白川水源の保全料を払って入ったところで、もうひとつの鳥居がお目見えする。


この鳥居の神社名板の隙間からうにうにと伸びている草がなんとも「蟲師」っぽくてよいですね。
壊れたところは新しい石板に変えてもその他は古いまま組み立てて建っているところもよい。

罔象女命(ミズハノメノミコト) : 水祖(ミズノオヤ)、水に関すること一切を司るとされている水の祖神。
イザナミ(伊弉冉、伊邪那美、伊弉弥など:日本神話の女神)の尿から生まれた神。
別名(読み方は同じ) : 水波之売命、弥都波能売命、水速女命など。
漢字に「女」がついているが、祭ってある神社によっては「女神」だったり「男神」だったりするようだ。
でもなんとなーく水系の神さまって女っぽいイメージがあるなぁ。
男だったとしてもとてもユニセックスというか、中性的なイメージなのでこれはこれで。
ここ南阿蘇の麓である白川吉見神社以外にも、有名なところでは丹生川上神社中社(奈良県)や、岡太神社(福井県)、大井神社(静岡県)、伊勢神宮滝祭神(三重県)などでも祭られている。
看板には罔象女命(ミズハノメノミコト)の名前しか出ていなかったが白川吉見神社の祭神は国龍大明神(クニタツダイミョウジン)と罔象女命(ミズハノメノミコト)の2柱らしい。
今回は時間の問題もありスルーしてしまったが、この神社はその規模の大きさからも有名な阿蘇神社の末社であるそうな。
実はあまりそんなに期待してなかったこの白川吉見神社、水の神さまということで緑の船としてはとっても居心地よい神社で個人的にはどの神社よりも心穏やかにエネルギーを充電できた場所でした。

ここはこの旅で一番の発見だったなぁ。
地元だったら毎日お参りしてるわ。
また行きたーい♪
緑の船にとって「湧き水」のイメージは結構ほっそりと…というかポタリ、ポタリというようなものだったけど、ここ白川水源のそれはとても豊かな水量でびっくり。

次々に水を汲んでいく人々に並んで柄杓で掬った時の感動ったら!
田舎育ちとはいえ、水は水道の蛇口からと育ってきた我々にとって泉からそのまま飲める水が頂けるってのはちょっとした感動だ。

水を入れた途端ペットボトルは汗をかき始め、そのままで冷たいお水の出来上がり。
早速飲んでみると、全く雑味のないさらっとしたお味。
おいしい~♪
ミネラルが含まれるのかどうかまでは分からないけど、こんな飲みやすいお水はないと思う。
一口飲むほどに自分の体の中まで澄んでいくんじゃないかって思うほどだ。


水源というものをまじまじと見るのも初めてかも?
中央の濃い砂地が盛り上がっているところが水源です。
泉そのものは鏡のように静かなのに、この水底からは毎分60㌧もの勢いで水が吹き上げているのだ。
こうして見るとこの場所はそれほど大きくもないし、泉も深くはない。
けれどこの泉の前に立っている時、ものすごーく大きく、広く、深い何かを感じて私は震えた。
怖くて震えたんじゃなくて、嬉しくて震えたね。
もしかして、パワースポットで感じるってこんな感じなのかな?
午前中に高千穂のパワースポットを堪能した我々は、R325を北上し、本日のお宿がある南阿蘇を目指す。
南阿蘇にはあっさり着いたので阿蘇山をぐるっとドライブでもしようかと相談していたら、道の案内板に「→白川水源」というものが目に付いたのでちょっと行ってみたい!…と言い出したのは緑の船。
船は水にまつわるエトセトラも興味あるので。
大きな道からどうにも観光地っぽくない雰囲気の旧道へ入ってしばらくすると観光客用の少し広めな駐車場と土産物屋発見。
水源とあるけどそれぽいものはなく、いたってフツウの神社の鳥居が道沿いに建っていた。
大きさはそれほどでもなく「白川吉見神社」とある。
神社の中にある水源らしい。

やや狭い参道を行くと休日だというのに観光客相手に売る気もなさげなのんびりした土産物屋があり、ここまで「ふーん」という感じの緑の船とスピリチュアルなツレ。
その土産物屋を通り過ぎると、参道脇に流れている川の水に釘付け。

