航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
2014(平成26年)のタイムマシン 5 それは、一握りの砂から始まった。

タイムマシン4の、「神戸ー鳴門ルート」間の鳴門北ICの近くにあったこの美術館。


201405-OTBshoumen.png


★【大塚国際美術館:HP
 ○所在地:徳島県鳴門市鳴門町 鳴門公園内
     (*鳴門北ICから車で3分ほど)
 ○TEL:088-687-3737
 ○休館日:(月)※祝日の場合はその翌日
      その他休館日等は開館カレンダーでご確認を。

 ○開館時間:9:30~17:00(入館券の販売は16:00まで)
 ※当日に限り再入館可。(必ず退出前に出入口にて申し出てください。)
 ※1月は連続休館あり、8月は無休。(*詳細はHPにてご確認を!)

 ○入館料:一般 3,240円
     大学生 2,160円
     小・中・高生 540円
     いずれも消費税等込(*2019年5月現在)
 ※公式オンラインチケット全国コンビニチケット、前売券取扱所のご案内
 ※入館券の販売は16:00まで。
 ※20名以上の団体は10%割引きあり。

 ○駐車場:無料。(入庫の際、発行される駐車券を館内設置の機器に通す。)
      美術館駐車場への最終入場は15:50まで。

 ○アクセス:↓(大塚国際美術館HPより)
201405-OTBaccess.png




大塚国際美術館」という名前は当時もなんとなしには知ってはいたのだけれど、あまりメジャーではなかったのか(私だけ?)、美術館は大好きなのに当日その時まで行こうという予定にすら入っていなかった緑の船。。。

開館は1998年(平成10年3月21日)、そして明石海峡大橋の開通が同じく1998年(平成10年4月5日)。
めでたく「神戸ー鳴門ルート」が開通したのでとてもいい時期に開館したのだろうと思いますが、まさかこの明石海峡大橋の開通に合わせて開館したんでしょうか!?だとしたらすごいですよね。



去年(2018年の大晦日)の紅白で徳島出身という米津玄師さん(読み方をずっと”よねつげんすい”と間違えていた…。正:よねづけんし)がこの大塚国際美術館の館内で歌ったりしてたので、今はまた一層有名になったようです。


★【米津玄師さん紅白で「Lemon」披露 地元・徳島県鳴門市の大塚国際美術館から生中継】徳島新聞より(トップ> 徳島ニュース >徳島の話題)2018/12/31

20181231-yonezu-lemon.png


★【米津玄師 MV「Lemon」】



★【紅白の舞台・大塚国際美術館 米津玄師さん効果 “巡礼”続々】徳島新聞より(トップ> 徳島ニュース >徳島の話題)2019/1/30

美術館学芸部の富澤京子係長は「幅広い世代に美術館や徳島の魅力を知ってもらう機会になりありがたい」と話している。







しかし我々が行った開館16年後の2014年(平成26年5月)は、GW中に訪れたのだけど、そんなに混んでもいなかったような印象。
この時実はこの美術館からほど近い場所にたまたま宿をとっていて、そこへ向かう途中に

「あれ、こんな所に中々立派な美術館があるよ?行ってみる?」

程度の寄り道感覚で入ってみることにしたのでした。




しかし、いざチケットを購入する段になり「お一人様…3,240円!?」という中々なお値段に一瞬躊躇。

た、高くない!?(◎_◎;)

下調べも何もしてなかったので、果たしてこの金額を払ってまで観たいのかとしばし検討。
どうも、「陶版名画美術館」という異名から、名画をタイルに焼き付けた?所謂”良い贋作”の美術館てことなのかと推察。
”贋作”なのにこの値段…。
どうする?どうしようか?とチケット売り場で悩む悩む。

四国へは何回かツーリングで回ってはいたけれど、今までこんな所に美術館があることも意識せずスルーしてきたし、今回も同じく意識もしてなかったものの、今こうして改めてこの機会があり、美術館に寄る時間的余裕もある。…ということは行って観てきてもいいんじゃない?とまとまりました。

いざ入場。

お?

入り口から入ると、まず長い長いエスカレーターで上へ上へと昇っていくのです。
…なんかすっごくでかくない!?
外観からは館内の広さが全く分からなかったんですが、めっちゃ広いです。





そして、所謂”贋作”でしょ?とタカをくくっていた我々は度肝を抜かれたのでした。

観る時間は30分くらいしかないわー、というなら非常に勿体無いことになるでしょう。
我々はお昼の12時半頃に入場し、この後延々と閉館時間まで館内を巡ることになりましたw
(途中食事をとって軽く4〜5時間、そしてまだ見足りない感じでw)

美術館は地下3階から2階までのフロアからなる。
システィーナホールのように、古代遺跡や教会などの壁画を環境空間ごとそのまま再現した作りが特徴で、鑑賞距離にすると約4kmになる。




最初、どうせ”プリント贋作”でしょ?パネルでしょ?と舐めてかかっていたら、見事に鼻っ柱を叩かれて目が覚めたような衝撃!


