実はあの後もう一度奈良を訪れている。
一度目はまだ楓も青々していたけど、この日にはもう紅葉も終わりそうな頃。


ライトアップがない南大門の夕暮れは、さながら『陰陽師』の描く鬼や魑魅魍魎、追いはぎが出てきてもおかしくない雰囲気が漂っていた。
![]() | 陰陽師 (13) (Jets comics) (2005/09/29) 夢枕 獏、岡野 玲子 他 *詳細を見る |
…ただ人出はまだまだ多いので強気でいられるのだけれど、この薄闇の中をたった一人でこの門を抜けるのはちょっと勇気がいるかもしれない。

実は唯一ライトアップされていた楓の木。
ライトアップと言っても、街灯の明かりにたまたま近かっただけなのだ。
すっかりそこだけ紅葉の撮影ポイントになってしまって、明かりの下に観光客が夜の虫のごとくわらわらと群がってデジカメ・ケータイをかざしているというバーゲンセール状態にw
…でもそんなの関係ねぇ!
夕暮れの東大寺もステキだったさ。

お後がよろしいようで。テケテン♪
では皆様よいお年を~!
その昔、奈良はカフェ不毛の地と呼ばれていた(らしい)。
23年前、その土地で当時使われず荒れ放題になっていた建物を見て「カフェができたら楽しいだろうなぁ」と思った女性がいた。
当時「カフェ」なんて言葉がまだまだ一般的でなかった時代である。
彼女はカフェで働いた経験も何の予備知識もなかったが、わずか1ヶ月でこの店をオープンする。
今では奈良だけでなく、全国からカフェ好きが集まる名店のひとつと言われている。
そのカフェの名は
くるみの木 一条店

最近ではどこにもカフェが増えていてこじゃれたカフェそのものも珍しくなくなったと思う。
ので、「なぜ都会のきらきらしたいろいろなタイプのカフェを満喫している人々が地方のカフェにまで足を運ぶやら?」と不思議な気持ちだった。
でも、実際に足を店に踏み入れた時その理由がわかった気がした。
ここには、居心地のいい「本物」がいっぱいある。
うう、言葉にするのがもどかしい。
もちろん家具がブランドものとか高い食器を使ってるとかそういう意味ではなくて。
ええーい、これで分かって~!とう!

カフェに一流も二流もないような気がするけど、運ばれてきたスイーツやお茶を眺めているだけで感じる至福はなんなんだ!?
その上一口食べた時の至福もどうなんだ!!
一口食べては にまー。
テーブル触っては にまー。
店内を眺めては にまー。
ここに行きたいと思ったのはとある雑誌の特集を読んでから。
![]() | 楽園人 2008年 01月号 [雑誌] (2007/11/24) 不明 *詳細を見る |
雑誌「楽園人」の2007年11月号にあった「珈琲快楽主義」の特集で、奈良市のカフェくるみの木が紹介されていた。
ステキなカフェはいろいろあったのだけど、その中でも特に(このカフェに行ってみたいたいなぁ!)と思ったのが今回の「ならまち日和」の旅に出るきっかけだったりする。
「私は両親が共働きだったんで、祖母に育てられましたが、母と離れすぎないようにと交換日記をつけさせていたんです。
(略)
その日記は今でもあるんですが、そのなかに、全くこの店の建物のような雰囲気の絵が描いてあって、
『大人になったらおじいさんもおばあさんも子供たちも来た人がみんな喜ぶ店、"くるみの木″。それをやりたい。』
って書いてあったんです」
本人の記憶からも忘れられていた時期もあったが、当時の少女が思い描いていた夢は、10年以上の時を経て見事に現実のものとなったのだ。
たった一人でのスタート。
周りの「どうせ失敗する」という冷たい目をはねのけるためにも、朝早くから深夜まで休む間もなく働き続けた。
ときには悲しくもないのに、疲れすぎたために仕事の後に訳もなく涙が流れたこともあったという。
だが、そのかいあってか、数年後には常連さんも増え、店も軌道に乗りはじめてきた。
すると、周囲の人々も徐々に「がんばってるね」と声をかけてくれるなど、理解を示しはじめてくれるようになった。
「想いが強いですからね。
正直やめたいと思ったことは一度や二度ではありませんがいろんなことを励みにして、築いてきましたよ」