おおー!キレイな水!
ここが白川水源なのかっ!?
一気にテンションがあがる緑の船。


盛り上がった水の側には水源のお水をお持ち帰りできる容器だけが売られている。
しかし、お水は目の前の川からではなく、参拝料というか「白川水源の環境保全のための協力金」(100円)を払って神社のさらに内部へ入っていったところから頂いていくようだ。
小さいペットボトルにするか大きいペットボトルにするかしばし悩み、途中で自分たちで飲む用に1本、お土産用に1本と大きい2リットル用のものを購入。
そして、みんなが柄杓でペットボトルやでっかいポリタンクに入れていたその水は…

今まで見たこともないくらい澄んだ湧き水だった。
実はまだまだ先は長い「ディスカバー九州!」編。
今年中にまとめようと思ってるんだけど今年中に終わるのか…?と思いつつおもいっきり脇道へずざーーっ。
今年の秋も忙しく、遠出して紅葉の名所にいくこともなく過ごしたんだけど、何気に行った公園で遅まきながら紅葉狩りをしました。
やっぱ伊呂波紅葉っていいわぁ。






ささやかながら見事な伊呂波紅葉の合唱といったところでしょうか。
いろはもみじ(*英名 : Japanese maple)
★【日本のカエデ】参照
そーか、モミジって「メープル」なのね。
…メ、メープル、メープルかぁ…ってなんか違うような気がするのは私だけ?
うーん掃除が大変そうだけどやっぱり庭に植えたいなぁ、イロハモミジ。
大きな木じゃなくて盆栽みたいなのでもいいなぁ。
最近、景色盆栽に興味津々。
![]() | Bonsai With Japanese Maples (2006/10/15) Peter Adams *詳細を見る |
![]() | インテリアに映える 景色盆栽 (2007/04/05) 小林 健二 *詳細を見る |

高千穂神社 夫婦杉
この二本の杉は夫婦杉と申しまして根元が一つになって如何なる事があっても別れられない形を現しております。
この廻りを手をつないで3回廻ると夫婦、友人、睦まじく家内安全で子孫は繁昌の三つの願いが叶ふと伝わっております。
夫婦、友人、婚約者の方が手をつないで廻っている姿が絶えません。
ふむふむと読みながら、ふと「夫婦と婚約者はわかるとして…友人とその三つの願いはないんじゃないの…?」とひっそりと突っ込み。
ん、いやまてまて、世の中にはいろんなカポーたちがいるわけで…でもその場合友人というよりは「恋人」と呼んだほうがやはりしっくりくるような… ま、いっか!日本の神様そんなことこだわらなーい。

太くまっすぐ伸びた幹と大きく浮き出た根、そして訪れた人々が踏んだことによって一定に平らに丸みを帯びてきたであろう根元の造形に年月を感じさせます。

そうしている間にも若いカポーたちがこの夫婦杉を拝んで行きます。

旅行中の雨はけっこう憂鬱なものですが、こういう天気の時は緑が深く感じられるので、これはこれで雨模様も悪くなかったかも。

おそろしやの天安河原から高千穂市街地へ戻った頃、豪雨のような雨はやや小雨になっていた。
天岩戸神社へ行ったらば、やはり高千穂神社にも行かねばなるまいよ。



高千穂神社
創建は「社伝」によると第11代天皇である垂仁天皇の御代から続くといわれ1200年以上の歴史を持つ。(*)
高千穂神社(高智保皇神)の名は続日本後紀巻十三承和10年の条(843年)・日本三代実録第一巻(858年)などにその名を見ることができるなど、平安時代から中央の記録にもしばしば登場するというほど大昔から有名で由緒ある神社。
明治6年(1873年) 三田井神社と改称。
明治28年(1895年) 高千穂神社に改められる。
*この垂仁天皇の時代(三輪王朝時代)には伊勢神宮も創建され、それは垂仁天皇即位26年で今から約2000年以上前という事になるのだけど、公式な記録(続日本後紀(ぞくにほんこうき)などに記載がある等)としては控えめに見積もって1200年前の平安時代にはあった…ということですかね?
ちなみに垂仁天皇の在位期間は99年間とされる。
在位期間 : 元年1月2日(紀元前29年)~垂仁天皇99年7月14日(紀元後70年)
うーんと大雑把に括って弥生時代中期ごろ?

