南の縁側からは北へ向かって三つの部屋が襖で繋がっている。

開け放たれた部屋からそれぞれに南の庭、西の庭、北の庭、が望めるようになっている。
この庭こそが、ヘルン先生こと小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)を魅了した庭だ。
この屋敷に来る以前は、ヘルン先生は川のそばの「可愛らしい鳥籠のような」2階建て住居に住んでいて、日々宍道湖の夕景や大橋川の眺め、山に雲の棚引く霞みがかった幻想的な風景に飽きることがないと綴っていた。
そこからこの松江城北堀の屋敷に移り住んだのは、本格的に暑い夏の季節を目前にセツ夫人と結婚してそれまでの家が手狭になったことと、かねてから「庭のある武家屋敷に住んでみたい~!」という願望があり、それをこの土地で世話になり友人となった西田千太郎氏(*)に伝えたところ、たまたま空家になっていたこの屋敷を借りられるよう持ち主であった根岸干夫氏に取り継いでもらえたからだった。
*西田氏はへるん先生が赴任してきた中学校で英語を受け持っていた先生。
西田は実に親切にしてくれる。西田はとにかく親切な人だ。自分にできることはどんなこともしてくれ、それでいていつも、もっとお手伝いできることがあればいいのですがと残念がっている。
『新編 日本の面影』ラフカディオ・ハーン…「英語教師の日記から」第2章より
明治24年(1891年)6月22日、ヘルン先生はセツ夫人、女中、子猫とともにわずかの家具を携えて、大橋川そばの鳥籠のような家からこの屋敷に引っ越してくる。
開放的で松江特有の瑞々しい風景を満喫できる川のほとりの家屋と比べると、当初この屋敷は高い塀に囲まれ、山河の風景はほとんど望めない閉鎖的な印象を与えたという。
しかし、門を潜って入った屋敷には中にいる者だけに見ることが許される、素晴らしい庭が待っていた。
三つに区切られた南北に並ぶ部屋から眺めるそれぞれの庭は、それまでの山河の風景と引き換えにしても余りある!、とさえ思えるほどヘルン先生を魅了した。

真中にある部屋(西の部屋)は、最も光の入りにくい部屋だと思われるが、全ての襖障子を開放している限り、暗さは感じられない。
西窓と南部屋からの光で十分明るい。(電灯も点いているけど)

窓は西の一面にあるだけだが、左右と西からの光で天気の良い日には、最も落ち着いた採光の部屋であるかもしれないと思う。
そのためか、この西の部屋は「絵」を鑑賞するのにも適しているような気がした。
部屋の東側にある床の間には季節の掛け軸が飾ってあり、その絵の延長であるように生け花の水盆があった。
生け花の観賞に長けているわけではない緑の船だが、この掛け軸の絵と生けてあるまだ咲いていない梅の枝の「S」の字の流れがとても気に入ってしばし見とれる。
うーん、2次元から3次元への組み合わせが絶妙でステキ♪

その部屋の南側から見た欄間には「松」の絵が描かれており、同じくその裏側である部分(北側からみた絵)には、「ススキ」の絵が描かれている。

最も自然から(縁側から)遠いと思われる真ん中の部屋には、そういった風で「自然」に溢れている。
もちろん、この部屋からも西庭が望める。

屋敷の前面にあたる庭の中心は、南向きの位置にある。そこから庭は、西へ向かって北側との境まで伸び、その境界は一風変わった垣根で部分的に仕切られたいる。
その庭には、ずいぶん苔蒸した大きな岩があり、水を湛えた風変わりな石の水盤もいくつか据えてある。歳月を経て緑色になった石灯籠や、城の天守閣に見られるような鯱(しゃちほこ)もある。この大きな石の魚は想像上の海豚(イルカ)のことで、頭を地面につけ、尾を空中にはね上げている。
老木の茂っている小山もある。緑の草の長い斜面もあって、花をつけた潅木が影を落としており、川岸の土手のようである。緑に覆われた築山は小島を思わせる。
これらの緑鮮やかな小高い隆起は、川の流れを模した、絹のようになめらかな淡黄色の砂地から盛り上がっている。その砂地の上は踏んではいけない。踏むにはあまりに美しすぎる。
『新編 日本の面影』ラフカディオ・ハーン…「日本の庭にて」第3章より
