航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
小さな美術館 2 風巻き立つ(しまきたつ)

小さな美術館シリーズの第2弾…
小さなお花見編を含めると第3弾(-∀-)?)*2019(平成31年)/4/5(金)記事参照〜

絵を飾りたいけど、意外とお家にはそのスペースがない。。。
なので我が家には小さな美術館コーナーをいくつか設けてあり、色々とたまにひっそり展示会などしておりますw






…と言うわけで。

あるコーナーではここ数年のお気に入り、”旅情詩人”川瀬巴水(かわせはすい)の版画の世界を ”初夏” バージョンで展示中なのでございます。







201906-Smallart2-2.jpg




暑い日は、こんな海辺の別荘でのんびりウトウトもいいよね〜。
おや、風もないのに白い帆を上げて船が進んでいるよ。









…それとも。
どこか静かな池の畔で読書に浸ろうか。



201906-Smallart2-3.jpg





ああ、気がついたらもう一番星が出ていたよ。








まだ梅雨は明けてはおりませんが、ちょうど本日は夏至
これからはまただんだん日は短くなってゆくわけですが、気候としてはいよいよ本格的にクソ暑い夏が来るなと感じます。
(灼熱という言葉通り、もはや ”熱い”と言う表記でもいいと思う…。゚(A´ _`;)゚。.アチチ

=夏至とは=

北半球では1年のうちでもっとも昼の時間が長い日。
毎年日付は異なるが、大体6/21か6/22。
今年(2019年:令和元年)は6/22(土)
日本では1年を24分割した「二十四節気」のうちの10番目に当たる。「二十四節気」における”夏至”の期間は6/22〜7/6頃までを指す。

  =2019年版=

立夏:5/6(月)〜5/21(月)頃
   夏の始まり

小満:5/22(火)〜6/5(水)頃
   陽気が天地に満ち溢れる様

芒種:6/6(木)〜6/21(金)頃
   穀物の種などを蒔く時期

夏至:6/22(土)〜7/6(土)頃
   一年で最も南中高度(太陽の昇位置)が高い日
*日本では古くは現在の一年間(12ケ月)は6ケ月ごとを一年と考えていたとされ、そのころの大晦日に当たる日(6月末)に夏越の祓(なごしのはらえ)が行われます。

小暑:7/7(日)〜7/22(月)頃
   どんどんと暑くなる時期

大暑:7/23(火)〜8/7(水)頃
   一年でも最も暑さが厳しい時期

★【二十四節気(にじゅうしせっき)とは|意味の解説や24節気カレンダー2019年版付】(神仏ネット)より



暦の上では立夏はもう5月でとっくに”夏”は来ていて、初夏(4月)、仲夏(5月)、晩夏(6月)で括ると、夏至の今はもう”晩夏”に区分されます。
参考→★【和暦を知る/03.四季の区分 ②初・仲・晩】(月のこよみ)サイトより


…が、いやいやいや( ; ゚Д゚)⊃))☆(猛暑の)夏はこれからでしょwと突っ込みたくなり、今のこの気候はやっぱり”初夏”と呼びたいところなのです。




川瀬巴水「東京十二題」より=(江戸東京博物館:収蔵品より)

○「品川沖
  大正9年(1920年)作(37歳)
  木版(多色)24.0cm × 36.5cm

現代の品川→*(東京23区:現在地錦絵でたのしむ江戸の名所地図より

品川沖では魚介類が豊富に獲れ、「江戸前」の呼び名もここから生まれた。将軍家に獲れたものを献上する「御菜肴八ヶ浦おさいさかなはちがうら」の一つとして、漁業が盛んに行われたが、黒船来航以後御台場が築かれると、軍艦等の往来により大規模な漁具が使用できなくなり、全国的に有名であった海苔採取業が一層盛んとなった。
また遠浅の海で、昼過ぎには沖合まで干潟になることから、春や夏は早朝に舟で沖まで行き、干潮を待って蛎や蛤、平目や海藻を採る人々で賑わった。6月7日には、当時目黒川の南にあった荏原神社と川を挟んで北にあった品川明神社の両社の神輿が橋で行きあった後、また南北に分かれる品川天王祭が開催され、潮干狩りとともに江戸の年中行事の一つとなっていた。



201906-hasui-shinagawaoki.jpg

※若干色補正し、カラフルな印象にしてみた♪
(今時の画像ソフトってスゴイね!自分でやっててビックリw)


川瀬巴水:東京十二題より「品川沖」(*緑の船ver.)



