当たり前のように目の前にあるので、そこに存在するのが当然で自然で気にかけたこともない、そんなものもちょっと離れて、改めて眺めてみてその存在のすごさに気がついたりする。

昔からそこにあるから、「ある」ことが普通だから気がつかないことって結構あるのかもしれない。
例えば何気無い道、例えば昔からある蔵。

例えば大きな神社、例えばその神主さんのお宅。


この門が造営された嘉永5年(1852年)は今年平成21年(2009年)から157年前のこと。
157年も前に…それともほんの157年前にと形容するべきか。
なんか時間の感覚がw

こちらの社屋は神主さんが住んで使っているお宅なわけだが、こっちの方が築年数は上の門よりも古い。

地味なりに結構好きな建築物。
華やかさはないけど、ちょっと欄間に意匠をこらしてみた…という控えめながらでもいい感じにしたい!という感じが伝わってきて好きだ。

そんな昔からの建物も、この巨木には敵わない。
この木が何年もの間、この地を見守ってきたのか分からない。
けれど、同じように地域の人々も世代を交代しつつ、何年にも渡ってこの木を見守ってきたのだろうというのがその姿からひしひしと伝わってくる。
素直にすごいことだなーと思う。
