航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
DATE: 2019/01/21(月)   CATEGORY: 建築物
2011ディスカバー九州!再び 10 阿蘇神社(ラスト!)

只今2019年、平成31年の1月です。
あけましておめでとうございます (・Д・)ノ

とうとう平成も最後!の年に突入してしまいました。
のんびりにも程がありますが何食わぬ顔で再開しますw

前回からの続きです
「2011ディスカバー九州!再び 9石垣の村 ⑤坂本長太翁」

   ↓
さて、その後我々は石垣の村を後にし、程近いキャンプ場でテント設営、サクッと一泊しました。
随分前のことになってしまうので記憶もすっかり曖昧wですが、こじんまりとした感じのキレイで良いキャンプ場でした。
もう8年前の利用ですがこのキャンプ場が現在も健在のようで嬉しいです。

★日之影キャンプ村Google地図


○住 所:日之影町大字七折大菅
○電 話:0982-87-2820
○施 設:バンガロー 13棟
     駐車場   40台
○料 金:バンガロー1棟(8人まで)  10'800円
○営業期間:4月15日~10月15日

※日之影町観光協会HPより





周辺にそんなに大きなスーパーなどはなかったような…。(曖昧)
ただ、キャンプ場のそばに小さな個人商店があったので、そこで何やら買って夕飯にしました。



翌日は九州の最終日。
サクッと撤収し、向かったのは…




阿蘇神社


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阿蘇神社は大きな楼門が有名ですよね。
先の平成28年(2016年)熊本地震では、大きな屋根を持つ構造上仕方ありませんが、激しく倒壊してしまい残念です。

しかし現在は地道に修復されているようです。→★「重要文化財:災害復旧の進捗に付いて」平成30年(2018年)12月29日付
地味ながら復旧を応援したいと思います。フレ〜(((o(>_<)o)))フレ〜




こちらは被災前の拝殿。
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実はすっかり配置を忘れていたのですが、境内の配置図を見ると、拝殿の奥に手前左から「一の神殿」、「二の神殿」、奥に「三の神殿」とあり、拝殿の隣に山王社庚申社とあるので、それで四神ということなのかな…?(※修正①)




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★ニの神殿
御祭神が阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)、他妃神四神とあります。
総ケヤキ造り天保12年1841年建立)

★和暦参照青空文庫https://www.aozora.gr.jp/)より西暦(和暦)の記述

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こちらは他四妃神さまのうちの一つ、だったような。。。(復旧資料にある「一の神殿」に似ているから一の神殿だったような…)

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※① 二の神殿のご祭神(女神):阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)+他妃神さま4神(比咩御子神若比咩神新比咩神彌比咩神)でした。

※② 一の神殿のご祭神(男神):健磐龍命(たけいわたつのみこと)+他男神さま4神(国龍神彦御子神新彦神若彦神
  ちなみに「一の神殿」も総ケヤキ造り天保11年(1840年)建立。

参照→★神社と日々の癒され日記」阿蘇神社より



阿蘇神社由緒略記


1.ご祭神
 併せて13座のうち延喜式所載3座
  一の宮…健磐龍命(たけいわたつのみこと)
  二の宮…阿蘇都比咩命(あそつひめのみこと)
  十一の宮…国造速瓶玉命(くにつくりはやみかたまのみこと)

2.ご由緒
 神社創立、社伝に孝霊天皇9年 御子速瓶玉命阿蘇神社を創建すと伝う(280年)
 景行天皇18年 惟人命(これひとのみこと)初代大宮司として祭祀を司る
 爾来連綿として91代(*2015年現在)現宮司に至る

3.ご神徳
 国土開拓の功業を第一とし殖産、農工、商の守護神、又肥後国の一の宮、総鎮守の大神として広く氏子崇敬者の生業、家庭の安全を守護さる。

4.ご社殿 建立年度
 一の神殿(正面に向かって左) 天保11年(1840年)
 二の神殿(正面に向かって右) 天保12年(1841年)
 別殿(真正面、三の神殿) 天保13年(1842年)
 楼門二層楼山門式嘉永2年(1849年)
 拝殿、祝詞殿、翼廊 昭和23年(1948年)