主祭神
三毛入野命(ミケヌノミコト)…海神の娘玉依姫(タマヨリビメ)と鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)*の子であり、神武天皇の直近の兄。
ほか、五瀬命(イツセノミコト)、稲飯命(イナヒノミコト)、佐野命(サノノミコト)を合わせた四柱。
*鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)
父神が山幸彦の名で知られる火遠理命(ホオリノミコト)、母神が豊玉媛命(トヨタマヒメノミコト)
山幸彦って神話では兄の海幸彦に釣り用の針を無理を押して自分の狩用の弓矢と交換してもらったのに結局魚一尾も釣れず挙句その大事な釣り針を失くちゃって、「ぐずバカのろま!許さないからな!」と罵られ自分の大事な剣で500個も釣り針作っても許してもらえず海辺でしょんぼりしてた愚直な神様だったような。
ただナゼか周囲の温情に助けられ、実は見目麗しい若い男神であったという反則技で海神の娘である豊玉媛(トヨタマヒメ)と恋仲になったり宝物を授かったりしている。
その山幸彦の息子である鵜萱草葺不合命(ウガヤフキアエズノミコト)がまた同じく海神の娘で豊玉媛(トヨタマヒメノ)の妹、玉依姫(タマヨリビメ)と結婚して生まれたのがこの主祭神である三毛入野命(ミケヌノミコト)というのはちょっとおもしろいかも。
そーいえば高千穂神社の狛犬は丸い玉を抱いているんだけど、もしかしてそれは潮満玉(塩満珠)とか潮干玉(しおひるたま)or塩乾珠(しおふるたま)だったりして~。
雨が降っていたから思うんだけど、この海の潮の満ち引きを自在に操れる玉って、ここ山の中においては雨量を自在に操れる玉だったりして?(あ、妄想の世界です)
しかし神々の世界とはいえ、車も新幹線も飛行機もないのに方々を遠征してて、こんな山の中と海辺や九州と伊勢や奈良とか大昔の人々の方がよっぽど近く感じてたんじゃなかろうか。

山の中にありながらなんとなく海の匂いを感じる緑の船なのであった。

雨がだんだん激しく降りだしてきたけれど、さらなるスピリチュアルなパワースポット、と呼ばれる天安河原(あまのやすかわら)へと歩き出すわれら。
…てゆーか豪雨なんだけど?
大丈夫?いけるのか?


橋がスキな緑の船だが、この橋はなんか…コワイんですけど…?
スピリチュアルな理由ではなく、物理的にコワイ。
この橋を渡らないとあちらへは行けないわけで、それはこの橋を渡らないと戻れない…という意味で。
…というか、これ壊れそうなんだけど…?

豪雨で遭難しそうな天気の中、やや不安な気持ちの緑の船に対し、スピリチュアル大好きなツレは「気持ちイイ~!清清しい!」と今までにないハイテンションで神聖な雰囲気を満喫中。
そうこうして大きな洞の中にある天安河原神社へ到着。
そのまんま東が現宮崎県知事として東国原知事誕生のきっかけとなったのが、ここで「知事になりなさい」というお言葉を聴いたから、とか?(ってオバサンが教えてくれた)
…ってゆーか、やっぱここコワイんですけど。
賽の河原の石がいっぱい積んであるよぅ!
賽の河原の石って崩したら倍積まないといけないんじゃなかったっけ?
誰がこんなに積んでいくんだよぅ!?(泣)…と石を崩さないようにとビビリつつ慎重に歩く。
洞の中にある上に明かりは全くないのでうす暗がりにひっそり建ってる神社も実はコワかったです…。
なんというか…様々な人々の情念が洞にこもっているようで内心「ひえーっ」とビビって退散モードの緑の船。
対してじっくり念入りにお参りしパワースポットからエネルギーを充電しているようなおツレ様。

結局自分はなんにも分かりませんですた。
スピリチュアルじゃない体質なんだと思います…。

後日、TVの旅番組でココを撮影してたけど、晴れているとまったく雰囲気が変わるんだなあ。
「ここで願い事をしながら石を積むんですよー」と
旅人が気軽に石を積んでいた。(そんなんでよかったのか!?)
でも多分、次回あそこに行っても緑の船は石は積めないとですよ…。
境内に、大きな木が祭られています。
その木は「おがたまの木」と言います。