ナナナなななな何ぞこれーーーーっ!?オオ━━(#゚Д゚#)━━!!


きっと写真なんかではこのスケールはお伝えできないと思うけれど、その一部をご紹介。


201405-OTB1.jpg




米津さんが紅白で歌ってたのはここでしたね。

システィーナホール
 *ミケランジェロ:システィーナ礼拝堂天井画および壁画。
  所在地:ヴァチカン

高さ16mの位置にある800㎡の天井を彩る旧約聖書の「創世記」の物語や「最後の審判」などの名画。ただし、紙やキャンバスに描かれたものではなく、陶器の大きな板に原画に忠実な色彩・大きさで作品を再現した「陶板名画」である。実物の礼拝堂を完全再現している

★【HUFFPOST<米津玄師が紅白で歌った礼拝堂が注目を集める。大塚国際美術館てどんなところ?】より





201405-OTB20.jpg







牛乳を注ぐ女
フェルメール:所蔵/ アムステルダム国立美術館(オランダ)

201405-OTB3.jpg

フェルメールはあの「真珠の耳飾りの少女」もあったけれど、はしゃぎすぎて絵と自分の写真を撮ってばかりであの絵だけのはなかった…orz
昔、美術館で本物の「真珠の耳飾りの少女」の絵を観たことはあったけれど、ものすんごい人ごみで近づくのも困難だったのを思い出す。
あの絵がこんなに間近でじっくり見られるなんてw

そう、陶版の絵だから鼻の先までの接近も写真もOKなのです!



201405-OTB4.jpg



=エル・グレコの大祭壇衝立画=(復元)
 *(所在地:もし現存してたらスペイン)

かつてスペインのドーニャ・マリア・デ・アラゴン学院にはエル・グレコ(1541年〜1614年)の円熟期、 1600年前後の制作になる大祭壇衝立画がありました。残念ながらこの作品は19世紀初頭、ナポレオン戦争で破壊され散逸し、幻の祭壇画となりました。
当美術館ではスペイン美術史家、故・神吉敬三教授の説に従って、スペインのプラド美術館にあるエル・グレコの5点の作品「キリストの復活」(左上)、「キリストの磔刑」(中央上)、「受胎告知」(中央下)、「聖霊降臨」(右上)、「キリストの洗礼」(右下)にルーマニア国立美術館の1点「羊飼いの礼拝」(左下)を加えた6点で、この大祭壇衝立画を原寸大で推定復元しました。世界初の試みです。

 大塚国際美術館HPより






この美術館の何がすごいのかというと、展示物が原寸大なのはもちろんですがその再現度の質がとても素晴らしいのです。
まるで、本当にイタリアで壁画を見ているかのような展示です!

すごい凄いすごーーーいっΣ(゚□゚(゚□゚*)


=秘儀の間=(写真はほんの一部)
秘儀荘(紀元前2世紀頃に建てられたとされる)/ 所在地:ポンペイ遺跡(イタリア)
西暦79年のヴェスヴィオ山の噴火によって埋もれてしまったポンペイ市壁外に残っていた館。

この壁画の赤はポンペイ・レッドと呼ばれ、秘儀荘という名前は、この建物から「ディオニュソスの秘儀」を描いたとされる見事な壁画が見つかったことに由来するとか。詳細は現地を訪れた方のこちらを↓参照。

★【ポンペイの秘儀荘と個人住宅】*「遺跡ときどき猫」さんのサイト。2017年8月・10月訪問した時のレポ。
見事なアレキサンダー大王のモザイクやポンペイレッドが鮮やかな美しい壁画、ポンペイの秘儀荘とその他の有名な個人住宅を詳細に紹介してあります。


個人的には、この黒い翼の女神が鞭を振るっている場面がお気に入り♪

201405-OTB5.jpg


西暦79年に起きたこの大噴火は、当時から一級の保養地・避寒地であった2つの町ポンペイ(Pompei:推定人口2万人)とヘルクラネウム(Herculaneum:推定人口5000人)をおよそ一日で埋没させ、かのローマ帝国をも揺るがしたと言う。
この壁画からも、屋敷はかなり裕福で豊かな文化を享受していたであろう暮らしぶりが伺えます。

