「船の科学館」前に展示してあった、今はもうお台場にはない戦艦「陸奥」の主砲です。瀬戸内海の柱島付近で沈没した戦艦「陸奥」の1970年(昭和45年)引き上げ実施で収容された主砲を屋外展示したものだったのですが、近年の「東京国際クルーズターミナル」の埠頭工事に伴い撤去され、現在は戦艦「陸奥」が建造された横須賀市へ里帰りし、移設されています。
★【2019(R1) 船の科学館と南極観測船「宗谷」へ寄せて 10年後のラブレター】←東京国際クルーズターミナル建設に伴う工事についてはこちらで参照。

○2009年(平成21年)7月某日撮影:
「船の科学館」前に屋外展示してあった当時の戦艦「陸奥」の主砲
当時はそんなにしっかり見てたわけでもなかったのですが、今改めて展示看板など読んで見ると、中々にすごいものが展示されていたんだなと思います。

(*クリックすると拡大図で読めます。)
しかし、戦艦「陸奥」って海戦で被弾したわけじゃなくて…事故?(自爆みたいな…?)で瀬戸内海で沈没したって事?それはそれで…哀しいわね。もしかして敵の破壊工作だったかもしれないけど、戦わずして瀬戸内海で沈没なんてきっと戦艦「陸奥」も船員たちも無念であったろう。。。
=戦艦「陸奥」主砲=
Main Battery of the Battle Ship MUTSU
戦艦「陸奥」は世界初の16インチ(40センチ)砲塔載戦艦「長門」(ながと)の2番艦として大正10年(1921年)に竣工しました。
その後、大改装が施され、攻撃力・防御力ともに強化されましたが、昭和18年(1943年)に瀬戸内海の柱島付近に停泊中、突然砲塔付近で大爆発が起こり沈没、生涯を閉じました。
ここに展示されている主砲は、正式名称を45口径三年式40センチ砲II型(正確には41センチあった)といい、昭和45年(1970年)に実施された「陸奥」引き上げ時に収容されたもので、最後部の4番砲塔に据えられていたものです。
=45口径三年式40センチ砲II型 主要目=
○全長:18.8 m
○重さ:102 t
○内径:41 cm(砲身長:45口径)
○初速:780 m/秒
○射程:37.9 km (…ファッ!?Σ(゚д゚||| 40km!?)
*東京→品川まで:6.8km→川崎:18.2km
→横浜:28.8km→戸塚:40km
*飛行時間:70秒(上空最大:6,000m)
=戦艦「陸奥」主要目(改装後)=
○トン数:39.050 満水t
○全長:224.9 m (*「船の科学館」本館よりも長い!)
○最大幅:34.6 m
○喫水:9.5 m
○主要装備:40 cm 砲、8門
(説明文より)