招霊の木(おがたまのき)
(モクレン科 別名 黄心樹)
天鈿女命 此の枝をもち舞わせ給い、神楽鈴の起源であると伝え、例年四月頃白い開花秋に鈴様の実を結ぶ。
常陸殿下(義宮)昭和29年御成年式、昭和39年御結婚に際し苗木を献上す。
おがたまの花が常陸宮家の御紋章又殿下のおしるしであります。
招霊樹(おがたまのき)とは神を招く木といい伝えられる木で、前夜見た神楽舞の時にも使っていたけれど、玉鈴の原型がこの木の実なんだとか。
木の実と言われればたしかに納得。
敷地内にも神楽殿があったけれど、その造りはいたって簡素。
外には天の岩戸を投げる手力雄の像があって、最初見たときは「なぜココに…」という感じだったけども、こうして改めて眺めると、やはり高千穂の神社の空気は他の神社よりも原始的でシンプルなんだなぁと思う緑の船なのでした。

あ、ツレはまったくこーいったことには関心なしでさらなるスピリチュアルなパワースポット、天安河原へと急ぐのだった。
宿をチェックアウトしてから車で10分ほどのところにある天岩戸神社へ行く。
車を停めたころ雨がぽつぽつ降り出した。

神社に入ると、団体さんがいて若い神主さんから何やら説明を受けている。
社務所にきくと天岩戸神社のご神体を拝むことができる場所に案内してもらえるというので、われらも参拝料を納めて一緒にお払いを受けさせてもらった。
神域は神聖な場所なのでまずは外の穢れを払ってもらうのだ。
最近お払い大好きな緑の船。
お払いがスキってヘンですかね?
さて、当然ながら神域のカメラ撮影は禁止です。
専用扉から入るとそこは神社のご神域に面した分かるヒトは分かるパワースポット。
というか、圧倒的に鬱蒼とした緑、緑、緑…!
何があるのかと言えば天照大神が身を隠したという洞穴の一部がその緑の隙間からかろうじて確認できるけれど、とにかく見えるのは自然に任せた山一面の緑。
神主さんの説明によれば、そこは毎年台風などの被害で山肌が崩れいずれはこの洞穴も削られてなくなってゆくかもしれないとのこと。
だけど神聖な場所であることには変わらないでしょう。
茶色い山肌が露わになっても、毎年こうして鬱蒼とした緑に覆われるそうだ。
神主さんの説明で印象的だったのが天皇と日本という国について。
こーゆーことを語るとすーぐ「戦前に逆戻り」だとか「右翼が」とか「税金の無駄使い」だとか近視眼な意見をせっせと飛ばすヒトがいる。
外国の王室に比べて閉鎖的だとか外見が貧相だとかいちゃもんをつけたりね。
自分も以前はそんな人間の一人だったからその思考回路も分かるんだけどさ、じゃあ、なんで2000年以上もその皇室が連綿と存在し続けることができたのか?…ってその理由をさ、そーゆー思考回路のままじゃ絶対に説明できないと思うのよ。
学校の歴史の授業で習うよね、世界史とか。
世界には文化も歴史も習慣も価値観も違う国はたーっくさんあるし、王家や貴族もたくさんあるけれどさ、そのほとんどが政治的争いやなんだで国外追放にあったり暗殺されたり。
日本の歴史上でもあるにはあるけどナゼか続いているこの釜不思議…いや摩訶不思議。
もちろん存続している理由も、このネットでググレな近年いろいろな意見も参考にしてふむふむと納得したりもしてたんだけど、イマイチ腑に落ちない部分もあったり。
その疑問を簡単に腑に落としてくれたのが、この神主さんの説明だった。
「日本において天皇家が尊いとされるのは、神話の時代から、この国の民が飢えないように食べていけますようにと絶えず豊穣を祈り続ける存在だからです」
というものすごくシンプルなもの。
そんな簡単な説明になにか目から鱗な想いになった緑の船。
TVや(クソ)マスコミや他所の国(KとかCとかKとか)がガーガーいちゃもんとか付けてたり、どうにもややこしく考えないといけないような気がしてたんだけども、そーかそーゆーコトなんだよなぁと一人で納得してスッキリ気分。
自分や自分の家族のためにならせっせと祈るヒトでも、赤の他人のためにまで祈ったりしないんじゃないのかな。
それでも祈るだけなら誰だってできるやん!て言う方はご自分で毎日ただ祈ってみるといい。
この日本ていう国の民が飢えませんようにって。
天候に恵まれますように、五穀豊穣でありますようにって。


