航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
ならまち日和 10 魅惑の奈良ホテル ②ホテルでお茶を

ほんとはここのホテルに泊まりたかった!
せめてティールームだけでも満喫しよ。


奈良ホテル照明






…うっとり。
天井見てるだけでも飽きない。

奈良ホテルの設計者は辰野金吾
★【建築写真集:NARA HOTEL(奈良ホテル)】参照


辰野金吾略歴

1854年(安政元年)
肥前国(現在の佐賀県)唐津藩の下級藩士、姫松蔵右衛門、オマシの次男として生まれる。
姫松家は足軽よりも低い家格であった。

1868年(明治元年)
叔父の辰野宗安の養子となる。

1873年(明治6年)
工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学。
2年終了後、造船から造家(建築)に転じる。

1877年(明治10年)
ロンドン出身のジョサイア・コンドルが造家学教師に着任。

1879年(明治12年)
造家学科を首席で卒業(同期生に曽禰達蔵片山東熊佐立七次郎) 。

1880年(明治13年)
英国留学に出発、コンドルの師であるバージェスの事務所やロンドン大学で学ぶ。

1883年(明治16年)
帰国。

1884年(明治17年)
コンドル解雇後、工部大学校教授。

1886年(明治19年)
帝国大学工科大学教授、造家学会(のちの建築学会)設立。

1898年(明治31年)
帝国大学工科大学学長。

1902年(明治35年)
工科大学を辞す。

1903年(明治36年)
葛西萬司辰野葛西事務所を開設(東京)。

1905年(明治38年)
片岡安辰野片岡事務所を開設(大阪)。

1909年(明治42年)
片岡安と奈良ホテルの設計に携わる。

1910年(明治43年)
国会議事堂(議院建築)の建設をめぐり、設計競技(コンペ)の開催を主張。

1919年(大正8年)
当時大流行したスペインかぜに罹患し逝去。

by wiki






奈良ホテル天井




奈良ホテルティールームにて





憧れのティールームで頂くケーキセットはまた格別。

奈良ホテル紅茶&ケーキ


もちろんお値段もそれなりに張るけれど、奈良ホテル嬢の心まで溶けそうな温かくゆるいサービスにまたしてもはにゃーーーんとする緑の船。

このゆるさは奈良の気風なのか!?

もちろん素人くさいとか慣れてないという意味ではなくて、サービスを受けるこちらが気後れすることなく寛げるような大らかさが感じられて、個人的にすっごく好印象だったなぁ。
比較するわけじゃないけど、京都では「一部の隙もないサービスするけど、客のそちらにもそれなりの品格を求めますえ?」みたいな脅迫観念があって緊張するんだよぅ。
グラスに付いてたコースターをもらってよい?と会計時にウエイトレスさんに聞いたら「新しいの持ってきます!」と快く言ってくれたし。(もったいないのでテーブルのをもらってきましたけど^^;)



でも、ほんと雰囲気がステキなホテルだった。
いつかはこのホテルに泊まってのんびりと奈良を満喫したいなぁ。


奈良ホテル庭園


この頃はまだ緑みどりした庭の楓も、もうとっくに紅葉して散っちゃってるのかな。

★【Frickr:The Nara ~みんなの奈良写真~

おお、キレイな秋色!




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