また無駄に長くなりそうだったけどこんなになってまった…。写真そのものはそう多くないのに調べながら面白がってあれこれ書いたらこんなことにw

○ロシア第2太平洋艦隊(バルチック艦隊):第1艦船隊の小模型(一部)

○日本連合艦隊:第2戦隊の小模型(一部)
すっかり忘れていたことも写真があればするっと思い出せる、と言うか後で調べればさらに深く染み込んでくる感じが最近は新鮮なので昔の写真もok!としようと思う。
ドゥルルルルル… ジャン! 真打ち登場!
縮尺1/50、模型なのに存在感がすっごく大きい!!そして細かい!!
キタコレ戦艦「大和」ギャ━(゚∀゚)━!

○1940年(昭和14年):戦艦「大和」(模型でもデカイ!!)

○1940年(昭和14年)戦艦「大和」:船首部分(そしてカッコイイ!)

○1940年(昭和14年)戦艦「大和」:甲板から艦橋、三連砲台を前から。
船首からのグラマラスなラインとウッドデッキの甲板が何となくオシャレ!

○1940年(昭和14年)戦艦「大和」
お約束!?『宇宙戦艦ヤマト』っぽいアングルでw
★【【 宇宙戦艦ヤマト 】エレクトーン演奏】826askaさん演奏より
いや、…ついw
なんかもう(宇宙)戦艦大和(ヤマト)といったらこれでしょ的な。
当時多分まだ小学生女子のエレクトーンによる一人ヤマト♪が素晴らしくて。以下BGM代りにお聞きください。
と言うか、これって一人で演奏できるんだね…Σ(・□・;)スゴーイ!
「みんなよく聞け。我々はいよいよ放射能除去装置を受け取りにマゼラン星雲イスカンダルへ向かう。
★【マゼラン星雲:南半球だけで見られる「マゼラン星雲」は、地球にいちばん近い銀河】
宇宙情報センター(JAXA:ジャクサ)HPより参照

しかし我々は、宇宙戦艦ヤマトを完成したとは言え全て未知数だ。
一方ガミラスはどこからでも我々の目標を攻撃してくる力を持っているが、まだ我々地球人類は彼らの前線基地が冥王星付近にあると言うこと以外はガミラス星の位置すら発見することができない。
これは、我々とガミラスとの間にはっきりとした力の差があると言うことだ。
それでも我々は、一年と言う限られた日数の中で生きて帰り、地球を救わなければならない。しかもワシは諸君の安全を保障してやることはできない。
…諸君に選択の機会を与える。
抜けたい者は交信の間に抜けてくれ。
ワシはヤマトで待っておる。以上!」
西暦1945年、第二次大戦は今や終わろうとしていた。
押し寄せる300余隻の米軍艦隊に戦いを挑むべく、戦艦大和は護衛艦10隻を従え、日本海軍最後の大艦隊として出撃していったのである。もはや一機の空中援護機もなく片道分の燃料だけを積んでのそれは、2度と帰らぬことを前提とした、決死の出撃であった。
時に4月6日午前7時04分。戦艦大和は米空母群から発進した延べ1000機にも及ぶ艦載機の反復攻撃に晒された。
午後3時、この最大最強の大戦艦は九州南東の坊ノ岬沖(*鹿児島県沖の九州南方海域)、260度90マイルの海底へ巨大な黒煙を上げて没し去ったのである。
★【坊ノ岬沖海戦(大和、帰還セズ)】図1(坊の岬沖海戦)参照。
航行は○呉(広島県)4/2 10:00→○三田尻(山口県)4/6 15:00
→○豊後水道沖4/6 22:00→○宮崎県沖4/7 00:00→坊の岬付近(鹿児島県)4/7 06:00→●「大和沈没4月7日14:23 北緯30度40分 東経128度3分」となっている。
歴史の流れは、大戦艦の時代から航空機の時代へと移っていた。空を飛べない限り大和の運命は海の底に眠るしかなかった。
…
今や、イスカンダルから送られたエンジンの設計器により宇宙を飛ぶ戦艦に改造された”ヤマト”は、放射能除去装置を受け取りにイスカンダルを目指していく。
往復29万6千光年、(あと363日)
人類の未来をかけて宇宙戦艦ヤマトは飛び立つ。
(『宇宙戦艦ヤマト』ナレーションより)