雨光る屋根を見ながら、そんなことを考えていました。
そろそろ朝日も昇りきり、国見ヶ丘を人々がぼちぼちと散ってゆく。

丘から眺めた時にはフツウに感じた高千穂大橋だが、橋の下を通るとその巨大さに改めて気がつく。
「おおー」と車を停めてみた。

というか、この大橋を下の橋から眺めた時の景色が最も感動的だったんだけど、その橋は小さく案外交通量もありその橋の途中で車を停められない感じだったので。
というか、国見ヶ丘へ行く時の朝霧の中に建つ姿が最高だった。
というか、この橋は「神都高千穂大橋」で、小さいと思っていた橋が「高千穂大橋」だったよ。
神都高千穂大橋
・竣工年月 : 平成15年3月
・長さ : 300m
・高さ : 115m
高千穂大橋
・竣工年月 : 昭和30年11月
・長さ : 96m
・高さ : 75m
通潤橋などの石橋に比べるとやや無機質的なのは否めないが、154年ほどで建設技術がこうも発達し、天を駆けるような橋が架かるのを見たら、かの布田保之助は何を思っただろうか…ってヒトが橋を眺めながら感慨に耽っているのに急かすな相棒よ。
夜神楽を堪能した翌日の早朝は、雲海とご来光を見るべく国見ヶ丘へ。
って、レンタカーのカーナビに景勝地で登録されてなくしばし迷う。
なんとか朝日に間に合いました。



神武天皇の御孫建磐龍命(たていわたつのみこと)が北九州の筑紫の国統治の命を受け下日向県から南阿蘇に向かう途中で立ち寄って眺めたこの丘(標高513m)が「国見ヶ丘」の由来だそうな。
四方に臨む山々のすばらしい風景と一定の条件下でしか発生しないという雲海がよく見られるというので早朝に訪れる人がけっこういる。
ちなみに神武天皇とは…?
別名
神倭伊波礼毘古命 (かむやまといわれびこのみこと)
神日本磐余彦火火出見尊 (かむやまといわれびこほほでみのみこと)
若御毛沼命 (わかみけぬのみこと)
豊御毛沼命
豊毛沼命
…などなど。
日本の建国の祖として名を残す神話の世界から始まる初代天皇として有名です。
出身はこの南九州地方らしい。
もともと豪胆な性格なのか15歳にして二人の兄者を差し置いて太子になる。
日向高千穂ではその兄と共に45歳までを過ごし、ここから本州の近畿を目指す。
現在の宮崎県の海岸からまずは北九州へ渡り、そこからさらに東に東にと向かい、瀬戸内海から難波(大阪府)、南海を経て熊野(和歌山県)へ渡ると八咫烏(ヤタガラス)に導かれて山中を進み大和(奈良県)征服したとされる。(これが神話の神武東征)
このころの日本には各地に男首長や女首長を頂く集落が多くあったようで、それらを従属または征服し大和に組織的な国家を作ったとされます。
大和の畝傍で即位(初代天皇)し、この年が紀元(皇紀元年)となっており、建国記念日の2月11日がその理由になっている…と習ったかもしれないがすっかり忘れておるよ。
この神武天皇から始まり、今上天皇は125代目となるんだよ!>へぇ~へぇ~へぇ~!
天之御中主神 ←この辺りは天地創造神話の世界
(あめのみなかぬしのかみ)
|
高御産巣日神
(たかみむすびのかみ)
|
神産巣日神
(かみむすびのかみ)
|
宇麻志阿斯訶備比古遅神
(うましあしかびひこじのかみ)
|
天之常立神
(あめのとこたちのかみ)
|
国狹槌尊
(くにさづちのみこと)
|
国之常立神
(くにのとこたちのかみ)
|
豊雲野神
(とよぐもぬのかみ)
|
宇比地爾神 須比智爾神
(うひぢにのかみ)=====(すひぢにのかみ)
┌─────┴─────┐
角杙神 活杙神
(つぬぐいのかみ)=====(いくぐいのかみ)
┌─────┴─────┐
意富斗能地神 大斗乃弁神
(おおとのぢのかみ)=====(おおとのべのかみ)
┌─────┴─────┐
淤母陀琉神 阿夜訶志古泥神
(おもだるのかみ)=====(あやかしこねのかみ)
┌─────┴─────┐
伊弉諾尊 伊弉冊尊 ←やっと馴染みのある神話の世界
(いざなきのみこと)=====(いざなみのみこと)
|
大綿津見神(おおわたつみのかみ)
大山津見神(おおやまづみのかみ)
鹿屋野比売神 (かやぬひめのかみ)
天照皇大神
(あまてらすすめらぎおおみかみ)←やっと知っている神社世界
|
天忍穂耳尊 === 萬幡豊秋津師比売尊
(あめのおしほみみのみこと)(よろずはたとよあきつしひめのみこと)
|
| 木花之佐久夜毘売
| (木花之開耶姫) ===== 瓊々杵尊
| (このはなのさくやひめ) (ににぎのみこと)
|
┌──┴────────┐ |
| 豊玉毘売 ==== 火遠理尊(彦火々出見尊)
| とよたまひめ) (ほおでりのみこと)
| |
|
玉依毘売 ===== 鵜葺草葺不合尊
(たまよりひめ) (うがやふきあえずのみこと)
|
若御毛沼尊(わかみけぬのみこと)
(神日本磐余彦尊) ←やっとココ歴史の世界(人間の世界)
(神武天皇):初代天皇
|
神八井耳命:息子
(かむやいみみのみこと)
|
建磐龍命 ←国見ヶ丘の由来
(たけいわたつのみこと):神武天皇の孫
ちょっとグダグダで系譜がわかりにくいですね…。
イザナミ☆イザナギ以降の詳細な系譜はこちら↓からどうぞ。
★【熊野神社(ご祭神の系譜)】参照
平成20年(2008年)は皇紀2668年…でいいのか?
改めて知るとこれってやっぱすごいことだよなぁ。
日本のことをやれ「欧米よりも劣っている」だの「こんな国たいしたことない、つまんない」だの言ってるヒト(マスコミ)は多いんだけどこの2600年以上あるその歴史の中で政治体制がどんどん変化していて尚且つ皇族の系譜が連綿と繋がっている国って世界中にどんだけあるの?
神話の世界から続く皇室のような存在はもうほとんどないらしい。
それは日本人が思っている以上に稀有でスゴイことなのでは?
ほんの数十年前までは「天皇?なにそれ、税金の無駄使いじゃない。そんなのやめちゃえばいいのに」と思っていたのは思えば学校が思い切り赤い共○党系だったからかただの無知だったからか…。
ちなみにフツウの会話の中で何気に「天皇が早く●ねば○○なのにねぇ」とか平気で言い放つ知り合いの女性(50代後半)はKの国が大好きなヒト…。(なんだかなぁ)