神社創建は紀元前280年てことかしら?(大体2300年前くらい!?*第7代孝霊天皇:紀元前342年〜215年)
ですが、建物としては一番古い「一の神殿」の建立から今年(平成31年2019年)で177年。まだというかもうというかw今のお社は意外に200年未満の若いお社だったってことでしょうか。



楼門ろうもん

三間一戸 二重門 正面唐破風付 銅板葺

現在の阿蘇神社の神殿は、天保6年(1835年)から10数年かけて、細川藩が巨費を投じて三つの神殿と楼門脇門を再建したものです。
この楼門は天保14年(1843年)から嘉永2年(1849年)にかけて建立されました。
欅材を用い、規模は豪壮にして繊細な彫刻が施され、「日本三大楼門」と称されています。
屋根は建立当初に柿葺であったものが、大正6年(1917年)に檜皮葺(ひわだぶき)、昭和50年(1975年)銅板葺となっています。
仏教的な要素を取り入れた二重門二層楼山門式)という建築様式は、他の神社に例を見ない貴重なものであります。
現在は建造物として「国指定重要文化財」の指定を受けています。

★楼門の説明パネルより 
 ※平成23年(2011年)現在のものです



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豪壮にして繊細な国指定の重要文化財だというのにどうしてこう、肝心なところがとっても地味なのか。。。
災害復旧を機にこの説明パネルも一新してほしいなぁ。
このパネルはしょぼい感じが否めないのが残念ですが、やはりなんと言ってもこれ!この図面!


阿蘇神社楼門梁間断面図

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図面素敵〜(´∀`*)!!
きっともっと詳細な図面もあるでしょう?断面図だけじゃないでしょう?
もっと大きく!もっと図面をしっかり見せてぇ〜!

そして絵葉書サイズで売ってぇ〜!

…何故だ、何故図面を絵葉書にしてくれないんだ。ぐすん。
神社の配置図とかもいいよね〜。(チラシとかパンフではなく絵葉書サイズがほしいんです)
この頃はどうだったか覚えてないけれど、今時は歴女だとか、刀剣なんとかとか流行ってるんでしょう?
結構需要あると思うんです。(でも萌え系なグッズではなく、シンプルな図面とかがいいんです)

災害復旧の資金にもなると思うんです。
是非、図面絵葉書を売ってください(」゚ロ゚)」カモンッ!

阿蘇神社HP




などと後ろ髪を引かれながら帰路につく九州路。
確かここはやまなみハイウェイの途中だったか。

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この頃に一緒の船に乗ったツーリングの皆さんお元気かしら?

確かこのツーリングでは、行きの船は大阪から福岡県の新門司港から入って、帰りは宮崎県の別府港からでした。

名門大洋フェリーHP

フェリーさんふらわぁHP

阿蘇からの帰路で黒川温泉とか湯布院とかあったけど、この時はゆっくり温泉に入る時間がなかったのよね。
旅の終わりの夕暮れ時に、もうちょっと走りたかったなぁ、もうちょっとゆっくりしたかったなぁ、などとちょっとセンチメンタルな気分だったのを思い出しました。



20110505-12.jpg




暮れゆく別府の山並みを「楽しかったなぁ」とじんわり味わいながら、ゆっくり船で遠ざかりながら眺めたのも、もう軽く7、8年前とかw
もう忘れたよ…と思ってたけど意外と思い出すもので。
また九州行きたいな、なんてしんみり。

最後はかなり駆け足で雑な感じになってしまったけど、これにて「2011ディスカバー九州!再び 編」投了!(やっと終わったーヽ(´∀`)ノ!)



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さらば、九州!








<追記>
★【ソロキャンプ 宮崎県日之影キャンプ村 MSR Elixir3 設営



他人様のキャンプ動画ですが、日之影キャンプ村!で懐かしくてつい。
2018年(平成30年)夏のキャンプとのことで最近のですね。
今もたくさんのキャンパーに利用されていて、芝生もきれいでなんか嬉しい。
動画は最初〜9:20くらいまで延々とテント設営の様子で、その後はランタンを灯して夜のまったりタイム〜15:00から青雲橋と星空の写真へ。天の川が映ってるとかすごーい!

しかし、なんか今時のキャンパーさんはオシャレね〜(*´Д`*)
我々、日之影キャンプ村に行ったこの頃にはすでに7、8年以上キャンプしており今現在もキャンプするのだが、未だにオサレキャンパーから程遠いのはなぜかしら…!?





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