場所は「ならまち」とは違って、比較的新しくできたと思われるいたって普通の住宅街にある。
幹線道路と線路沿いにあり、知らなければ気がつかず入ろうとも思わなかったかもしれない。
でも、その雑誌に載っていたそのエピソードはものすごく印象的だった。
「どんどん行くんです。
そして行けることをやっているんです。
いつかこうしたいって思っているといつか行けるんですね。
願うことです」
![]() | 小さな幸せみつけた (2007/05) 石村 由起子 *詳細を見る |
![]() | 奈良のたからもの―まほろばの美ガイド (集英社be文庫 いC 67) (2007/02) 石村 由起子 *詳細を見る |
![]() | しあわせの受け皿―暮らしに器とシンプル雑貨 (2004/04) 石村 由起子 *詳細を見る |

★【カフェくるみの木 一条店】
○場所:奈良市法蓮町567-1
○営業時間
11:30~17:30(月~木)
11:30~21:00(金土日)
○定休日
第3水曜日
奈良にはくるみの木を筆頭にステキなカフェが増殖中で旅行者にもうれしい限り。
ただひとつ、気をつけていなければならないことがある。
営業時間が11:30から…。
営業時間が11:30から…。
営業時間が11:30から…。
!(;゚д゚)つ>>モーニングがねぇーっ!?>>なんでやねん!
初めて訪れたのに、なつかしいと思うのはナゼだろう?

私の田舎はほんとうに田舎だけれども、建築物を眺めて「なつかしい」と感じる建物はほとんどないんじゃないのか…と思う。
田舎ゆえに、小さいよりは大きいもの、古いものよりは新しくピカピカなもの、まとまった資金が手に入ればこつこつ改修するよりもぶっ壊して真新しいものを建てた方がいい、そんな流れで出来上がった風景(消えていった風景ともいう)を見かけては哀しいほど切なくなる。
最近私の田舎は道路建設ラッシュらしく、道路はあるけどそのすぐそばに昔あった山をざっくりと削ってもう一本道路を作ったりしている。
昔むかし、人手でこつこつ掘って繋いだトンネルがきれいさっぱりなくなっていたときは複雑な気分だった。
昔のトンネルだけに道幅が狭く、天井も低いから大きく広げようとしたらしい。
でもその山は小山程度だったので工事するとその天井が崩れそうだ→だったらいっそ山ごと削っちゃえばいいんじゃね?となったらしい。
その方が工事も楽だし、道も思いっきり広くできるしと。
地元の人々にとってそれは安全で便利になって(車で通るときに)よかったといえる(らしい)。
でも、私はものすごく複雑だった。
なぜならそのトンネルのすぐ脇には同じような理由で小山を迂回する形で作られた大きめな道路がすでにあったし、またほんの数百メートルという距離を厭わなければ別ルートで田んぼの中にこれまた新しく作られた広い道があったからだ。
そのことを言うと「トンネルが崩れたら大変だから」と答えが返ってきた。
でも、そのトンネルは掘られてからこのかた何十年経っていたのか知らないけれど、ずっと崩れずにあったわけで…というのは言えなかった>地元を離れた私。
同じような理由で、また別の道路のそばの山を削ってさらに大きな道路を作って…。
私から見ればほんの数百メートルの差だったりするんだが。
確かに歩いて移動すると思えば大きな距離かもだけど、地元ではほとんど車で移動するのがデフォ。
しかも、その移動距離はせいぜい最大で車で3、40分圏内だったりする。
彼らに言わせると「車で15分移動する」というのは「大変な労力だ」という感じらしい。
実家に帰省するたびにどんどん道路が増えて広がっていくんだけど、確かに便利だと思うけど、最近の様子は外側から見ている私にとって「どこまで山を削ったらその道路建設は止まるんだ?」という不安の方が強い。
田舎には田舎の要望があってそれも分かるんだけど、そこにあるのが「便利さ」だけに見えてこれから何十年後にいったいどんな風景が残るのか…と思わずにいられない。


もしかして、こんなならまちの風景をなつかしいと感じるのは、どんどん壊されてゆく地元の風景が消えていなければこんな風だったかもしれない…という意味で「なつかしい」のかもしれない。
ならまちの魅力は、東大寺などの世界遺産や寺社ばかりではない。
人々の生活に馴染んだ町屋にこそその魅力が溢れている!