荒ぶる神話の世界からも「ビバ!にっぽん!」と言いたくなった緑の船。
この航海記で出雲や奈良に何度か行ってきたけど、日本の神話の世界がこんな遠い九州の地とも繋がっていることに驚く。
だって車でも新幹線でも「遠いーーーーーっ!」って思うのよ。
2668年以上前の人々が南九州からはるばる近畿まで行ってやる!と考えて実行するんだなぁと。

さながら2668年後の建磐龍命(たていわたつのみこと)たちの図ね。
夕暮れの通潤橋からなんとか本日のお宿、高千穂のかみの家に到着。
チェックイン後、すぐに夕食をがつがつと食べます。


お料理がたくさんあるしおいしいからゆっくり味わいたかったけど、時間がないので大慌てでかき込むように食べきり。
ごちそうさま!
さて、急いで食べたのは夕食後に出発する夜の高千穂神社「夜神楽ツアー」のバスの時間が迫っていたから。
神社に着くとけっこうなヒトがぞろぞろと集まってきます。
かなり広いと思った神楽殿があっという間に満員御礼状態に。

この夜神楽、なんと観光客がたった1人でも必ず舞うそうな。
それも毎晩行っていると語り部のオジサンがユカイな口調で場を盛り上げます。
普段はそれぞれが仕事を持っていたりするのだけど、ここ高千穂には神楽を舞う舞手が400人以上いて、それぞれの地区が持ち回りで行っているので毎晩演目を舞うことができるのだそうだ。

実は、オトナになってから神楽の舞をじっくり見るのは初めてかもしれない。
観光パンフレットに乗っている写真をみても「ふーん、夜神楽かぁ、あんま興味はないけど高千穂名物ならせっかくココまできたんだし見とこうかな」くらいの気持ちで観たのだけど…