”江戸”が”東京”になってからもその雰囲気はそう変わらなかったのか、近代である大正9年作の「品川沖」からは実に長閑な雰囲気が感じられる。
大正9年(1920年)からほぼ100年後、今のお台場が様変わりするのも当然だけれどこの頃のような風景が今もどこかにあったらな、とも思ったりする緑の船です。

ちなみに今回のタイトルの「風巻立つ(しまきたつ)」は、『蟲師』第9巻の中にある…(ry →★【『蟲師』第9巻:講談社コミックプラス】参照




★【船の科学館HP】:東京都品川区東八潮3丁目1




ところで…

私にとってお台場とは船の科学館南極観測船「宗谷」のある場所だ(=゚ω゚)ノ!

*私の「宗谷」愛♡については過去記事参照。(すでに10年前だったわw)
 →お台場とガンダムと特務艦「宗谷」編(全4編)2009(平成21年)
★【お台場とガンダムと特務艦「宗谷」1 ゆりかもめに揺られて】2009/08/11(火)
★【お台場とガンダムと特務艦「宗谷」2 きっかけは何でもいい!】2009/08/18(火)
★【お台場とガンダムと特務艦「宗谷」3 オレンジ色の船影】2009/08/25(火)
★【お台場とガンダムと特務艦「宗谷」4 限界の中での最善】2009/09/03(木)




<令和元年、今現在の品川沖> by Googel 3D地図より
201906-souya-fune2.png



明治5年(1872年)、品川駅〜横浜駅間で国内初の鉄道が開通した当初も品川駅のすぐ側まで波打ち際で長閑な雰囲気だった様です。
大正9年(1920年)作の「品川沖」で描かれたあの白い帆船も海苔の摘採船だったかもしれない。
また、奥に小島のように見えるのはおそらく”御台場”で、黒船以降に東京(江戸)を守るために築かれた要塞だったそうだが、1890年出版の「Keeling’s Guide to Japan」↓(W.E.L.キーリング著の有名な”日本旅行ガイドブック” *129年前の!)には”しかし、もう要塞は解体されている”との記述がある。*→データベースの75P/224Pの「SHINAGAWA」(ガイドブック上では53P)参照。

★【Keeling’s Guide to Japan】(Internet Archive)*海外サイトより
201906-keelings-guide-to-japan.png
*ウヒョー(((o(*゚▽゚*)o)))ナニコレ!原本が読めるの!?

ちなみにこの1890年は明治23年、のちに小泉八雲と名乗ったギリシャ生まれのイギリス人だったラフカディオ・ハーンが4月に来日、8月には松江尋常中学校の英語教師として赴任してきた年だ。
★【小泉八雲】(NPO法人国際留学生協会:Top>向学新聞>現代日本の源流>小泉八雲)サイトより。

なので、このガイドブックが出版された30年後に描かれた「品川沖」のあの小島は、土台だけになった”御台場”なのだろうなと思われます。

※参考→★【OLD PHOTOS of JAPAN:1880年代の品川駅
*「海苔の摘採船、品川。明治28年(1895年)」の写真より


<令和元年、今現在の品川沖:その2> by Googel 3D地図より
201906-sinagawaoki-chizu.jpg
(*図をクリックすると大きくなります。)

明治元年(1868年)から52年後の大正9年(1920年)の海辺の風景が、巴水の描いたあの長閑な「品川沖」。それから99年後の令和元年(2019年)の今現在。

巴水も自分が描いてからほぼ100年後の”品川沖”が、まさか こ ん な に w
様変わりしているだなんて想像だにできなかったであろうよ…。



しかし、同時に見てみたいとも思う。
もし巴水が描くとしたら、令和元年の”品川沖”をどう描くだろうかと。
                      ○o。○゚○。o○(´-`)ポヤーン