8月24日昼頃:最初の水蒸気マグマ噴火が起き、噴火に伴う激しい群発地震が発生する。噴煙によって吹き上げられた軽石が絶えず町に振りそそぐ。
 ↓
8月25日未明:噴火口が崩れ火砕流が発生、火口から6.5kmのヘルクラネウムの町が全滅。
 ↓
8月25日朝(8時頃):さらに大規模な火砕流が発生、火口から9kmの麓にあったポンペイの町を襲う。まだ町に残っていた2000人が焼死。ポンペイはこの時すでに2m以上の厚さの降下軽石に覆われていたと言う。(と言うか、もうそれ逃げられない状態よね…)

下記↓を読むと1940年前の噴火による災害が実にリアルに身に迫ってきます。日本もイタリアも火山活動が活発な土地柄ですからね。(そしてその恩恵として温泉があると言う至福も共通)

★【西暦79年にイタリアのヴェスヴィオ火山で起きたプリニー式噴火小山真人「ヨーロッパ火山紀行」(ちくま新書)より参照。




しかし、いつか行ってみたいと思っていたポンペイ遺跡。。。
その遺跡の一部をまさか日本にいながらこんなにじっくり見られようとはw

イタリアに行くことを思えば、入場料3,240円なんてお安いですわw




=貝殻のヴィーナス=
*貝殻のヴィーナスの家 / 所在地:ポンペイ遺跡(イタリア)

201405-OTB6.jpg



壁画は屋外の噴水の前にもあったりして、これも陶版の成せる技。

陶版名画すげーーーーーっΣ(´Д`*)感激!




さて、大塚製薬の関連会社が創設したとういうこの大塚国際美術館。
なぜに普通の美術館ではなかったのか?(絵画を普通に購入・収集し、普通に展示する美術館ではなかったのか?)

なぜに陶版で名画だったのか?









それは、一握りの砂から始まった。


=以下大塚国際美術館サイトより=(*少々編集)

大塚正士(大塚国際美術館初代館長)
 1998年(平成10年)大塚製薬創立75周年事業として「大塚国際美術館」を設立。

我々が今回のような美術陶板の開発に着手したのは、今から27年前(*1971年:昭和46年)のこと、私が大塚グループ各社の社長をしておりました時に、グループ会社の一つの、大塚化学の技術部長であった私の末弟・大塚正富(現アース製薬株式会社社長)と、技術課長の板垣浩正(現大塚オーミ陶業株式会社取締役)の2名が私のところにやって来て、一握りの砂を机の上に盛り上げたことからはじまります

「社長、実はお願いがあるのです」(`・ω・´)
「その砂はどうしたのだ?」(・Д・)

これは鳴門海峡の砂です」(・ω・)ノ

うちの工場は紀伊水道に面していて白砂海岸がずっと海峡まで続いており、その白砂です。

「実はこの砂でこれからタイルを作ろうと思っております。
この砂はコンクリートの原料として採取し、機帆船で大阪や神戸へ陸揚げして、建築用としてトン幾らで販売しているのです。しかし、これをタイルにして1枚幾らで販売すると非常に価値のある商品になり、徳島県のためにも、また大塚のためにもなりますので、是非とも県知事に話してこの白砂を採取し、タイルを作る許可を貰ってほしいのです」(`・ω・´)(・ω・)ノ

直ちに当時の知事、武市恭信氏に話をして許可を得たのですが、彼ら2人は大塚が着手しないのなら会社を辞めるとまでの大変な意気込みでして、私も感心したのです。

ところが、会社設立の昭和48年(1973年)は、皆様もご存知の通り石油ショックが来まして、石油価格が12倍にも高騰し、ビルの建設が全面停止になるという異常事態が起こりました。我々としても、会社は設立したものの操業が出来なかったのです。

その時に役員一同頭を抱えて考えた末、

「陶板に絵を描いて美術品の方に移行しようじゃないか」(´・Д・)」(´・Д・`)ノヽ(゚ω゚)

ということになり、まずは尾形光琳の「燕小花」(*注1)を作りました。

(*注1)
★【尾形光琳:燕子花図】「文化遺産オンライン」より参照

(右隻)
ogatakourin-kakithubatazu-migi.png

(左隻)
ogatakourin-kakthubatazu-hidari.png




なにしろ1m×3mという大きな陶板が無傷で焼けるものですから、これを数枚並べればよいのです。
そのうち更に大型の美術陶板が制作出来るようになりましたが、より完成度の高い美術品を追求して新しく焼き、作り、且つ壊しながら日々研究努力を続けてまいりました。これから色の道に対する我々の苦労が始まったのです。

  (中略)

