船の思い出1で「和船ばかり造船していた日本では…」的な感じで、造船技術がちょっと”遅れていた”みたいな書き方をしてしまったが、その和船も精巧な模型をよくよく見てみると…

○屋形船(2階建、装飾有り)
*「御座船」?
何コレ!?すごないΣ(・□・;)ビックリ!?
だってこんな豪華な屋形船なんて、時代劇でも見たことない気がする。

○屋形船(平家建、装飾なし)
*これくらいなら見た事ある!
この辺りで展示してあったであろうもう一つの屋形船↑は上に比べれば簡素な感じだけど、それでも畳が9枚(*もしかして×2の18枚?)敷き詰めてあり、しかも障子で各3畳(*6畳?)くらいの”個室にも対応可”な作りになっている。
一番上の屋形船は2階建だし装飾だって中々に凝ってるし、よくよく見たら屋根の形状とかもう色々とすごいw
後ろの説明文がイマイチよく読めないんだけれど…こんな感じ?
=伏見の(京橋?)=
(京橋)は伏見における人乗せ三十石船の発着場の一つで、上り・下りの旅人でにぎわいました
はて?「三十石船」とはなんぞや??
持っている写真のでもっとよく分かる説明文や当時の資料が出てこないのでネットで検索(ギィ〜コ、ギィ〜コ…*ネットの海を航海中)。あった、あった!
しかしこの屋形船とは違う形状の船のような…>三十石船
うーん。
多分、後ろにある説明文の船(三十石船)と撮ったこの豪華な屋形船は明らかに違うなぁ。。。
…とやっと思ったのだが、それもそのはずで、これは屋形船…と言うべきかその豪華版の「御座船(ござぶね)」と言う船のようだ。
=御座船とは=
天皇・公家・将軍・大名などの貴人が乗るための豪華な船のこと。川用の「川御座船」と海用の「海御座船」とある。
その中でも特に最上位の”天皇の御座船”や時の権力者である"将軍の御座船"だったりすれば、TVの時代劇くらいではそうそう出てくる船でもないようなのだ。(出てきたら面白いのに…)
=天皇の御座船=
茅萱葺きで、千木・鰹木を上せる。
=将軍の御座船=
檜皮葺きで鯱を上せる。
そのほかのものは栃葺きで箱棟鬼板(はこむねおにいた)があり、唐破風、てり破風、むくり破風、あるいは入母屋造(いりもやづくり)、横棟造で、上屋形があり、また左右の高欄胴舟梁(*注1)まであるのが普通であった。
「御座船」by Wiki
(*注1)…高欄は手摺りのこと。船梁(舟梁)は船体を横に支え伸びる梁でそれぞれ別部位のことかと。
★【粟崎八幡神社の船絵馬】(日本船舶海洋工学会講演会論文集 第26号 / 論文番号:2018S-OS1-3)正会員 小嶋氏の論文
→P76の付録(弁才船の船体各部名称 12)の図面より参照。
*船絵馬のは↑とても面白い論文で、これを読むと絵馬から当時の船の姿や人々の姿も立ち上がって見えてくるような気がします。
さて、一番上の写真には千木・鰹木はないく、鯱も載っていないので”天皇の御座船”でも”将軍の御座船”でもないようで、おそらく”公家か貴族か大名級の御座船”と言うことなのかなと思われます。(*写真は10年前の2009年撮影「船の科学館」内の展示物です。記憶あやふや…)
と言うか、当時は時代劇で登場する船って小振りな川渡しの小舟とかそんなイメージで、こんな豪華な船は見た覚えもなくて「こんな船が昔の日本にあったの!?」とびっくりしたものよ。(今も見た事はないけどw)
ちなみにネットでも「御座船」は絵図とかがあまり見当たらなくて意外。
ありそうなんだけどなぁ。
慶長14年(1609年)、江戸幕府は諸大名の水軍力削減のために500石積以上の大型船の所有を禁止し、西国大名が持っていた強力な軍船安宅船(あたけぶね)のすべてを没収しました。
そこで、諸大名は安宅船に代わる関船(せきぶね)を制限いっぱいまでの大きさで建造し、船によってはこれを鮮やかな漆塗りで仕上げ、さまざまな金具で装飾した豪華な屋形を設けて御座船とし、参勤交代などに用いて大名の権威を誇示しました。
中でも、“天地丸”は寛永7年(1630年)、3代将軍家光の時代に建造され、廃船に至る幕末までの実に230年以上の間、将軍の御座船の地位にありました。大きさは500石積、76挺立(ちょうだ)で、船体、総矢倉、屋形などの全てが朱の漆塗り、随所に金銅(こんどう)の金具をつけて豪華な装飾が施され、将軍の御座船にふさわしい華麗な外観をしていました。
★【御座船(ござぶね)“天地丸(てんちまる)”】日本財団図書館「船の科学館もの知りシートNo.33/36」より(Top>技術>海洋工学・船舶工学・兵器>成果物情報)
さすが「船の科学館」、なかなか見つからない「御座船」の資料がさらっと出てきた。
もしかして我が家の開かずの間とかにも当時の資料とかが埋もれているかもしれないんだけど、欲しい時に出てくる気配がないわ|ω・`)。。。
…と思っていたら。
一番上の豪華な屋形船の資料が見つかりました!
※後日追記:「川御座船」(復元模型) 縮尺1/20
これは、18世紀中期の金沢氏(*注2)の図面(宝暦3年:1753年の川御座船の図面)に基づいて、復元制作した川御座船の模型と判明〜!
(*注2)金沢貞友…川御座船を得意とした大坂の船匠(せんしょう)
模型は屋形の細部まで丁寧に描かれ残っていた図面(縮尺1/10)
を参考にして復元してある。
将軍や大名が、川で用いる御座船を川御座船といいます。水軍の主力艦をあてる海御座船と違って、川御座船には軍船としての機能はなく、淀川の過書船と同じ系統の川船に、大きくて豪華な屋形を設けて用いられました。
★【川御座船(かわござぶね)】日本財団図書館「船の科学館ものしりシート」より(Top>社会科学>社会>成果物情報)
すごい、今から266年前の図面が残っていてそれで模型が復元できるとか!
この「ものしりシート」には分かりやすく復元図面も掲載してあって、当時展示物にもあったか記憶はないんだけれど、こんな図面をみて面白いと思える感覚は、きっと今の方が強いから不思議なものです。
「図面、図面の絵葉書をもっとちょうだい!」
(」゚ロ゚)」カモンッ
★【2011ディスカバー九州!再び 10 阿蘇神社(ラスト!)】
2019年(平成31年)01/21(月) 記事参照〜。
「船の科学館」へ行った時はもう10年前の2009年で当時も驚いたとは思うけれど、250年以上前となると266年前も256年前も多少の差に思えてそう変わらない気もするわねw
ちなみに、東京にはこの将軍の軍用艦を模した現代の御座船「安宅丸(あたけまる)」に乗れるクルーズがあるらしい!
こちらは所謂「海御座船(うみござぶね)」と言う事でしょうか。
★【御座船「安宅丸」HP】
=安宅丸(あたけまる)とは=
寛永9年(1632年):徳川3代将軍家光公の在任期
向井将監忠勝が指揮をとり寛永11年(1634年)に完成させた軍用船で、別名「天下丸」(*1御座船「天地丸」とは別船)といわれた。
(中略)
天和2年(1682年):5代将軍徳川綱吉公の在任期
徳川家も盤石、政治が安定し軍事的な役目の必要性がなくなったことや、さらに船の装飾の維持費用が莫大であったこともあり、幕府の財政建て直しが求められていたため解体される。(*1御座船「天地丸」は幕末まで残っていた)
正徳元年(1711年):6代将軍徳川家宣公の在任中
幕政に関与していた新井白石が向井将鑑正員に「安宅丸(別名:天下丸)」について資料をまとめさせた。
『安宅御船仕様帳』、『安宅御船諸色注文書』による船の記録ではかなりの大きさだったとされる。
○全長:62 m(!)
○肩幅(船体の幅):約16.2 m(!)
*この規模は1637年(*寛永14年:島原の乱があった年)に完成したイギリスの巨艦ソブリン・オブ・ザ・シーズ(海の帝王)とほぼ同じレベル。(*模型で制作された方の写真があるが、模型でも”巨艦”だと言うのが分かるくらい大きい!)
当時としては世界的な巨艦であったといえるサイズという事だが、これが記されたのは安宅丸が造られて80年程、解体されてからすでに30年程を経ていた時であるため、記録としての確証はないようだが、存在していた頃は日本一の富士山に例えられるなど、確かにその巨体と豪華さで当時の江戸庶民の記憶に強烈なインパクトを与えたようだ。
現在東京湾を運航している御座船「安宅丸」は、この伝説の巨船安宅丸をテーマとしたクルーズ船だ。
安宅丸に関する確かな記録資料は現存してないが、その影響をうけたとされる後世の諸大名が使用した御座船などを参考にし、現代要素を取り入れつつ、歴史浪漫を感じさせるテーマ船を表現しているという。
参考文献:石井謙治「和船Ⅱ」法政大学出版局(ものと人間の文化史)1995年
*?廃船にしたのはいつなんだっけ??出典によって違うのか…?
○後日補正:→「安宅丸(別名:天下丸)」は5代将軍綱吉の時代に解体。
「天地丸」は幕末まで存在したがその後解体。
おお!そんなクルーズ船があったのか、しかもデザインはあの九州の超豪華列車「ななつ星」や「或る列車」をデザインした水戸岡鋭治氏ではないか!!気になる!