フェルメールもそんなに大きな作品はない印象だったけれども(*小さな美術館その1参照)、版画もよくよく考えたら、私のPCのサイズ(31cm × 21cm)よりちょっと大きいくらいで” 絵 画 ”として見るとなんとも可愛らしい小さいサイズなのであった。(でも、その小ささも好きですw)

=「東京十二題」=

1「駒形河岸」
2「夜の新川」*←下の絵
3「五月雨ふる山王」
4「井のかしらの残雪」
5「大根がし」
6「品川沖」*←上の絵
7「木場の夕暮」
8「深川上の橋」
9「戸山の原」
10「雪の白ひげ」
11「雪に暮るる寺島村」
12「春のあたご山」

上記12点からなるシリーズで、江戸の名所に加えて都市として拡がり変貌する東京の姿を季節感たっぷりに写し出している。

夜の新川」について、作者は
「板画の「藍」そのままの眼も冴ゆるばかりの澄んだ夏の夜。空には星が一つ、二つ、ドツシリとした蔵と蔵の間を照らす瓦斯(がす)の火影。其の当時、蔵といふものに一種の興味をもつて居た私は、此「夜の新川」を得たのです」と語っている。

★【「東京十二題」より「夜の新川」について】 文化遺産オンライン:その他>川瀬巴水より



○「夜の新川
  大正8年(1919年)作(36歳)
  木版(多色)36.4cm × 24.2cm

hasui-t8-yoru-no-shinkawa-1919.png

※こちらも若干色補正済み。(*緑の船Ver.)

元絵はこちら→★【独立行政法人国立美術館:所蔵作品「夜の新川」



夜に沈んだ蔵と冴える夜空の青。
蔵と蔵の間を照らすガス燈の光と低い夜空に早々に瞬く二つの星。
人も動物も植物もない、生物のいない浮世絵はあまりないような気がする。(富士山とかはあるけど、あれは山・滝とかの”自然”枠…としてカウント)
しかし、巴水の目指したと言う”新しい浮世絵”「新版画」では、建物だけだったりガス燈そのものは描かずに描くガス燈の光だったりで、無機質の対象にも何かしらの物語を感じさせるのです。





そもそもどうしてこんなに川瀬巴水の版画が好きなのかと言えば、浮世絵コレクターでもある新庄二郎氏のコレクション展で、そのコレクションの一つとして展示されていた近代の浮世絵新版画)に一目惚れしたことがきっかけでした。




それはまるで…


本来本命で、人気者でものすごくイケメンの彼にアプローチすべく意気込んで会いに行ったら、たまたまその時その側にいた地味な全く知らない後輩くんが妙に気になってしまい…(♪ここで「東京ラブストーリー」のOPでも流してください♪)

★【クリス・ハート - ラブ・ストーリーは突然に
*オリジナルは小田和正ですがこれもなかなかオシャレw 今の時代にはいいかも♪

  
  あの日あの時あの場所で君に会えなかったら
  僕らはいつまでも 
  見知らぬ二人の まま 
  ♪




私と川瀬巴水の版画との出会いは、まさにそんな感じだったのですw
  ○o。初めまして、ハスイです(○゚ω゚) .゚+. あ… .゚+. (゚д゚*)。o○。





★【島根県立美術館:コレクション名品選「新庄二郎が愛した浮世絵」">島根県立美術館:コレクション名品選「新庄二郎が愛した浮世絵」
(平成29年)開催期間:2017年/1/2(月)〜2/6(月)*終了

島根県立美術館が所蔵する「新庄コレクション」は、松江出身の実業家で著名な浮世絵コレクターだった新庄二郎(1901-1996)が蒐集した浮世絵のコレクションです。

その内容は、葛飾北斎歌川広重の風景画を中心に、菱川師宣懐月堂安度の肉筆画、鈴木春信喜多川歌麿の美人画、異国風俗を描いた長崎絵など多岐にわたります。東京オリンピック(1964年)大阪万国博覧会(1970年)等の記念展示で一部の作品が公開され、1970年代には「新庄コレクション展」が全国の美術館・博物館・百貨店で開催されるなど、優秀な個人コレクションとして広く知られていました