細い路地を抜けると目に飛び込んできたこの家屋は、たしか料理屋さん(ちょと高級?)だったような。
あの窓枠がなんともいえませんっ(> <)

さ、さるぼぼ!?

ここは小さなカレー屋さん。
通りかかったらめっちゃいい匂いだった!!
ので翌日のランチは絶対ここ!!…と前日に決め、歩き回ってお昼の1時半ごろ辿り着いたんだっけか。
いざっ、と入ろうとしたら目の前で店主が無言のまま「クローズ」の札を掛けた。
すっごいお腹すいてへとへとだったので、あまりのタイミングに目が点になった…(・Д・)(・Д・)。

かと思うと、妙になつかしさをかもしているプラモデル屋さん。
別に、家の近所にこんなお店があったわけでもないのになぜなつかしい!?
ああ、クレヨンしんちゃんの名作(迷作!?)映画「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」の野原パパの名台詞を思い出すw
「ちくしょーーーーっ!!
なつかしすぎて頭がおかしくなるっ!!」(泣)
![]() | 映画 クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲 (2002/03/25) 矢島晶子、ならはしみき 他 *詳細を見る |
2001年(平成13年)4月21日公開
「クレしん」劇場映画シリーズ9作目作品
◆監督・脚本・絵コンテ:原恵一
◆原作:臼井義人「クレヨンしんちゃん」
クレしんの「嵐を呼ぶモーレツ!オトナ帝国の逆襲」(2001年)は昨今大ヒットの『ALL WAYS 三丁目の夕日』にも負けない懐かしさ爆裂映画なのだ。(レトロブームのさきがけとも言われているがホントか!?…いやホントかもしれん)
というか、クレしん映画はあなどれんですよ…。
不意打ちをくらって心が震えてしまったぜ。
まさかケツ出し園児に泣かされるとはな(T^T)く~っ。
『ALL WAYS』で笑った人泣いた人は、是非こちらも必見です~。
もうだいぶ前になるのでなんの建物か忘れてまった…_| ̄|○ililil。
確か、春日大社の参道の途中にあったような。