大型美術陶板・写真陶板の製作に成功した時は、丁度大塚は創業50周年(*1973年:昭和48年)でしたし

「これで何か後世に残るもの、我々だけのものでなく、皆様と共有できるものを作ろう」o。(○゚ω゚)ノヽ(・Д・)。o

という話がありましたが、それが実現せぬまま、おやじは80歳で亡くなりました。

それから25年経ち、とにかく終戦の時はたった17名の社員であったのが現在は社員23,000人に、殊に徳島県では社員7,000人の企業に成長致しましたことですし、永年大塚が徳島県にお世話になったお礼のために、おやじの遺志でもあり私も同様に考えておりましたので、
75周年記念事業として
是非とも徳島に造らねばならない
と現在の地、鳴門海峡に西洋の名画のみの美術館を造って、皆様に見て頂くという考えで「大塚国際美術館」を設立いたしました。





そうか、そんな経緯と歴史がこの美術館に…。

最初は、大塚国際美術館ってあの大塚製薬の関連グループ事業なのね?へー、ふーん、製薬会社って儲かってるんだね┐(´-`)┌金持ち企業の道楽事業かな。…なんてうがった見方でエスカレーターに乗っていた私です。。。


すみませんでしたーーーーーっ!m(_ ”_;)m
今はめっちゃその設立経緯に共感し感銘を受けている県外者の私。
次回は心して、こんな素晴らしい美術館を創設してくださった皆様に感謝しつつじっくり鑑賞したいと思います。








あ、あれは!!(喜)

アレキサンダー大王アレクサンドロス大王)!!(紀元前356年~前323年。若き日はアリストテレスの講義も受けた)


=アレクサンダー・モザイク=
(大王部分のみ。全体はでっかい壁いっぱいの壁画w)
*所蔵:ナポリ国立考古学博物館(イタリア)
 ポンペイの「ファウヌスの家」と呼ばれる邸宅の一室を飾っていた。

201405-OTB8.jpg


世界史は苦手な私が唯一そのルックスに惚れた横文字の偉人さんw
もうほとんど忘れていたのに、この壁画の前に立って、学生の頃世界史の資料にあったアレキサンダー(アレクサンドロス、アレクサンダー、正しい呼び方どれよw)大王のこの写真を見ながらノートに大王様のイラストを描いていたことを思い出したわ…。
そう、この横顔が好きだった(〃▽〃)。

ヘレニズム文化

紀元前4世紀頃にギリシャ各地のポリスが統一され、北方のマケドニアのアレキサンダー大王 によって、ギリシャは統一され支配された。さらに領土を拡大しようとし、エジプト、ペルシャなどオリエント各地にも遠征したこの頃の文化。





そして、実は現地でアレキサンダー大王の壁画以上に食いついた絵があった。
戦闘で傷ついた兵士を介抱する図とかだったような、古代ギリシャかエジプトの辺りの皿絵だったような…?(うろ覚え)






そう、これこれ!

201405-OTB7.jpg






美術館のサイトには「展示作品リスト」があるのだが、古代エリアのどれか作品名だけではわからぬ!

Google先生に「ギリシャの陶器」で質問→
「『矢で負傷したパトロクロスを治療するアキレウス』(前500年頃)Wikimedia Commons」という画像を提供していただく。
これや!しかしこんなタイトルの展示リストがない…「アキレウス」いっぱいある…(°_°)

16ペンテシレイアを殺すアキレウス、17パトロクロスとアキレウス、19アキレウス、91アキレウスとトロイロス、92アキレウスとペンテシレイア、93アキレウスとトロイロス、99アキレウスとブリセイス、101アキレウスとケイロン。(多分17番?)

Wikiwand で再捜索>アキレウス

アキレウス(Ἀχιλλεύς、ラテン語: Achilles)は、ギリシア神話に登場する英雄で、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』の主人公である。ラテン語ではアキレス。プティーアの出身で、プティーア王ペーレウスと海の女神テティスとの間に生まれた。アイアコスの孫にあたる。



ギリシャ神話に登場する結構メジャーな英雄だったのね!

あったー!

