おそろしやの天安河原から高千穂市街地へ戻った頃、豪雨のような雨はやや小雨になっていた。
天岩戸神社へ行ったらば、やはり高千穂神社にも行かねばなるまいよ。



高千穂神社
創建は「社伝」によると第11代天皇である垂仁天皇の御代から続くといわれ1200年以上の歴史を持つ。(*)
高千穂神社(高智保皇神)の名は続日本後紀巻十三承和10年の条(843年)・日本三代実録第一巻(858年)などにその名を見ることができるなど、平安時代から中央の記録にもしばしば登場するというほど大昔から有名で由緒ある神社。
明治6年(1873年) 三田井神社と改称。
明治28年(1895年) 高千穂神社に改められる。
*この垂仁天皇の時代(三輪王朝時代)には伊勢神宮も創建され、それは垂仁天皇即位26年で今から約2000年以上前という事になるのだけど、公式な記録(続日本後紀(ぞくにほんこうき)などに記載がある等)としては控えめに見積もって1200年前の平安時代にはあった…ということですかね?
ちなみに垂仁天皇の在位期間は99年間とされる。
在位期間 : 元年1月2日(紀元前29年)~垂仁天皇99年7月14日(紀元後70年)
うーんと大雑把に括って弥生時代中期ごろ?

主祭神
三毛入野命(ミケヌノミコト)…海神の娘玉依姫(タマヨリビメ)と鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)*の子であり、神武天皇の直近の兄。
ほか、五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱。
*鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
父神が山幸彦の名で知られる火遠理命(ホオリノミコト)、母神が豊玉媛命(トヨタマヒメノミコト)
山幸彦って神話では兄の海幸彦に釣り用の針を無理を押して自分の狩用の弓矢と交換してもらったのに結局魚一尾も釣れず挙句その大事な釣り針を失くちゃって、「ぐずバカのろま!許さないからな!」と罵られ自分の大事な剣で500個も釣り針作っても許してもらえず海辺でしょんぼりしてた愚直な神様だったような。
ただナゼか周囲の温情に助けられ、実は見目麗しい若い男神であったという反則技で海神の娘である豊玉媛(トヨタマヒメ)と恋仲になったり宝物を授かったりしている。
その山幸彦の息子である鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)がまた同じく海神の娘で豊玉媛(トヨタマヒメノ)の妹、玉依姫(タマヨリビメ)と結婚して生まれたのがこの主祭神である三毛入野命(ミケヌノミコト)というのはちょっとおもしろいかも。
そーいえば高千穂神社の狛犬は丸い玉を抱いているんだけど、もしかしてそれは潮満玉(塩満珠)とか潮干玉(しおひるたま)or塩乾珠(しおふるたま)だったりして~。
雨が降っていたから思うんだけど、この海の潮の満ち引きを自在に操れる玉って、ここ山の中においては雨量を自在に操れる玉だったりして?(あ、妄想の世界です)
しかし神々の世界とはいえ、車も新幹線も飛行機もないのに方々を遠征してて、こんな山の中と海辺や九州と伊勢や奈良とか大昔の人々の方がよっぽど近く感じてたんじゃなかろうか。

山の中にありながらなんとなく海の匂いを感じる緑の船なのであった。