<追記>
春日大社の参道沿いに立つこの建物は旧奈良県物産陳列所、現在は奈良国立博物館が管理している仏教美術資料研究センターとのこと。
★【仏教美術資料研究センター】
仏教美術に関連する調査研究資料の作成・収集・整理・保管と、関係する図書・写真などの公開を目的として、1980年(昭和55年)に設置。
◆建物について
建物は、1902年(明治35年)竣工、同年奈良県物産陳列所として開館し、県下の殖産興業と物産の展示販売をおこなう施設として利用されました。
◆設計者
建築史学者で当時奈良県技師として古社寺保存修理事業に尽力した関野貞(せきのただし)(1867-1935)。
(*建築史学者で宇治平等院の研究をしていて、西洋建築の技術を取り入れながらも屋根の形式や左右対称の優美な外観は平等院鳳凰堂に範をとったものと思われる ―と案内に記載があるそうで)
木造桟瓦葺(さんがわらぶき)で、小屋組や壁などに西洋建築の技術をとりいれつつ、外観は和風を基調としています。
正面に唐破風造(からはふづくり)の車寄をつけた入母屋造(いりもやづくり)の中央楼から、東西に翼部を延ばし、その先に宝形造(ほうぎょうづくり)の楼をおいており、その左右対称の優美な姿は、宇治の平等院鳳凰堂を彷彿させます。
細部に割束(わりづか)、蟇股(かえるまた)、虹梁(こうりょう)、舟肘木(ふなひじき)など、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れる一方、窓にはイスラム風の意匠もみられます。
構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近代和風建築として高く評価されています。
1902年(明治35年)奈良県商品陳列所として開館→奈良県商工館と名称を変える。
1951年(昭和26年)国に移管。
1952年(昭和27年)〜1980年(昭和55年)奈良国立文化財研究所春日野庁舎として利用される。
1983年(昭和58年)1月7日に重要文化財の指定を受け、同年奈良国立博物館が管理することになる。
1989年(平成元年)仏教美術資料研究センターとして開館、活用されて現在に至る。(軽く築105年の建物でした!)
なんと毎週(水)、(金)には公開している!?
くっ、知らなかったとはいえスルーしてしまうなんてΣ(´Д`*)不覚!
ーーーーーーーーー<追記ここまで>ーーーーーーーーー
純和風とも完全無欠の洋館とも違うこの辺りの建物。
すごく好きなんだよ。>和洋折衷日本の洋館シリーズ。
![]() | 歴史遺産 日本の洋館〈第2巻〉明治篇(2) (2002/11) 増田 彰久、藤森 照信 他 *詳細を見る |
この藤森照信氏の書いた本が、私は大好きなのだ。
建築学科とは無縁の素人でも氏の言葉はやさしく、しかもおもしろく!解説してくれるのだ。
「建築探偵シリーズ」は、建築物への興味を明確に言語化してくれ、より関心を深めさてくれる一冊です。
![]() | 完本・建築探偵日記 (1999/08) 藤森 照信 *詳細を見る |
私が漠然と「なんとなくこの雰囲気が好き~」と思っていた近代日本の建築、和洋折衷の洋館シリーズへの興味をするすると引き出し解説してくれたのが、この藤森照信氏の著書。
氏は東京小金井市にある江戸東京たてもの園の創設にも関わった方でもありまする。
★【江戸東京たてもの園】
●所在地:〒184-0005 東京都小金井市桜町3-7-1
(都立小金井公園内)
●最寄り駅:JR中央線武蔵小金井駅北口からバス5分
西武バス=2、3番のりば
→「小金井公園西口」下車。徒歩5分。
関東バス=4番のりば
→「江戸東京たてもの園前」下車。徒歩3分。
●開園時間:4月~9月:9:30~17:30
10月~3月:9:30~16:30
※入園は閉園時刻の30分前までとなっています。
●休園日:毎週月曜日(月曜日が祝日または振替休日の場合は、その翌日)、年末年始
●観覧料:区分/個人料金(団体料金)
一般 / 400円(320円)
65歳以上の方 / 200円(160円)
大学生(専修・各種含む)/ 320円(250円)
高校生・中学生(都外)/ 200円(160円)
中学生(都内在学または在住)
・小学生・未就学児童 / 無料(無料)
*詳細はHP等にてご確認を。
この江戸東京たてもの園はすばらしい野外型博物館です。
もう何回訪れたことかw
日本中に保存してほしい建物はいーーーーーっぱいあるのですが、コンセプトが「江戸&東京」限定なのが悔しいところ。
でも、ならまちだって負けてない!
本当は、こういった建物は日本各地のその土地土地で保存できるのが一番の理想なんだけれど。
ともあれ、最近はレトロな街並みを活かした観光や行政による保存活動も増えてきているみたいで個人的にはとってもうれしい♪
春日大社から東の小道を抜けていくと志賀直哉旧居がある。

中をゆっくり見る時間がなかったので、表だけ…。
未練たらたら。
くそーーーーっ!また来るぞーーーーっ!!

あ、いいわいいわ、イイ感じだわこの雰囲気♪
入って行きたい路地ってありそうでないのよね。
でも寄っていく時間がなかったわ。
でもま、行けなかったトコロがあればまた次の訪問の楽しみが増えるというもの。
★【カフェテラスたかばたけ茶論】
くそーーーーっ!また来るぞーーーーっ!!

この土塀に囲まれたお家はごく普通の一般住宅のよう。
でもなんか文化財指定みたいなパネルがあった。
この古びた雰囲気は好きだけど、中の人はおいそれと改修できないので大変なのかもしれない…。
でも、この風情がたまらんです。
「目から鼻に抜けるような」
これは「機転の利く賢い」という意味。
語源は、大仏さまの建造中に目の玉がごろりと奥の方へ落ちてしまった出来事から始まる。
「た、大変だぁ棟梁、どうしよう!大仏さまの大事な目がぁ~!!」∑(゚Д゚;≡;゚д゚)
「中から目の玉嵌め直せばいいんじゃね?」( ゚Д゚)y─~~~
「でももう入り口塞いじゃいましたよぅ!」(;´Д`)
大人たちがあーでもない、こーでもないと思案していると、近くにいた子供がぴょこん!と立ち上がった。
「じゃあ、ボクが目の穴から入って目の玉嵌めてくるよ!」(゚∀゚ )
言うが早いか子供はスルスルと大仏さまの体を登っていき、目の穴から顔の中に入っていった。
しばらくすると、裏側からごとり、と目玉が現れぴったりと嵌め込まれた。
わーい!わーい! 大仏さまの目玉が直ったーー!! ヽ(´・∀・)/(・∀・`)/ヽ(゚∀゚ )/
そんな中、浮かない顔の男がひとり。…(・А・;)
そう、中に入っていった子供の父親だった。
「どしたの?」
「うむ、目玉が直ったのはいいが、…わが子はどうやって出てくればいいのだ?」
はっとする大工一同。(;・∀・)ハッ
不安でどきどきしていると、なんと大仏さまの鼻の穴からスルリと難なく子供が出てきた。
「おお~!! なんと賢い子だ!」。゚(*゚´∀`゚)゚ /ヽ(´・∀・)/(・∀・`)/ヽ(゚∀゚ )/
こうして、大仏さまの後ろの柱のひとつには、その目鼻と同じ大きさの穴が穿ってあり、訪れる人々が「子供が目から鼻に抜けるような賢い子に育ちますように」と願いを込めてくぐり抜ける光景をみることができる。