「波動砲用意、…発射ぁーーっ!!」
心の中で沖田艦長が叫んでおります…( T ^ T )ゞ。

○戦艦「大和」:甲板の三連砲台。一番前と中(46センチ主砲)
ミニチュアライズしてちょっと奥行き感を出してみた。
『宇宙戦艦ヤマト』の設定では、西暦2199年、九州坊ノ岬沖で沈んだ戦艦大和が海水が干上がったため発見され、宇宙移民船へと改造中と言うところから始まります。
九州沖の海が干上がるほどその頃の地球は環境が様変わりしており、”青い地球”ではなく火星のように赤く干からび放射能に塗れた星になっている上、環境汚染が激しく人類は地下に都市を築いて生き延びています。その地下都市で戦艦大和の改造が進んでいたのです。(環境変化の理由がなんでだったかは忘れた…)
色々徘徊してたらめっちゃ面白いサイトを見つけてガン読みw
リアルかどうかはさておき、いいね、いいね!こーゆーの大好き!
=ファンタジー営業部とは=
「ファンタジー営業部」は、アニメ、マンガ、ゲームといった空想世界に存在する、特徴ある建造物を当社が本当に受注し現状の技術および材料で建設するとしたらどうなるか、について工期、工費を含め原則月一回の連載形式で公開するコンテンツです。
2003年2月に最初の連載を開始しました。
★【前田建設ファンタジー営業部:宇宙戦艦ヤマト2199 建造準備および発進準備工事】PROJECT-06
「第2回 我が赴くは土の塊」参照〜。
放射能で汚染された地球を救うにはイスカンダル星にあると言う放射能除去装置・コスモクリーナーを取りに行かねばならず、そのために波動エンジンを搭載し再び戦艦ヤマトとして一年の期限(地球がこのまま人類の住める星でいられる期間)で旅立つのです。
ちなみにこのコスモクリーナーの情報をもたらしたのはイスカンダルのスターシアという女性です。(*スターシャともありますが、聞こえた雰囲気でスターシアと表記しています)
メッセンジャー(妹のサーシア)は火星に飛行艇で墜落し亡くなっていますが通信カプセルを残していました。
(*平井道子さんのあのお美しい声で再生ください)
親愛なる地球の皆さん、私はイスカンダルのスターシア。
ガミラスの放射能によって地球の全生物が滅びるのは、後わずかに一年。
彼らはそれを待っているのです。
地球型の空気の中ではガミラス人は生きてはいけません。
しかし、私どもの星には放射能除去装置があります。
これを使う以外に地球を救う道はありません。
今私は、妹サーシアに超高速波動エンジンの設計図を持たせました。
運よくこのメッセージがあなた方の手に渡ったら、このエンジンを組み立てて、イスカンダルへ来るのです。
私どもの星は、銀河系を隔てること14万8千光年、マゼラン星雲にあります。
私は、イスカンダルのスターシア…
(通信カプセルのメッセージより)
すっかり忘れていたw
細かい設定を思い出させてくれてありがとう、スターシア!
主題歌に出てくるので敵の星がイスカンダルだと思い込んでたわ。。。
イスカンダルへは地球の汚染環境を解消するため、地球を守るためにヤマトの諸君が遥々目指すんだったわね!
改めて見ると、アニメの動きは今時に比べれば硬いけれど、設定や諸々のデザインは今も面白いと思うから松本零士先生の原作マンガがやっぱりすごいのだと思うわ…!
戦艦大和の沈没位置は、”北緯30度43分17秒 東経128度04分00秒”(*出典によって北緯30度40分、東経128度3分03分とも)とか。
アニメでは沈没した大和の朽ちた艦橋が”この辺”にあると出てますが、位置は…ここでいいんでしょうか!?
沈没位置が九州本土から260kmの沖合ならもっと離れているような…?
あれ、この位置は戦艦大和の宇宙船改造の情報を聞きつけて、ガミラスの偵察機が飛来した地点だったかしら?今改めて見た感じだと、九州本土(鹿児島県坊ノ岬)にちょっと近すぎですもんね…(*2199年の設定なので日本の地形は若干変形しているという設定なのかも?)