=以下一部編集=

アキレウスは、友人パトロクロス(*1)と共にトロイア戦争に参加していた
(*1)古代ギリシャ語: Πάτροκλος, Patroklos, 英語: Patroclus(あるいはパトロクレース:Πάτροκλος, Patroklēs)は、ギリシア神話の登場人物。トロイア戦争の英雄アキレウスに仕えた武将で主人のアキレウスとは竹馬の友でもあった。

ギリシア勢がトロイア戦争を開始してから十年目、ある事情により理不尽な行為に腹を立てたアキレウスはそれ以降戦いに参加しなくなる。アキレウス退陣とともに神々の加護を失ったギリシア勢は総崩れとなり、陣地の中にまで攻め込まれる(ゼウスがギリシア勢に味方する振りをしてイーリオス勢に味方した。ゼウスひどい)

これを見たパトロクロスは、出陣してギリシア勢を助けてくれるようアキレウスに頼んだがだめだった。せめてとアキレウスの鎧を借りてミュルミドーン人たちを率いてパトロクロスが出陣した。アキレウスの鎧を着たパトロクロスの活躍により、ギリシア勢はイーリオス勢を押し返したが、そのパクトクロスがヘクトール(イーリオスの王プリアモスの息子、事実上の総大将)に討たれ、アキレウスの鎧も奪われてしまう。

パトロクロスの死をアキレウスは深く嘆き、ヘクトールへの復讐のために出陣。復讐の戦いでイーリオスの名勇士たちを葬り去る。イーリオス勢が城内に逃げ去る中、門前に一人立ちはだかる人影が。親友の仇ヘクトールだ!
ギリシア勢とイーリオス勢が見守る中、アキレウスとヘクトールの一騎討ちが始まる。
アキレウスは復讐心からヘクトールを追いまわし、ヘクトールは逃げ回ってイーリオスの周りを三度回る。しかし、ついにヘクトールはアキレウスに冷酷な殺し文句と共に討たれたのだった。

復讐を遂げて満足したアキレウスは、さまざまな賞品を賭けてパトロクロスの霊をなぐさめるための競技会を開く。(よほどパトクロスが好きだったのね。その分ヘクトールへの仕打ちはひどかった。アキレウスは競技会が終わっても死者への酷い仕打ちを続けるが、ヘクトールの父プリアモス王に懇願されてやめ、プリアモスを労わり息子の遺体を返す)
ヘクトールの葬儀の記述をもって、アキレウスの『イーリアス』の章は終わる。




というわけで、この皿絵は「パトロクロスとアキレウス」(*ギャラリーAに展示)であろう。あースッキリしたw


現物はベルリン国立古代博物館(ドイツ)に所蔵、古代ギリシャの陶器(紀元前500年頃)で、大塚国際美術館の展示リストによる作家欄は”ソシアスの画家”となっている。名前?土地名?工房名?

特に何に惹かれたっていうと、このデザイン!
今時(近代)の少女漫画や小説の挿絵にありそうなこの線、この配色、この洗練された図象!
もちろん陶器として、美術品としての完成度もステキ!
これが紀元前500年頃のデザインだと(◎_◎;)!?(日本は弥生時代初期から中期頃、中国は春秋戦国時代辺り?)

ギリシャ神話をモチーフにした古代ギリシアの陶器だけれど、その後の文化のどこにも似ていないし、継承もされていないような絵柄に目が釘付け。
この辺のギリシャ神話をモチーフにした絵画様式がなんとも独特だけれど、その後の時代のギリシャにもないんじゃないか?あったっけ?
ローマ時代には神話の彫刻も絵もなんだか写実主義に入って、さらに実際の造形より盛ってムキムキな感じよね?骨と肉、2Dよりも3D!みたいな。
見れば見る程、同時代の他のどの絵画より洗練されていると思うんだ。エジプトの壁画ともまた雰囲気が違うし。
古代ギリシャのこの絵を描いていた文化はどこへ消えてしまったのだろう…。

皿に穴が開くかと思うほどグイグイ眺めた作品でした。





今やすっかり忘れ去っていたこの陶器をちょいと調べてみた。

この陶器が生産されたのはアッティカ地方(*アテナイ=現アテネを中心とした地域)といい、紀元前5世紀に至るまでギリシア陶器製作の中心地であり、建築、彫刻においても常に主導的位置を占めていた。パルテノーン時代にドーリス、イオーニア両様式の渾融した古典様式を完成した古代ギリシャの中でも生粋の文化の中心地だったところだ。

★【世界美術大全集 西洋編(小学館)

★【アッティカ(古代都市):唐草図鑑】より
知りたかったことが簡潔にまとめてあり素晴らしい♪以下一部参照。

アッティカ陶器
アッティカ地方を中心に生産された古代ギリシアの陶器。高い完成度を示し、ギリシア美術の最も特色ある一部門を形成する。
黒像式」と「赤像式」の二種の技法があり、前者は素地の上に描く対象を黒ワニスで塗りつぶし、その細部を掻き落としの技法で表すもの。後者は紀元前530年頃現れ、蔵の部分を素地のまま残して、周囲を黒ワニスで塗りつぶす技法である。