…って、そこのあなた達、そんな体でくぐり抜けるつもりですかっ!?

いやー、大人もけっこう並んでたなぁw
ってあたしん家のオジサンも「くぐれたよ~♪」って自慢してたっけ…。
大人でも小柄な人ならくぐれるみたいです。
ふと今見て気がついたけど、大仏殿の柱って一本の木の柱じゃなくて、いわゆる「集成材」なの?
そりゃそうか、このサイズで一本柱ってよっぽど樹齢ないと無理だものね。
そういやこの時代の巨大木造建築を建造する際の「構造計算」ってどうやってたんだろう?
PCもないのに積算とかやってたんだろうか、それとも現代とはまた違った知恵と技術で今の人間が思いつかないような技を確立してたってことなのだろうか。
んにゃ待てよ、そういえば近代高層ビルの耐震構造に、法隆寺の構造からヒントを得てどこぞの企業の技師が揺れをビルそのものが吸収してしまうって構造を開発したってお話があったわね。
参照→★【未来創造堂】Honda on airサイト版より
★【耐震構造の未来を拓いた男の話:未来創造堂】第75回2007年9月21日放送より
ううーむ、もっと建築構造に注目して見てみればよかったわ。

見学中は修学旅行の団体さんもいっぱいいたけど、彼らにはまだ今はこの建物の何がどうすごいのかあまりピンとこないかもしれないなぁ。
ガイドさんに引率されてときどきギャグ挟んだお話を聞きながらぞろぞろと大仏さまを一周してすぐに出て行かなくちゃいけないし。
緑の船は修学旅行で奈良には行かなかったけど、修学旅行の一番の思い出って友達と一緒にワイワイ旅行したってことそのものだったしなぁ。

でも、大人になってからもう一度、自分の目線で訪れてみてほしいなぁ。
きっと自分なりの発見や感動が味わえると思うんだ。

思春期の繊細な感受性とはまた違った感じ方の妙があると思うから。
長い回廊から見える東大寺。
この日はとってもいい天気だった。
空の青がとても美しい!

うーん、そしてキレイな屋根のライン。
しかしデカイ寺だ。
デカイと思ったけど、大火で焼失してから再建するのにお金が足りなくて、以前の大きさから2割ほど縮小されたものになってるのだ。
これより2割り増しだと一体どんなサイズになってたんだか…。
外国の建造物なんかでもとってもデッカイものを目の当たりにすると「すっげーーーーっ!」と口をあんぐり開けて驚嘆するにはするんだけど、私は建物の巨大さには興味の薄いタイプの人間らしい。
高層ビルの40~50階に入っていた会社で働いたとき、毎朝毎夕のエレベーター渋滞、お昼に地上のATMやコンビニに行くのも一苦労…なのを経験すると、「なんでそんな高層ビルばっか建てるかなぁ、中の人には結構不便だと思うに」と思ってしまう。
だからってわけはないが、東大寺も2割縮小サイズで十分だわw
などと思っている。

さて、よくよく考えてみるとここは「世界遺産」なのだった。
なんだかピンとこないけど「世界最大の木造建築物」なのだそうだ。そうなの?
たしかに、燃やされても燃やされても木造で建てちゃうその心意気には脱帽モノだ。
ここではなんでこんなに外国人観光客が多いのかと驚くよりも、もはや何人がいても短時間で慣れてしまう東大寺マジック。
わらわら行き交う人ごみの中で一番近くの人に写真を撮ってもらおうと声をかけたら、中東系?アフリカ系?いやいや中南米系?まてまて褐色系だってだけではもはや出身国の推測も難しいが、普通に「すみませーん、写真撮ってもらっていいですかー?」で通じる東大寺マジック。
さあ、こちらが東大寺のご本尊、通称「奈良の大仏さま」でございます。