○アニメ『宇宙戦艦ヤマト』より
出典により北緯30度の22分だったり40分だったり43分だったりなので、グーグル先生で比較してみました。
<北緯30度22分17秒 東経128度04分00秒>
★【座標:30°22'17.0"N 128°04'00.0"E】
<北緯30度43分17秒 東経128度04分秒>
こちらは1985年(昭和60年)の夏、ヨーロッパからチャーターした潜水艇パイセスを戦艦「大和」が沈没しているでろう水深まで潜行させ発見した、という座標なのでこちらが正解か。
★【【連載】戦艦大和発見!団塊オヤジの東シナ海探索航(4)】2008年(平成20年)06/15記事より。
★【座標:30°43'17.0"N 128°04'00.0"E 】
パッと見ですが、22分も43分もどっちも大体のところは似た感じなので、あのアニメでパネルに映った位置の方が距離感がちょっと違ったようです。(そもそもここに大和があるとは言ってなかったかも…?)

○戦艦「大和」:艦橋下の一番奥の砲台(15.5センチ副砲)
各小道具の作り込みがすごい(´▽`*)b☆!
もうここまでくるとモデラーも匠とか職人技と呼んでいい神業の域でしょう。
写真のどれが高角砲(12.7センチ高角砲)かちょっと分からない(汗)
あのちっこいのは機関銃のような?
この下の写真↓の砲身に白いラインが入っているのかなぁ?(誤:違います)

○戦艦「大和」:左舷中央部から後方へ。

○戦艦「大和」:左舷中央部から艦橋。
(*高角砲…丸い砲台の下から3段目。小・大・中←これ)

○戦艦「大和」:艦橋。
この手すりやライトなど細部の作り込みに萌える…Σ(´Д`*)凄すぎ…
この模型を製作された故河井登喜夫氏は、艦艇模型製作の世界的第一人者であった方だそうです。(この模型を見ればお分かりでしょうwほんとスゴイw)
氏は1984年(昭和59年)5月、自ら製作したこの1/50スケールの戦艦「大和」の模型(全長5.2m)をトラックで精進湖まで運んで航走会を開催しております。そして、実際にこの模型は湖上で航行した(!)と言うことです。トラックにその「大和」が積んである写真がありますが、その大きさに驚きと共に笑いも出ますw
★【精進湖に浮かんだ戦艦大和大模型】(江鷹会の談話室)2011年(平成23年)8/18記事より参照。
河井氏は船舶模型部品の会社を経営されていたと言うことですが、そもそも少年時代は大の飛行機好きで、創作飛行機を描いては雑誌に投稿するのが趣味だったそうです。
しかしあまりに卓越したその構想力により、当時のアメリカ軍のスパイが河井少年のスケッチを実在の飛行機と誤認、本国に送信したというエピソードもある位なのだとか。
その飛行少年だった氏が軍艦模型にスライドしたきっかけが、1967年(昭和42年)の「モデルアート」誌に掲載された軍艦模型に衝撃を受けてからだとありますから44歳以降のことかと思われます。
「モデルアート」の何月号だったのかは不明ですが、同雑誌のバックナンバーをチラッと見たところ、1967年(昭和42年)6月号(第5集)の特集で、零式艦上戦闘機一一型・零式艦上戦闘機二一型の写真と詳細なデータが記載されており、日本海軍航空巡洋艦「利根」1/400スケールの模型が掲載されていたので、これではないかと推測。
そこから艦艇模型製作に取り掛かり17年後、還暦を超えた61歳の氏は1984年(昭和59年)5月に1/50スケールの戦艦「大和」の模型を精進湖にて実際に航行させるわけです!このバイタリティーがスゴイ!(*模型の完成は1983年(昭和58年)で16年後。)
その精巧な戦艦「大和」の模型(1/50スケール)は後に「船の科学館」に寄贈され、ここに掲載されている写真の模型がまさにそれなのです。(*撮影は10年前の2009年/平成21年)
=河井登喜夫=
1923年(大正12年)生まれ。船舶模型部品の会社を経営する傍ら、日本海軍艦艇模型保存会を主催(同会代表)。艦船模型の第一人者として、徹底した資料調査をもとに旧日本海軍の戦艦、巡洋艦、駆逐艦の復元模型を多数製作。特に「大和」の模型に関しては、50分の1、100分の1、200分の1のスケールモデルを製作し、戦艦「大和」資料の専門家としても知られる。1999年(平成11年)11月、10分の1スケールの「大和」を製作途上にて永眠(享年76歳)。本書が遺作となった。
『甦る戦艦大和 : 超精密1/100スケールモデル特写』
河井登喜夫監修:KMS戦艦大和10分の1模型製作実行委員会 編(1999年/平成11年9月工作舎より発行)