○説明看板の図:拡大版
青函連絡船「羊蹄丸」がいつの間にか解体されていた(*一応期間を設け無償譲渡で移設先を募ってはいた模様…)のを思うと、この主砲は生まれ故郷の横須賀市に迎えられ、里帰りできただけでも良かったと言うべきね…。
★【戦艦「陸奥」4番砲里帰り支援サイト】
(陸奥を支援する会)サイトより移設の経緯を抜粋。
2017(H29)/03/31:2017年3月25日 記念式典
2017(H29)/03/31:戦艦陸奥主砲"里帰り"式典
神奈川新聞
2016(H28)/09/16:H28.9.16タウンニュース
おかえり「陸奥」主砲
2016(H28)/09/14:H28.9.14神奈川新聞
80年ぶり横須賀帰還
2016(H28)/09/13:横須賀市ヴェルニー公園に
戦艦陸奥主砲里帰り移設 風景
2016(H28)/09/12:船の科学館からの戦艦陸奥主砲
移送風景
2016(H28)/09/07:船の科学館 写真展
【戦艦陸奥 主砲の横須賀へ里帰りを祝す】
2016(H28)/08/02:募金の御礼と今後について
・平成26年8月4日:3万3千人を超える署名を携え、
主砲の無償譲渡を船の科学館に要望。
・同年10月28日:陸奥の会あてに正式に承諾を頂く。
・横須賀市が設置者として本年(平成28年)秋に
移設が実現する運びとなる。
・協賛金・募金総額:25,898,892円
(H28.7.31現在)
募金寄付者:5,808人 協賛企業数:167社
(合計:5,975件)
2015(H27)/02/07:横須賀鎮守府(仮)からの
募金贈呈
2014(H26)/11/14:産経新聞
地元尽力、80年ぶり「里帰り」へ
2014(H26)/11/03:小泉議員の船の科学館見学
2014(H26)/10/30:募金活動開始
2014(H26)/10/30:戦艦陸奥主砲里帰り決定
2014(H26)/10/30:陸奥のリーダーのつぶやき
(No2)主砲はハイテクの塊
2014(H26)/10/12:陸奥の会リーダーのつぶやき
(No1)自己紹介と署名の状況
2014(H26)/09/05:陸奥模型展示開始
2014(H26)/08/08:平成26年8月8日 記者会見用資料
(*この時点で3万3千人を超える署名を集める!)
2014(H26)/06/12:戦艦「陸奥」の主砲砲身の
価値について
2014(H26)/06/12:サイト公開
なんと言うスピード!
素晴らしい市民活動の甲斐あって、生まれ故郷に喜んで迎えられ、里帰りできて本当に良かったね!>陸奥の主砲(´д⊂)ヨカッタヨカッタ
確か、2011年(平成23年)9月末を以って「船の科学館」本館が閉館しているので、おそらくその辺りから主砲どうする!?どうする?となっての事でしょう。
3年後の2014年(平成26年)の春、有志を募って「陸奥を支援する会」を立ち上げた方がおられ、8月には3万3千人超えの署名を集めております。10月には「船の科学館」とのやりとりで”戦艦「陸奥」の主砲”の無償譲渡の決定を受け募金を開始、2年後の2016年(平成28年)の8月にはおよそ2,600万円の募金を集め、9月には海上輸送で横須賀市の公園に移設が完了、その後公園整備などを進め翌年3月に記念式典…と言う事のようです。
本当に本当に本当に!その実行スピードたるやスゴイ事だと思います。Σ(゚□゚(゚△゚;)ノ
遅ればせながら戦艦「陸奥」の主砲が無事移設できた事を、ネットの片隅からお祝い申し上げます(* ´ ▽ ` *)
さて、「船の科学館」本館の建設当初の写真などを見ると、周囲にはまだほとんど何もなく、開園当初(50年〜30年前くらい前まで)は中々に賑わっていた様子が伺えます。
しかし10年前の2009年(平成21年)にお台場ガンダムのついでに訪れた当時、「船の科学館」はそこそこ人はいましたが、あのお台場からほんのちょっと足を伸ばすだけなのに人の流れはほとんどなく、ガンダムの賑わいからは程遠い人出だった印象でありました。
人混みが苦手な方なので(田舎者なので…)、東京の圧縮された濃密な空気に疲れた私としては、いい感じで空いていて個人的にはむしろ過ごしやすく、尚且つ展示の内容も印象良し!だったのですが、あれだけの恵まれた立地でありながら客足が伸び悩んだ末に今の長い長い休館状態なのであれば、20年位前からもう少し設備投資的な意味で改装・改修や広報・集客等の経営努力をしていれば…と、悔やまれます。(外野が勝手な事を言ってすみません…|ω・`)
バブルが弾けたと言われて久しく経済界的には「失われた10年」(20年?)とか言われたりしていますが、高度経済成長期を体験した世代にはその後の景気低迷という時代がこんなに長く続くとは予想できなかったのかもしれませんし、そもそもそういった営業利益を追求する娯楽施設とは違うのかもしれませんが…。
戦艦「陸奥」の主砲が移設先の横須賀市で末長く愛され保存されるであろう事を祈りつつ、「船の科学館」本館もいつかまた、子供達にも大人達にも愛されるような施設として復活することを願いたいと思います。