おもしろい!
神楽の舞を見て笑いが起こるとは思わなく、たいして期待してなかった分感動も大きいw
なんとなく神楽の舞って静かなイメージだったけど、この観光客向けの演目が厳選されておもしろいものを繋いだそうだけど、とても「楽しい」「おもしろい!」と躍動的だったのにビックリ。
そして、京都や奈良とはまったく趣の違う「伝統」というものを感じたりして。
多分、高千穂のこの「伝統」は都風とは違いどちらかと言えば田舎風。
原始的で大らかで開けっぴろげで、それでいて神々しい、そんな風に思いました。

演目は高千穂神楽三十三番から以下の4つの舞が毎日舞われています。
せっかく高千穂に来たなら、興味がなくとも是非観て頂きたいです。
「手力雄の舞」
「鈿女の舞」
「戸取の舞」
「御神体の舞」
着物を着て浮かれておりますが、この日の主役はもちろん甥っ子の七五三参り。
ただただ階段がないという理由で某神社へ行って参りました。

この日の主役くんです。
あれ、このロフトって潰れたんじゃ…?ん、パルコだっけ?

さてさて七五三参りは江戸時代ごろから11月15日に行くようになったらしいのですが、都合で日をややずらしてお参りしたのでこの日は七五三参りの我が家とお宮参りのもう一家族の2組で祝詞を挙げて頂きました。
七五三参りのピーク時には祝詞待ちなんかあったりして、それも10組くらいまとめてやるらしいので、この日は小雨模様のせいもあってかゆっくりじっくりお参りできてよかったです。


こらこら巫女さんを見て萌えるとかいったいドコの誰ですか。
緑の船は神主さんの祝詞を聞くのが何気にスキだったりします。
ここの神社ではなんと神主さん自ら拝殿左奥にある大太鼓をドンドコドンドコ♪ドンドコドンドコドコドコドコドコ♪と力強くリズミカルに叩きながら祝詞を挙げるという見たことないスタイルで、心の中で興奮しまくる緑の船。
いいわー、太鼓付きの祝詞いいわー!

普段落ち着きのない甥っ子兄弟も、この祝詞の間はちゃーんと静かに座っていい子にしてたなぁ。
えらいえらい♪
ここの神社ではお祝いに千歳飴のほかにいろいろあるおもちゃをひとつだけ選んでお持ち帰りできるらしい。(ソッコーでゲーム機を選ぶ現代っ子)
最近の神社っていろいろスゴイのねぇ。
しかし、甥っ子の七五三参りの祝詞を聞いて私まで清清しい気分。
厄年の時だけじゃなく、気分が鬱々した時には厄払いとか祝詞とかしてもらうといいかもしれない。
いやマジでお勧めでしてよ。

七五三のお祝いは女の子が3歳と7歳の時に、男の子が5歳の時にする…ってことをすっかり忘れておりました。
1回だけのことだと思うと意匠にも力が入りますよ。

く~、カッコイイわねぇ!この柄。
でもこのすばらしい刺繍の飾りは袴を穿くとまったく見えないのですよ。

見えないけれど、この柄は幼い子供の成長を祈るお守りのようなものなんだろうなぁ。
あなたはねぇ、こんなに大切に守られているんだよ、と。
で、せっかくだから緑の船もちゃっかり着ましたよ♪てへ。

ん?甥っ子の七五三なんだから関係ないんじゃ?
だって着たかったんだもん~♪
この着物はママンが20歳の頃に着てたものを染め直してもらったもの。
若い娘のものらしく、もともとはどピンクだったなんて思えないキレイな染め上がりです。
いやー、40年以上前のものでもキレイに着られる、これも着物のスバラシイところ。
ちなみに帯は中古でお安かったんだけど結婚式にも着けていけるし、カジュアルにも着けられる非常に使える帯でお気に入りです。
バックショット三様w
帯の結び方が違うのが分かるかしら。


乗船員Mの帯もステキよね♪
「ディスカバー九州!」編はまだまだ続きますが、先月の11月は七五三の時期だったので閑話休題。
この11月に甥っ子くんがめでたく七五三を迎えました。
畳んだ着物はしわが残っているので数日前からこうして吊るしてしわを伸ばします。

甥っ子くんの着物はめでたい中にも男の子らしく勇ましい柄。
乗船員Mの薄水色の着物は対照的にとっても儚げで女の子らしい色合いです。

この袖の繊細な柄、ステキでしょ?
こーゆー絵画的な色彩、デザインをあっさり写し撮る事が出来て尚且つ着ることができる。
着物のそーゆーところがスキだしスゴイと思うんだなぁ。