プロト・アッティカ様式(Proto-Attic style):紀元前7世紀
ギリシア文明の黎明期である紀元前10~前8世紀に幾何学文様式がギリシア世界を風靡する。(最初の傑作群を製作したのがアッティカの陶工たち)
紀元前7世紀、プロト・アッティカ様式の陶器は、幾何学文様式を継承しながら新しい形態を創造し、人間や動物を奔放なまでに豊かな表現力で描いている。同じ頃アッティカ陶器と並んでコリントス陶器も発展するが、その繁栄期間はより短く、紀元前6世紀中頃にはほとんど衰退し、以後アッティカ陶器が優勢となる。コリントス陶器の洗練された装飾と細部の入念な仕上げを取り入れて、多くの海外市場を独占していく。(*商売上手ですな!)

アッティカ陶器の第一期:紀元前600~前530年頃
力強いプロト・アッティカ様式の時代を過ぎ、アルカイック期の黒像式の技法がますます進展する。(*私が好きな様式は多分この辺りから!)
小型のアンフォラ(両肩に持ち手がついたほっそりした壺)においても大型のヒュドリア(腰のあたりに持ち手がついたずんぐりした壺)においても細密画風の精緻な様式へ向かう傾向が見られる。
アッティカの陶工や陶画家たちは注文の増加に伴い自作の価値を自覚し始め、その結果作品に署名する者も現れるようになる。(ブランド化の走り!?)

アキレウスと共にトロイア遠征に参加した神話上の英雄パトロクロスのための葬礼競技の場面を豊かな表現で描いたソフィロス(Sophilos)はアッティカ最初の署名画家の一人である。



本当に名前のある絵師がおったーーーっ!(◎_◎;)
紀元前500年以上前の署名ブランド画家…すごくない?


アッティカ陶器の第二期 :前530~前480年
赤像式の技法が開始される。(*画家ソシアスの陶器はこの頃)
以後この技法がアッティカ陶器の主流となる。
 厳格様式期:紀元前480~前450年頃。
 中期古典期:紀元前450~前400年頃。

後期古典期:紀元前400~前320年頃。
壁画や板絵などの他の絵画が様々な新しい表現の可能性を追求していたこの時代、アッティカ陶器は今までの課題を繰り返しただけの時代遅れの様式になっていた模様。紀元前4世紀末頃に生産が停止される。




この様式は他に黒絵式とか赤絵式とも呼ばれていて、紀元前600年〜紀元前400年頃のものがよく見られる。
紀元前1300年〜前1180年頃に栄えたコリントス式の陶器は有名らしく、時代的には色や図象とか似ていてその系統を受け継いでいるようななイメージだなぁと思っていたら、本当に継承されていた。(というかアッティカ陶器がコリントス陶器の様式を吸収して栄えたというべきか?)


私の好きなこの「パトロクロスとアキレウス」(画家ソシアス Sosias)は赤像式のキュリクス(古代ギリシア語: κύλιξ、kylix)で、ワイン用酒杯の一種であった。(直径32cm、高さ10cm)
ワイン用だけどもギリシャではこの形の酒杯はもうないそうで、でもこの形って日本では今もお相撲さんが優勝した時とかに飲む特大盃と似ている。もしやこんな感じでギリシャから日本まで酒杯の形で繋がっているのかもw

=キュリクス=
比較的浅く広がった形状で脚がついており、縁の両端に対称かつ水平の取っ手が出ていることが多い。 内側のほぼ平らな円形の部分をトンド(円形の絵画)と呼び、紀元前6世紀や紀元前5世紀の黒絵式陶器や赤絵式陶器では主にそこに絵を描いていた。
  by Wikipedia



赤像式ってことはアッティカ陶器の第二期頃で、その中でも”ソシアスの画家”と名が残っているのね。
うんうん、ソシアスよりちょっと前の時代で黒像式の画家エクセキアス(Εξηκίας、Exekias)とかとはやっぱり絵柄がかなり違う。(横顔の目の描き方が、エクセキアスは様式美なのかエジプト絵画のように目だけは正面からの目の形だったりするけど、ソシアスは普通に今時の絵師のような繊細さw)


改めて比較して見て、やっぱり私はこの絵師ソシアスの図象が格別に好きだ!
.゚+.(・∀・)゚+.