おお〜!さすが水戸岡さんのデザイン、なんかカッコいい!
どれどれ、実物は…
あれ、なんかちょっと違う…。。。(゚д゚)。

「ななつ星」や「或る列車」など豪華列車やコンセプト列車の場合は、水戸岡氏の素敵デザインがすごく実物に落とし込まれていると思うのだけれど…。
★【クルーズトレイン「ななつ星in九州」|JR九州】車両の紹介より
うーん、素敵〜(*´v`)!
★【JR九州|JR KYUSHU SWEET TRAIN 「或る列車」】
デザイン・車内装備より
個人的には原信太郎氏の作ったオリジナルの模型に忠実なデザインでの1/1スケール
列車も見てみたいなぁ。あのデザインの軽やかさは今では無理なんだろうか。。。
模型からこんな豪華列車が実現するなんて!Σ(´Д`*)模型も侮れんな…
(色んな船のデザインもこんな感じでカッコ良くならんかな…)
この現代の御座船「安宅丸」もコンセプトは面白いし豪華なんだけど、豪華なんだけど…。
多分、私は歴史的には正解の朱塗りの派手な御座船よりも、一番上の川御座船の模型みたいに白木でシンプルな装飾の御座船の方が好みみたい。。。
決して水戸岡氏のデザインが悪いというわけではないんです…。
多分、ちょっと期待してたのと違って
素人の勝手な印象ですが、特に和船の雰囲気の場合、船のコンセプトデザインとそれを実際に造船する上でのトータルな美的センスの一致と言う作業は実はかなり難しい、という事なのではないかと思ったのでした。