○戦艦「大和」:右舷後方、船尾より。
こうしてこんな美しい模型を見ることができたので、今思えばあの時「船の科学館」へ行っておいてよかったと本当に思う。(この麗しい模型たちは今もちゃんと管理されているのだと信じたい。。。)
この時興奮して写真を撮りまくったものの、当時あまりデータの空き容量もなく本当はもっと写真を撮りたかったのだけれど、「キリがないから今回はこれくらいでまぁいっか!」(また次回で!)とちょっとしか撮らなかったのね。
かれこれ8年にもなるって言うのにまだ本館が休館中だなんて思わないから…
もっと撮っておくべきだったわよ(´;ω;`)ブワッ

=戦艦「大和」1940年(※進水年)説明文より=
史上最大の戦艦として歴史に名をとどめるのが旧日本海軍の建造した「大和」です。大艦巨砲主義を象徴する不沈艦として極秘に建造され、世界最大の46センチ主砲9門を搭載していました。第二次世界大戦中におけるマリアナ沖海戦、フィリピン島沖海戦などに参加した後、昭和20年(1945年)に九州南方洋上でアメリカ空母の艦載航空機の攻撃を受けて沈没しました。(模型は最終時の状況を再現しています)
○トン数:64,000 排水トン(基準)
○長さ:244.0 m
○幅:36.9 m
○喫水:10.4 m
○速力:27.0 ノット
○主機関:蒸気タービン(150,000馬力)
○乗員: 約2,500 名
○主要装備:
46センチ主砲…9門(前6門、後ろ3門)
15.5センチ副砲…6門(前3門、後ろ3門)
12.7センチ高角砲…24基
建造所:呉海軍工廠(くれ海軍こうしょう)
所属:旧日本海軍
進水:昭和15年(1940年)8月
竣工:昭和16年(1941年)12月
縮尺:1/50
◆寄贈:日本海軍艦艇模型保存会 河井登喜夫氏
*1983年(昭和58年)8月、完成。
*1985年(昭和60年)2月、「船の科学館」に寄贈。
呉海軍工廠と言えば、最近では近年ロングラン上映で有名になったアニメ映画『この世界の片隅で』(原作:こうの史代、監督:片渕須直)をご覧になった方は「ああ、あそこね!」と思い出されるでしょう。
★【すずさんと私たちは、何が同じなのか? 映画『この世界の片隅に』監督・片渕須直さんが見つけた希望】(はじめよう、これからの暮らしと社会 KOKOCARA:2018年(平成30年)07月23日記事)より
★【アニメ映画『この世界の片隅に』公式サイト】
→英語版★【 In This Corner of the World |Official Web site】
ちなみに呉市の「大和ミュージアム」では現在こんな↓企画展が行なわれています。
★<第27回企画展「海底に眠る軍艦
〜「大和」と「武蔵」〜>
○場所:広島県呉市宝町5番20号
○期間:2019年(平成31年)年4月24日(水)〜
2020年(令和2年)1月26日(日)
○時間:9:00〜18:00(入館は17:30まで)
○休館日:*基本(火)ですが
<開館日カレンダー>でご確認ください。
○入館料:一般(大学生以上) 800円(400円)
高校生 500円(300円)
小・中学生 300円(200円)
※常設展とのセット料金
※( )内料金は企画展のみの料金
※呉市内在住、在学の高校生以下は無料
近年、潜水調査の進展により、日本海軍艦艇について、新たな発見が報告されています。 2016年(平成28年)には呉市が戦艦「大和」潜水調査を実施、その前年には民間調査によって大和型戦艦「武蔵」を発見、同年には「大和」とともに沖縄戦に向かった第二艦隊駆逐艦「磯風」が発見されました。こうした日本海軍艦艇は太平洋戦争中に沈没、また戦後に処分され、海底に沈んでいます。
本企画展では、太平洋戦争の経過を概観しつつ、近年の潜水調査により撮影された動画や静止画によって、海底に遺された日本海軍艦艇の現状を紹介します。あわせて、2016年(平成28年)に寄贈された戦艦「大和」引揚品も初公開します。
この大和ミュージアムでは戦艦「大和」の10分の1スケール模型が展示されています。縮尺版ながらその大きさは全長 2 6 . 3 m!?(「船の科学館」の1/50スケールでもデカイ!と思ったのにさらにその5倍の大きさとはどんだけなのか…)
★【呉市海事歴史科学館:大和ミュージアム】(*2005年:平成17年4月23日開館) より参照。
河井氏はこの大和ミュージアムの建設にも大いに貢献されたそうですね。
広島県の呉港は、先にご紹介した女子高生南極アニメ『宇宙より遠い場所』でもちらっと登場した港で、諸々と船に興味のある人は一度は行っておきたい場所かもしれません。
★【10年後のラブレター2枚目:2018(H30)女子高生、南極へ行く!〜初代南極観測船「宗谷」からの軌跡〜】 2019(R1年)/06/29(土) 記事参照〜。