★【3 - 1 - 2 開拓者たち】「GREEK VASES」より(ギリシア陶器とはどういうものかを簡潔に解説してくださっているサイトです♪)

この時代の最後に位置し、現存する作品はわずかではあるが、ギリシア陶器の中でも傑作のひとつに数えられる陶器を描いたのがソシアスの画家(Sosias Painter)である。




確かにこの時代の黒像式の図象も赤像式の図象も、物によっては線、絵柄、デザインがだいぶ違っていて、その中でも私がビビビッときたのがソシアスさんという画家の個性としてのデザインだったということなら、後の時代にはもう同じものがないというのも納得。


しかし、紀元前500年頃って今から2520年くらい前ってことで、そのデザインが現代の少女漫画の絵柄とそう変わらないってことに別の意味で驚愕。
・:*+.(( °ω° )).:+ 時代は巡る、地球を回ってw








ここは本当に日本ですよね?と言いたくなったこの部屋。

スクロヴェーニ礼拝堂
*ジョット・ディ・ボンドーネ/ フレスコ絵画の壁画

(Cappella degli Scrovegni)は、イタリアのパドヴァにある礼拝堂。
エンリコ・デッリ・スクロヴェーニが購入し、礼拝堂を建てた場所が古代ローマの競技場(アレーナ)であるアンフィテアトルム跡に隣接していることから「アレーナ礼拝堂」とも呼ばれる。
1305年に完成したジョット・ディ・ボンドーネが描いた、西洋美術史上もっとも重要な作品である一連のフレスコ絵画で知られる。礼拝堂は受胎告知と聖母マリアの慈愛に捧げられており、ジョットのフレスコ画は聖母マリアの生涯を描き、人類の救済におけるマリアが果たす役割を祝福するものになっている。



再現にもほどがあります。
そして素晴らしく美しい空間であります。

青が美しい…。


201405-OTB9.jpg


201405-OTB11.jpg






=受胎告知=(の左部分:天使ガブリエル)
レオナルド・ダ・ヴィンチ / 所蔵:ウフィツィ美術館(フィレンツェ、イタリア)


201405-OTB12.jpg



写真を見返したら、「受胎告知」の絵の前で嬉々として同じポーズで写っている自分がいっぱい…。
きっと他の人も同じような写真を撮っているはず…\(//∇//)\。




=受胎告知=
フラ・アンジェリコ / 所蔵:サン・マルコ美術館(フィレンツェ、イタリア)

201405-OTB10.jpg




ルネサンスコーナーに「受胎告知」だけで14作品あったけれどこの二つの作品が好きかなぁ。

キリスト教にはとんと疎い私ですが、このへんの宗教画でよくある頭の上に後光(リング)を描くという手法がなんとも好きです。
「絵」として、あのリングがあるのとないのとでは印象が随分違う気がします。
その描き方もこちらのように頭上のちょっと上で、後ろ倒し気味で、輪っかを全部塗りつぶすのではなくごく細い線で繊細に描いてあると、実にやんごとなき雰囲気が出るとか。



=大公の聖母=
ラファエッロ(ラファエロ) / 所蔵:ピッティ美術館(フィレンツェ、イタリア)*1504年、ラファエロが21歳の時の作品!

201405-OTB13.jpg







ボッティチェリ「春」(プリマベーラ)
 ○原寸:315 x 205 cm
 ○所蔵:ウフィツィ美術館(イタリア:フィレンツェ)

201405-OTB14.jpg


これも綺麗だったなー。
陶版の境界線が見えますが、それでも原寸大を間近で眺められるのはいいです。
中央の位置にいるのが愛の女神”ヴィーナス”アフロディーテ)。
美しくて、もう舐めまくるがごとく眺め倒しますw

右端の青白い顔の頬をふくらませて息を吹いているのが春を運ぶ神、西風のゼフュロス。
ゼフュロスが恋をして抱きつこうとしているのがニンフのクロリス。
クロリスの口元からは花が溢れ出てきているが、ゼフュロスの手が触れると彼女はフローラという花の女神に変身するらしくその途中変化の状態で、左隣に描かれている花柄の衣服を纏っているのが、女神フローラの完全変化の状態らしい。
左側の3人は「三美神」の女神たち。左の女神が「愛欲」、中央が「純潔」、右が「愛」。
「愛欲」と「純潔」は対立しているが、「愛」が2人の仲を取り持っている。「愛欲」と「純潔」の相反する性質を、「愛」で統一している図なのだとか。
頭上のキューピッド(エロス)は目隠しをしていて、矢を射ろうとしているのはよりによって「純潔」の頭上wとか、左端のイケメンは神の使いマーキュリー(ヘルメス)で人間界と神の世界を取り持っているおかげで人間界にも春が来るとか、物語の背景を知るともっと絵が面白く見られます。

★【ボッティチェリ「春(プリマベーラ)」 La Primavera 解説】参照




=バベルの塔=(の、ほんの一部分)
*ピーテル・ブリューゲル(父) / 所蔵:ウィーン美術史美術館(オーストリア)