ふと見ると、乗船員Kが大混雑の人ごみの中、あっちへ行ってはじぃっと見つめ、こっちへ行ってはじぃっと感慨深げに大仏さまを見つめている。
ずっと前の方にいると後からくる人に迷惑だからとひっそりと扉の柱にもたれて人々の頭越しに大仏さまを見上げている。
「そんなに大仏さまが好きだとは知らなかったよ。
東大寺にはよく来てたの?」
「ううん、小学生の時以来かな」
「…」
*東大寺盧舎那仏像(とうだいじ るしゃなぶつぞう)
一般に「奈良の大仏」として知られる仏像で、奈良市の東大寺金堂(大仏殿)の本尊。
天平17年(745年)に聖武天皇の発願で制作が開始。
天平勝宝4年(752年)に開眼供養会(かいげんくようえ、魂入れの儀式)が行われた。
現存する像は中世・近世の補修がはなはだしく、当初の部分は台座、腹、指の一部などごく一部が残るにすぎない。
「銅造盧舎那仏坐像」の名で彫刻部門の国宝に指定されている。
大仏の正式名称は「盧舎那仏坐像」
大仏殿の正式名称は「東大寺金堂」
by wiki

彼は大仏さまの何にそんなに惹かれるのだろうか。
そう言えば奈良ホテルから春日大社へ向かう途中に大きな池があった。

そばには結構交通量の多い道路があるんだけど、歩道を歩いていると池のほとりのすぐそばで若い小鹿がつぶらな瞳でこっちを見ている!

目が合った!! か、かわいい~(萌)♪
思わず記念写真。
これが噂の「野生の鹿だけどリラックスしまくりの図」か~とひとしきりはしゃぐ私たち。

でもつぶらな瞳じゃ我々も負けなくてよ!w
それにしてもすぐそばには車がビュンビュン走ってるってのにリラックスしすぎじゃ?
ココら辺は交通量も多いけど、小鹿たちのいる池のほとりの木陰は歩道と欄干で区切ってあるので、案外安全なのかもねーと納得していたら…

池のほとりでリラックスしてる小鹿(雌)の群れからやや外側(外界)に位置する木陰で、牡鹿が一頭眼光鋭くすっくと立ってこちらを見ていた。
まだ体は小さく若いように見えるけど「僕がこの群れを守るのだ」と言っているような意志を感じさせる。
若造小鹿のくせにカッコイイじゃないか!と思った。
ほんとはここのホテルに泊まりたかった!
せめてティールームだけでも満喫しよ。

…うっとり。
天井見てるだけでも飽きない。
奈良ホテルの設計者は辰野金吾。
★【建築写真集:NARA HOTEL(奈良ホテル)】参照
辰野金吾略歴
1854年(安政元年)
肥前国(現在の佐賀県)唐津藩の下級藩士、姫松蔵右衛門、オマシの次男として生まれる。
姫松家は足軽よりも低い家格であった。
1868年(明治元年)
叔父の辰野宗安の養子となる。
1873年(明治6年)
工部省工学寮(のち工部大学校、現在の東大工学部)に第一回生として入学。
2年終了後、造船から造家(建築)に転じる。
1877年(明治10年)
ロンドン出身のジョサイア・コンドルが造家学教師に着任。
1879年(明治12年)
造家学科を首席で卒業(同期生に曽禰達蔵、片山東熊、佐立七次郎) 。
1880年(明治13年)
英国留学に出発、コンドルの師であるバージェスの事務所やロンドン大学で学ぶ。
1883年(明治16年)
帰国。
1884年(明治17年)
コンドル解雇後、工部大学校教授。
1886年(明治19年)
帝国大学工科大学教授、造家学会(のちの建築学会)設立。
1898年(明治31年)
帝国大学工科大学学長。
1902年(明治35年)
工科大学を辞す。
1903年(明治36年)
葛西萬司と辰野葛西事務所を開設(東京)。
1905年(明治38年)
片岡安と辰野片岡事務所を開設(大阪)。
1909年(明治42年)
片岡安と奈良ホテルの設計に携わる。
1910年(明治43年)
国会議事堂(議院建築)の建設をめぐり、設計競技(コンペ)の開催を主張。
1919年(大正8年)
当時大流行したスペインかぜに罹患し逝去。
by wiki


