペリーが江戸湾に再来した年であり、日本は日米和親条約(神奈川条約)やら日露和親条約を締結させられるわ安政の東南海地震が起こるわで、天下泰平の世が終わろうとしているような空気が世間にも漂っていたのではなかろうか。

その後の安政2年、安政3年でも飛騨、江戸、陸奥八戸で大地震が続いて発生、猛烈な台風による暴風・高潮に見舞われ江戸では10万人の死者が出る被害が発生したりしている。おそらく、この十万坪もかなりの被害を被ったと思われる。(163年前から日本は災害の多い国よ…)


…が、広重はその寂しいと言われた場所を描くのに、さらに最もうら寂しい季節の真冬を選んだ。しかも構図は上空からの鷲の目線で描く大胆さで、背景に降る雪はさらっと軽く散らすだけ。…動の一瞬を切り取りながらも空間の奥行きと悠久の時間を感じさせ、静謐ささえ漂う。

この、広重のデザインのセンスって何なん!?
(惚れてまうやろー!ヽ(≧∀≦)ノギャー!)



…とここまで自分で”鷲”と書いておいて何なのだが(この鳥は”鷲”と注釈がついていたので…)、この造成された十万坪には8代将軍吉宗が鷹狩りに来ていた、という云われもあるそうなので、この猛禽類は”鷹”なのでは?と思ったりしている。(呼び方はサイズの差だというけれど…鷲>鷹>鳶>隼)

後ろの二つの峰の山は筑波山で、男体山と女体山はそのシルエットで分かりやすい。私にはあまり馴染みのない山なのでピンと来なかったのだが、筑波山は富士山と並んで人気のある山で浮世絵によく登場しているそうな。


susaki-thukubayama.png


しかし、深川八幡宮(現富岡八幡宮)から筑波山までGoogle先生によると約80km、十万坪と呼ばれた土地はそこからやや筑波山寄りとはいえざっくり70kmくらいは距離があるような?70kmってかなりの距離あるよね?

…標高900m弱の筑波山ってそんなに遠くから見えるのか<(´⊙ω⊙`)!?
(※西側の男体山で標高871m、東側の女体山が標高877m)
あら、女体山の方が標高がやや高いのね。


描かれた時代の背景や場所の位置(地図)を確認しながら立体的に眺めると、浮世絵の世界はグッと近くなるような気がします。
★【錦絵でたのしむ江戸の名所>江東区】より位置図参照。





ちなみに、2年前の2018年(平成30年)は広重没後160年の記念の年だったので、この「名所江戸百景」の版画が一挙に公開されていたらしい。

広重 名所江戸百景

 会期:2018年(平成30年)4月1日~5月27日
 会場:太田記念美術館
 住所:東京都渋谷区神宮前1-10-10



★【没後160年記念。歌川広重の「名所江戸百景」全点を太田記念 美術館で一挙公開】美術手帖HP>MAGAZINE>NEWS>EXHIBITIONより

くっ、見たかったわ…。




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