201405-OTB15.jpg


乗船員Kはブリューゲルのこのバベルの塔(バビロンの塔)の絵をえらくお気に召してミニチュサイズの額をお買い上げしたほど。
そのブリューゲルの「バベルの塔」展は2017年(平成29年)に東京都美術館で開催しておりましたね。

当然こちらは原画でしょうが、こんなに間近であのモブシーンをじっくり見られたかどうか。
細々と描かれるモブシーン(作業員とか1400人位いるらしい)や、塔建設の工事現場をじっくりじっくり眺められるのも陶版の絵のおかげw


201405-OTB16.jpg







=ジョヴァンナ・トルナブオーニの肖像=
*ドメニコ・ギルランダイオ / 所蔵:ティッセン=ボルネミッサ美術館(マドリード、スペイン)
 絵の背景に描かれた紙片には、イタリア語で『1488』と彼女の亡くなった年が記載されているとか。詳細はこちらを参照→★【Nostalgia dell'Italia:ギルランダイオ~ジョバンナ・デリ・アルビッツィの肖像画~】(* イタリアンカフェ&ショップ「ノスタルジア・デッリタリア」さんのブログより)

実物はもっと色鮮やかで美しい…写真がオレンジ色に染まってしまっていて泣ける(´д⊂)。

201405-OTB17.jpg






しかし、反射するライトの明かりでこうやって遊べるのも陶版の絵のおかげw



=洗礼者聖ヨハネ=
*レオナルド・ダ・ヴィンチ / 所蔵:ルーヴル美術館(パリ、フランス)

201405-OTB19.jpg






=バッカス=(の一部分)
カラヴァッジョ / 所蔵:ウフィツィ美術館(フィレンツェ、イタリア)
バッカスはローマ神話の名前で、ギリシャ神話ではディオニュソスという。
ディオニュソスといえばポンペイ遺跡の秘儀の間。印象はだいぶ違う感じね。
なんだったっけ?と思ったらまた上にスクロールしてみてくださいw

201405-OTB21.jpg




最後の晩餐<*修復前と修復後がある>=
*レオナルド・ダ・ヴィンチ / 所蔵:サンタ・マリーア・デッレ・グラーツィエ修道院の食堂(ミラノ、イタリア)

201405-OTB18.jpg


しかし、日本にいながらダ・ビンチさんの「最後の晩餐」が見られようとは…。しかもビフォアー⇄アフターでw(歪んでみえるのは私のカメラのせい…)
映画『ダ・ビンチ・コード』を見たせいもありますが、こうしてまじまじ見るとキリストの左隣の使徒ヨハネ(映画ではこれが「マグダラのマリア」と解釈されている)はやっぱり女性的に見えるわー。二人の間の意図的に直線的なV字の谷間も、なんとなく不自然で何かのメッセージに見えるわー。
もし自分が描いていたとして、引いて見てやっぱりあの直線的なV字が気になって人物配置を変えたくなるもの。








いかん、じっくり見すぎて腹が減った。目が回る〜。(o_o)
そうだ、甘いものを食べよう!


201405-OTB2.jpg


館内にはおしゃれなカフェもあって、絵を見て歩き回ってクタクタになったらお茶したり栄養補給できます。
はい、チャージ完了!

カフェの窓の外には池やお花の咲いているきれいなお庭なんかあったりして、天気もいいしちょっと外に出て気分転換しましょう。




201405-OTB27.jpg







201405-OTB24.jpg





ん!? (」゚ロ゚)」(」゚ロ゚)」…オオオオオッッッ!?


201405-OTB22.jpg



こんなところにもまさかのモネの池!?




おお、心なしか影もモネの描く淡い色のよう…


201405-OTB25.jpg





青空の下で眺めるモネの睡蓮…、こんな贅沢な絵画の展示があるでしょうか。




モネの大睡蓮
*クロード・モネ / 所蔵:オランジュリー美術館(パリ、フランス)


201405-OTB23.jpg








201405-OTB26.jpg





絵に注ぐ影もまるで絵画の一部。

最後まで感嘆しっぱなしの大塚国際美術館でした。







*長い長いスクロールお疲れ様でした。
 大塚国際美術館の壮大さをお伝えできておりましたら幸いです。
 (我々も一度で全部観るのは無理でしたが、それもまたの楽しみになりましょうw)


改めて、この素晴らしい美術館に敬意と感謝を!(*´∀`人 ♪

.......................
FC2ブログランキングへ→
Copyright © 航海記 ♪歌いながら行くがいい♪. all rights reserved. ページの先頭へ