そして、道を下ること数分、山間の茶畑に見事な石垣が出現。

この写真の頃はGWのため田起こしもまだでやや寂しい感じだが、田んぼが水を張ったらさぞかし美しい風景だろうと思う。



それにしても美しい石垣だこと…(うっとり)


山から下った突き当りの三叉路に、これまた美しいお地蔵様(道祖神様?)が祀られている。
この風景となじんだ様子がたまらんです…
御大典記念に1930年(昭和5年)11月におかれたもののようです。
それぞれの像にお水と青々しい榊がお供えされていて、今も大事にされているのが分かりホッとします。


よそ者ながら、この風景がずっと大事にされるといいなぁ…と願います。
<追記>
=御大典とは?=
即位の礼後に、五穀豊穣を感謝し、その継続を祈る一代一度の大嘗祭が行われ、即位の礼・ 大嘗祭と一連の儀式を合わせ御大礼(ごたいれい)または御大典(ごたいてん)とも称される。
1930年(昭和5年)の像なので、昭和天皇の御大典記念に置かれたもののようです。
○大正天皇の御大典…1915年(大正4年)11月10日
○昭和天皇の御大典…1928年(昭和3年)11月10日
それぞれ京都御所で行われている。
★【映像に見る近代京都の生活文化】「御大典と京都市民」より
天皇の即位儀礼には、
○前天皇の死後ただちに後継者が即位する「践祚(せんそ)」、
○天皇即位を国の内外に宣言する「即位式」、
○新天皇がその年の新穀を神と共食する「大嘗祭(だいじょうさい)」
の3つの異なる儀礼が含まれていましたが、明治42(1909)年の登極令の制定により、即位式と大嘗祭は、前天皇の喪が明けた年の秋冬の間に続けて行われることに決められました。このふたつの儀礼をセットにしたのが「御大典」であり、国家的なイベントとして盛大に行われました。
そうですね、大正、昭和、平成と天皇崩御の後に新天皇が即位しているわけですから、喪に服す期間を経て数年後にお祝いということになりますものね。
上のサイトでは昭和初期の京都市民のお祝いの雰囲気が写真からも伝わってきます。
もっとも京都では御大典記念というだけでなく、急激な近代化によるインフラ大特需がそのお祭り騒ぎにさらに強烈な熱気を加えたようで、おそらくそれはこの鄙びた山間の石垣の村にも伝わってきたのかもしれません。
★【昭和天皇即位の礼(昭和3年)】
1928年(昭和3年)11月6日、昭和天皇は即位の礼を執り行う為、宮城を出発し、京都御所へ向かった。京都へ向かう天皇の行列は2名の陸軍大尉を先頭に賢所の神鏡を奉安した御羽車、昭和天皇の乗る6頭立て馬車・皇后の乗る4頭立て馬車・皇族代表・内大臣(牧野伸顕)・内閣総理大臣(田中義一)の馬車と続いた。全長600メートルにも及ぶ。
映像は皇居から東京駅までの間の行列の様子のようです。
三種の神器と共にこれから京都へ向かい、600mに及ぶ鹵簿(ろぼ:近衛騎兵に警備された行列)、御歯車(神鏡を納めた輿)の後に、鳳輦(ほうれん:天皇の馬車)と続いています。
沿道は2万の陸軍将兵で警備を固め、4万の群衆が見守る中、7,200の私服警備も配備されているとナレーションが入っています。
この時は反政府活動の取り締まりで7,000人が拘留されるなど三・一五事件(*1928年(昭和3年)3月15日、 田中義一内閣が日本共産党などの関係者千数百名を、治安維持法違反の容疑で一斉検挙した事件)を上回る検挙数だともナレーション(編集放送時)がありとても厳重な警戒態勢が敷かれていた様子が分かります。
また、この日11月6日は初めてラジオの全国中継が行われています。
御一行は東京駅から汽車に乗り、翌日11月7日、改めて京都駅前から京都御所まで行列が続きます。
そして11月10日、京都御所の紫宸殿にて大典の儀式が執り行われます。
報道陣は門外で待機、内部を映像を撮影できたのは陸軍省参謀本部陸地測量部のカメラのみ。
御所の内側は数万の陸海軍将兵に固められ、2,300人の各界の重鎮が威儀を正しているとのことです。
実はこの記録映像は儀式から半世紀後に放送され編集されたものの様で、アナウンサーが「誰が何の目的で撮影したのか知る由もないが」と語っています。記録映像を使った番組そのものは昭和50年代半ばでしょうか。
26ヶ国の各国代表及び使節が各国独特の最高礼装で並んでいる様子も見えます。
彼らはこの儀式のために特別に入場が許可されました。(映像では午後1時20分頃とあります)
田中義一内閣総理大臣の開会の儀がラジオで流れている時か、市井の人々がラジオの前に集まって放送に耳を傾けている様子も映っています。
1928年(昭和3年)11月10日、午後3時に祝砲が鳴り響き、京都の人々が日の丸旗を振りながら賑々しく歩いていく様子から、その熱気も伝わってくるようです。
この時に33,000人(半数が選挙違反)が大典恩赦されたそう。
祝砲と共に、街には神輿を担いで練り歩く市民の姿、夜には無数の提灯行列で街路が埋まって歩いている様子は、さながら光の川のようです。
2019年(平成31年)も3月末の現代からは、まるでタイムマシンに乗って当時を眺め見ている様な気分。
昭和・平成・新元号と3つの世代を渡り歩いていくのかと思うと、何というか不思議な気分になりました。