玄関を出て、前庭を改めて眺めてみる。
この扉の向こうにヘルン先生が美しい言葉で綴ってくれた庭があるのだ。
あ、これが例の「手柏」の木かぁ!
昔、わが家にもあったよこの木。
でも「八手」(ヤツデ)って呼んでたなぁ。
ほとんどの武家屋敷にも表門を入ると、たいてい玄関の近くに、大きな独特の葉を持つ丈の低い木が見受けられる。出雲では、その木を「手柏」(てがしわ)と呼び、わが家の玄関の脇にもある。
(…略…)
ところで、昔、家臣が藩主の慣例である江戸への参勤交代にお供をして、家を離れなければならなかったとき、出立の直前に焼いた鯛を手柏の葉に載せて、その家臣に供したと言われている。そして、壮行の宴が終わると、鯛を載せていた手柏の葉は、旅立つ藩士が無事に帰ってくるようにとの祈りを込めて、戸口の上にお守りとして吊るされた。

ヘルン先生は毎日学校の勤めから帰ってくると、教師用の制服から「ずっと着心地のよい」と綴っていた和装に着替え、庭に面した縁側の日陰にしゃがみこみ、授業を終えた一日の疲れを癒したそうだ。
壊れかけた笠石の下に厚く苔蒸した古い土塀は、町の喧騒さえも遮断してくれるようだ。聞こえてくるものといえば、鳥たちの声、かん高い蝉の声、あるいは長くゆるやかな間をあけながら池に飛び込む蛙の水しぶきだけである。
いや、あの塀は往来と私とを隔てているだけではない。塀の向こう側では、電信、新聞、汽船といった変わりゆく日本が、唸り声をあげている。しかし、この内側には、すべてに安らぎを与える自然の静けさと16世紀の夢の数々が、息づいている。大気そのものに古風な趣が漂っており、辺りには目に見えないなにか心地よいものが、ほのかに感じられる。
新編 日本の面影 / ラフカディオ ハーン…「日本の庭にて」第14章より

ほんの短い期間の付き合いだったにも関わらず見送りにやってきた学校の先生、生徒たちの素直な感謝の意にヘルン先生は感激してこうも綴っている。
コレラの一件で、中学校や近隣の小学校が閉鎖されているような時期に、生徒達を病菌に汚染された川岸で朝の冷気にさらす危険を恐れ、私は皆が見送りに集まるのを断った。
しかし逆に、私の心配は一笑に付された。前日の晩に、校長から全学級委員に連絡が回り、日の出の一時間前には、約200人の生徒が先生方と一緒に、わが家の門の前に集合していた。

この門の向こうに200人余りの生徒たちがヘルン先生を見送るために集まったのは、校長先生から連絡を受けたせいだけではない。
生徒代表はヘルン先生の転勤に伴なう送別会でこう述べている。
「先生が九州への赴任を決められたと知ったとき、われわれの心は、悲しみで打ちひしがれる思いでした。なんとか先生を引き止めることはできないかと校長先生に申し出ましたが、それは無理なお願いでした。」
緑の船も実はこの『新編 日本の面影』を読むまではよく知らなかったのだが、ヘルン先生が松江の人々にこのように愛されたのは何も「文明国からやってきた白人の先生だから」ではないと素直に理解できる。
もし、ヘルン先生が「文明国から来てやった俺様」(*`へ´*)な白人であったなら、おそらくこうも松江の人々に受け入れられてはいなかっただろう。
この本を読めば、彼がいかに日本の風景を愛し、日本人以上にその趣が消えていくことを嘆き、出雲の神話などについて勉強していたか、そしてその研究のために「俺様が研究してやっているんだ、さあ文献をよこせ」と横暴に働きかけたりはせず、土地の人々や習慣を尊重しつつ礼節をもって望み、その望みが叶ったことに対しても相応の礼儀でもって応えたであろうことがひしひしと伝わってくるだろう。
「外国人たちはどうして、にこりともしないのでしょう。(´・_・`)
あたなはお話なさりながらも、微笑みを以って接し、挨拶のお辞儀もなさるというのに、外国人の方が決して笑顔を見せないのはどういうわけなのでしょう」
これは、ほぼ3年間の日本の内地での生活を終えてから、開港地である神戸での買い物に付き合ってくれた日本人の友人がヘルン先生に質問した言葉だ。
ヘルン先生は決して「白人だったから」愛されていたわけではない。
それは、同じくイギリスからやってきた白人の男性が召使として雇った古い武士上りの老人を些細なことから無礼に扱って怒らせ、危うく刀で首を跳ねられそうになった…というエピソードからも比較して察することが出来る。
(*『新編 日本の面影』…「日本人の微笑み」より)

ヘルン先生が過ごしていた明治23年(1890年)から明治37年(1904年)の日本と現代の日本(*平成19年:2007年現在)。
確かにこの100年余りで日本は大きく変化していったかもしれない。
しかし、人力車が駆け抜けたこの塩見縄手に自動車が行き交ってはいるが当時の面影を残して今尚ここには武家屋敷が立ち並んでいる。
日本は不思議な国だ。
ありとあらゆるものが変化していくことを受け入れながら、伝統や昔ながらの習慣も忘れまいと守っていこうとする。
「もの持ちのいい国」とはよくいった喩えで笑ってしまう。
保守的だ、というのは時々苦笑いするほど偏屈なイメージを抱かせるようになっているが、昔を守り保つことはそれほど悪いことではないのだと緑の船は最近しみじみ思うのである。

このうれしい顔ぶれを目の前にして、私はこう自問するしかなかった。
「もしどこか別の国で、同じ期間、同じ仕事をして暮らしたとして、これほどたゆまぬ温かな人情の機微に触れる喜びを味わえただろうか」と。(*´ω`)
私はどの人からも、親切で丁重な扱いしか受けなかった。ひとりとして不注意からでさえ、私に卑劣な言葉を発した者はいない。500人以上の学生を教えていて、堪忍袋の緒が切れそうになったことは、一度としてなかった。こんな経験ができたのも、日本だからではないだろうか。
新編 日本の面影 / ラフカディオ・ハーン / 訳:池田雅之…「さよなら」第5章より

★『新編 日本の面影』(Glimpses of Unfamiliar Japan)
著者:ラフカディオ・ハーン (Lafcadio Hearn )
訳者:池田雅之
定価:842円(本体780円+税8%)
発売日:2000年09月22日
判型:文庫判、商品形態:文庫 ページ数:352P
角川ソフィア文庫