1983年(昭和58年)、新庄はこの優れたコレクションの多くを、生まれ故郷の島根県へ譲渡しました。葛飾北斎の《冨嶽三十六景 凱風快晴歌川広重の《東海道五拾三次之内など、島根県で摺りや保存状態が良好な浮世絵を数多く見ることができるのはそのためです。

新庄二郎の没後20年にあたり、本展では新庄コレクションの軌跡を、豊富な資料や新庄が自身の蒐集品へ向けた言葉と共に振り返ります。新庄二郎が愛情を注ぎ、情熱を傾けて作り上げた「新庄コレクション」の精華を、この機会にぜひご堪能ください。



元々はこの展覧会のメインであった葛飾北斎歌川広重東洲斎写楽喜多川歌麿など有名な浮世絵師の絵を目当てに訪れた私でしたが、行ってみたらばあまり知らなかった近代に入ってからの浮世絵師(版画家)の作品がなんとも良くて、この時のコレクション展ではこっちの方がインパクトが大きく緑の船の胸にガンガンとヒットしたのでした。Σ(」゚ロ゚)」オオッ!



kiyochika-kudanzakasatukiyo.png
小林清親(こばやしきよちか):東京名所「九段坂五月夜」
原書房(浮世絵・版画)より
1880年(明治13年) 22cm × 33.4cm


=小林 清親=

1847年(弘化4年)~1915年(大正4年)享年68歳
明治時代の版画家、浮世絵師。
月岡芳年豊原国周と共に明治浮世絵界の三傑の一人に数えられ、しばしば「最後の浮世絵師」、「明治の広重」と評された。

by Wiki




kazuma-matsueoohashi-yuki.png
織田一磨(おだかずま):山陰風景より「松江大橋雪景
(*「松江大橋雪中」?)
1924年(大正13年)23.5cm × 36.2cm

この絵はおそらく松江城側の北詰から南詰の方(現松江駅方面)へ渡っている人々の光景を宍道湖側から描いた構図ではないだろうか。もし南詰からの構図なら奥の風景は山並みではなく宍道湖になっていると思うの。





緑の船はこの絵を見て、1890年(明治23年)に松江に英語教師として滞在していたヘルン先生ことラフカディオ・ハーン

「一度聞いたら忘れることができない。
 大舞踏会のようで、
 テンポの速い陽気な音楽に聞こえる。」
 ♪○o(゚ω゚○)。o○♪



と著書新編『日本の面影(*訳によって『知られざる日本の面影』、『見知らぬ日本の面影』など色々)で描いた、大橋を人々が下駄の音を轟かせて渡って行き来したであろう朝の光景を思い出す。
ヘルン先生が松江にいた明治23年(1890年)から34年後、大正時代に描いた一磨のこの版画は雪景色だが、橋は掛け変わっていたとしても和傘に下駄でこの橋を行き来する音と風情は明治中期の頃とそう変わらなかったんじゃないだろうか。
ヘルン先生が「いずれこの愛おしい風景も文明という近代化の波に飲まれて失われていってしまうんだろうな…」としんみり危惧していたものの、30年以上ゆるゆると繋がっていたのだ…。

★【松江旅情 10 武家屋敷・台所と太陽の光】2007(平成19年)/02/07(水) 記事参照〜
★【松江旅情 37 小泉八雲『知られざる日本の面影』】2007(平成19年)/03/23(金) 記事参照〜


=織田一磨=

1882年(明治15年)〜1956年(昭和31年)享年75歳
明治期から昭和期の芸術家、版画家。
1898年(明治31年)16歳:兄の織田東禹の元で更に石版画の技術を学んだ。
(略)
1922年(大正11年)40歳:山陰旅行の際、松江出身の版画家平塚運一の誘いを受けて同地に滞在、石版画を離れ、1924年(大正13年)からの数年間、渡辺庄三郎渡辺版画店から新版画といわれる浮世絵と同じ伝統技法による木版画をも発表している。例として、大正13年に制作した「松江大橋(雪中)」や「牡丹」などが挙げられる。

by Wiki



展覧会で紹介された彼らの新版画と呼ばれた浮世絵は、江戸時代の浮世絵とはまた違う趣でなんとも言えず情緒的な雰囲気だなと思いました。
何となく、この頃の時代の短さ儚さを予見していたかのような、そんなノスタルジックなイメージを風景に込めた版画のような。
もう、”浮世絵”と呼ばれることはないかもしれないけれど、”浮世絵”と言うスタイルをなんとか残していきたいと言う願いも込められているような。