○戦艦「大和」:右舷後方より甲板後ろのアップ。
(複葉の水上観測機が3機搭載されている)
しかし離陸はともかく、着陸はどうするのだろうか??
艦上には降りないで海上からクレーンとかで釣り上げて収容とか??
河井氏が艦艇模型の第一人者だったとありますが、やはり元々が飛行少年。得意の飛行機(艦載機)もきっちり製作されており妥協がありません。

○戦艦「大和」:艦載機を左舷前方より。
帝国海軍に採用された機体としては最後の複葉機となる水上観測機。
従来の水上偵察機から格闘性能が向上しており、敵機の妨害を排除しつつ任務遂行できる機体になりました。三菱重工業が開発・製造しており、新型エンジンである「瑞星」を搭載していました。
本来は弾着確認のための機体でしたが、その活躍の場がなく、偵察機として運用されました。高い格闘性能を活かし、終戦間際まで活躍しました。本品では、戦艦大和に艦載されていた零式観測機を1/87スケールのダイキャストモデルで再現しています。
★【大和ミュージアム関連グッズ販売戦艦大和ショップ(零式観測機 戦艦大和艦載機)】説明文より

○戦艦「大和」:船尾のアップ。
模型ではこの”旗”のディティールが意外と難しいと思うけど、とっても雰囲気よくできている旭日旗!本当に今にもはためきそう!
何と言うか、戦艦なんだけれど細部のディティールとか全体のバランスとか驚くほど美しい。
戦火で沈んでしまったのが返す返すも惜しい。まあ実戦で生き残っても戦後の報復でアメリカとかに水爆実験とかで爆破させられただろうけれど…(坊主が憎いと袈裟まで憎くなると言うヤツです)
極秘裏に建造されたのと終戦間際に設計図や資料も散失したとかで、実際の戦艦「大和」も沈んでしまったため詳細が不明な部分もあるそうで、この模型の「大和」も後の考証で違いが指摘される部分もいくつかあるらしい。
しかし模型にも色々ありますが、10年後の今改めて見ても、それこそ模型に興味のない私が惚れ惚れするほどの出来で、その美しさはきっと初めて見る者をも感動させるでしょう。
この河井氏の戦艦「大和」の模型(1/50)が群を抜いて美しいのは変わらないように思います。精魂込めてつくられた模型には、文字通り魂が宿るんではないかと思うほどに。