仕事の邪魔をしないよう、今も昔を偲ぶ庭を迂回して屋敷の北側へ飛び石を踏みながら移動する。

北側とはいえ、開け放たれた部屋は清々しい明るさがある。
改修されながら、今から274年ほど昔(*)の家を皆が大事に使ってきたのが分かる。
(*18世紀始めの江戸時代初期)
このあたりの屋敷は1733年(享保18年)の大火で焼失し後に再建されたものだが、この頃は長崎で狂犬病が流行ったり、江戸では米価が高騰して打ち壊しが多発したりした年でもある。
ここは禄高600石程度の中級藩士たちが入れ替わり移り住んできた。
この家はその生活を静かに見守り続けてきたのだろう。

行灯もちょっとおなご好み?
奥方様の日用品に鏡が欠かせないのは
今も昔も同じだが、お歯黒はさすがにw
しかしこのお歯黒、アイルランド人の
ラフカディオ・ハーンが英語教師として
松江に赴任してきた明治23年(1890年)頃
まだ世間でも普通に行われていたのだ。
★【お歯黒の歴史】
このお歯黒の習慣は特に西日本から始まって、鉄の産地だった(*)せいもありこの出雲は古くからお歯黒の盛んな土地でもあったらしい。
(*おはぐろは「鉄漿」とも書く)

旦那様はどんな道具をお持ちで?
「ん?火鉢と文机があれば事もなし、じゃ」
はぁ、シンプルライフですね。うちは物が多くて…うらやましい。
「蔵に何を隠してるのか分かりませんけど?ね、あなた」
「ギクッ」
あらら、お見通しなんですね。では私はこれにて。(そそくさ)
「お菊、なにも客人の前でそのようなことを申さぬでもよいではないか」
「あら、では先月は一体何をお買い物なさったの?」
「なななんのことじゃ」(どき)
「古美術商の咲衛門さまが“だんな様にもよろしゅう”と」
「なんじゃ、そんなことで。ただの挨拶ではないかっ」(ほっ)
「あら、あの方、お得意様にしかあーんな笑顔で
ご挨拶なんかされませんのよ」(チラリ)
「ば、馬鹿なことをっ。勘ぐり過ぎにも程があろう。
それを言うならおぬしこそ箪笥の中にどれだけ着物を肥やしておる」
「んまっ、私が贅沢をしてるってそうおっしゃりたいの?」
「あ、いや、そーいう訳では…」
「では言わせて頂きますわよ」


「ははぁ、またやってるよ」
「旦那さまも懲りねぇな、
奥方さまに口じゃ勝った事ねぇのに。プクク」
「お、じゃぁ賭けてみるか?
奥方さまに10だ」
「よし、俺も奥方さまに10!」
「おいおい、それじゃ賭けになんねぇだろ…」
この武家屋敷の南面が来客用の「公用の場」であるとすると、北面の部屋は「プライベートな場」と区別されている。
自分の部屋が北向きなんて…とついつい思いがちだが、この北面の部屋には実は日本家屋の庭園観も表されている。

心を鎮めるには茶の湯が一番!?
夫婦円満にも効くと言うw

南庭とは違う、常に順光の北庭には別の落ち着きがある。
茶を立て、庭の風景にまどろみ、季節毎に選りすぐった掛け軸の書に浸る。
茶の間はほんの2、3畳、この北庭は今の住宅設計にも是非取り入れたいアイデアだ。
おお、この「北庭」を取り入れた住宅設計のお家↓を発見!
★北庭が一番美しい:【「愛のある建築」建築家丸谷博男の世界】より
★西所沢・北庭の家見学会:【OMソーラーの家「東京町家」】より
★【建築家コンペ・プレ募集:建築家と出会う場所「ハウスコ」】より
もっとも、現代では家の北側に広く庭を持てる土地というのも厳しい条件なのかもしれない。