「ああ、これで過去の浮世絵が”新しい浮世絵”と言う形で今も現代に繋がっているんだろうな」と感じたり。



そして、私がこの展示で紹介された”近代の浮世絵”(新版画)の中でも群を抜いて気に入ったのが川瀬巴水(かわせはすい)だったのです!

hasui-s7-kohan-no-ame-matsue.png

1932年(昭和7年)2月↑ (巴水49歳の作)
湖畔の雨(松江)」:島根県美術館バージョン



こちら↓は「湖畔の雨(松江)」:原書房(浮世絵と版画)バージョン
hasui-s702-kohan-no-ame-hara-vr.png


同じ構図でも摺りの違いで随分印象も変わってくるのが他の絵画と違う”浮世絵”(版画)の特徴ではないでしょうか。
この「湖畔の雨(松江)」も、上↑の二枚は構図は一緒ですが摺りの違いからそれぞれで全く印象が変わっています。

島根県美バージョンは雲も黒く重く垂れ込めていて雨も冷たそう、いかにも”山陰の冬”と言う雰囲気。
原書房バージョンは全体的に淡い色調で雨の色も薄く調整され、どちらかと言うとよりメルヘンチックで牧歌的な雰囲気となっています。(どっちも捨て難い…)



いい…。
その構図、色彩、モチーフ等、もう何もかもが好きだーーーっo(≧ω≦)o♪

こんな愛らしい版画があったなんて!
この新庄二郎氏のコレクション展に行かなければ、私は「新版画」と言うジャンルも知らなかっただろうし興味を持つこともなかったでしょう。まして間近で彼らの版画の実物をまじまじと見る(@_@)という機会もそうそうなかったでしょう。


★【山田書店:オンラインストアトップ > 美術作品 > 作家[川瀬巴水]】より

川瀬巴水

明治16年(1883年)− 昭和32年(1957年)享年74歳
東京都出身
伊東深水と並び、新版画運動の旗手として活躍した版画家。本名は文治郎。

青柳墨川荒木寛友に日本画を学び、白馬会で洋画を修めた後、1910年に鏑木清方へ入門し、「巴水」の号を得ました。(*川瀬巴水27歳の時。弟子入りするにはかなり遅め。それもそのはず、巴水はそれ以前に何度も入門を断られた末にその熱意で入門を勝ち得たのだ)
その後、衰退した日本の浮世絵版画復興のため、版元・渡邊庄三郎と共に新しい浮世絵版画、”新版画”を確立。近代風景版画の第一人者であり、日本各地を旅行し、旅先で写生した絵を原画とした版画作品を数多く発表しました。
その日本的な美しい風景を、叙情豊かに表現した作風から、”旅情詩人”、”旅の版画家”、”昭和の広重”などと称されます。米国の鑑定家ロバート・ミューラーの紹介により、欧米で広く知られ、国内よりもむしろ海外での評価が高く、浮世絵師の葛飾北斎、歌川広重らに並ぶ人気を誇っています。





確か、この展覧会は会期最終日かその前日くらいにギリギリで駆け込んだと記憶。ええ、行きましたよ、行きましたともw
ああ、行ってよかった…+゚。*(*´∀`*)*。゚+
この版画に出会えてよかったよ…。

これらの版画を蒐集し後世に残してくださってありがとうございます!>新庄二郎氏へ敬意を込めて。




そのうちまた、この頃の「松江旅情編」(続編)も折を見て続けられたらなと思います。
★【松江旅情 1 水郷の街】2007(平成19年)/01/25(木) 記事参照〜






.......................
FC2ブログランキングへ→

COMMENT

 管理者にだけ表示を許可する

TRACK BACK
TB*URL
Copyright © 航海記 ♪歌いながら行くがいい♪. all rights reserved. ページの先頭へ