憧れのティールームで頂くケーキセットはまた格別。

もちろんお値段もそれなりに張るけれど、奈良ホテル嬢の心まで溶けそうな温かくゆるいサービスにまたしてもはにゃーーーんとする緑の船。
このゆるさは奈良の気風なのか!?
もちろん素人くさいとか慣れてないという意味ではなくて、サービスを受けるこちらが気後れすることなく寛げるような大らかさが感じられて、個人的にすっごく好印象だったなぁ。
比較するわけじゃないけど、京都では「一部の隙もないサービスするけど、客のそちらにもそれなりの品格を求めますえ?」みたいな脅迫観念があって緊張するんだよぅ。
グラスに付いてたコースターをもらってよい?と会計時にウエイトレスさんに聞いたら「新しいの持ってきます!」と快く言ってくれたし。(もったいないのでテーブルのをもらってきましたけど^^;)
でも、ほんと雰囲気がステキなホテルだった。
いつかはこのホテルに泊まってのんびりと奈良を満喫したいなぁ。

この頃はまだ緑みどりした庭の楓も、もうとっくに紅葉して散っちゃってるのかな。
★【Frickr:The Nara ~みんなの奈良写真~】
おお、キレイな秋色!
こんなホテルで結婚式ってステキすぎる。

この日は「ポルシェクラブ」なるものの会合もあったようで、メイン玄関前にはズラズラズラーーーッとこれこのような壮観な光景も。

宿泊客の外国人観光客のおじ様が興奮して写真取りまくってましたw
★【奈良ホテルHP】
1909年(明治42年)創業のこの老舗ホテルは2009年には百周年を迎える。
奈良ホテル概略
桃山御殿檜造りの木造2階建て瓦葺きは創業当時1909年(明治42年)のもの。
かつては国営(鉄道省直営)で関西における迎賓館的役割を担っていた。
今日でも著名人が多く宿泊し、皇族の奈良宿泊の際にはこのホテルが利用されることが専らである。
廊下には上村松園、前田青邨らの絵画が飾られている。
(略)
1945年の終戦後、一時連合軍に接収された際に「白木仕上げの内外装が不潔である」として、米兵によって全館ペンキ塗り潰しにされかかったが、当時の支配人の必死の説得で欄干など直接手が触れる部分のみ朱塗りとすることで本体を守った、というエピソードがある。
>支配人グッジョブ!b(^-^;)
つーか「白木=不潔」てどんな感覚やねんGHQよ…。
1960年代末までは内装の間取りの変更はあったものの、概ね創建当時の姿を保つ。
その後、1970年に開催された日本万国博覧会に備えて収容力の拡大を図るべく、本館食堂の南側に高層ビル形態の新館建設を計画し、基礎工事まで済ませた。
>(((((( ;゚Д゚)))))ななな、なんだってー!!
が、景観保護にかかる諸条例の規制区域であったため、これは中止となり、その基礎を生かして近代的な外観の半地下式グリルが新設され、これに伴い不要となったラウンジが撤去されるに留まった。
>ほっ..。:・゚(つД`゚)゚*:。..
by wiki
よかった(´д⊂)
このホテルが高層ビルなんかにならなくって…。
いや、そばにそんなものが出来るってだけで興醒めなんだから…もう、頼むぜ>奈良のお偉いさん達よ。
「本日はお日柄もよくようございましたわね」
「ええ、お陰さまで」

創業100年近く、この建物が今も残っていることがうれしい。
気がついたら師も走る「師走」。
でも今年は忙しいは忙しいんだけど、あんまり「師走」って気分がない。
はて?

ああ、12月なんだけどまだ気分は「秋」だからかも。
通勤途中で見かけるお家の壁面には朝顔がまだ元気に咲いてるし…。
「12月のあさがお」って歌のタイトルになりそう( ^^;


私の中で「師走=冬」なので、「今って秋?冬?」と若干の違和感があるのだな。
とはいえ自然の作り出す色はどうしてこう美しいのだろう。
落ち葉だらけの道の上を歩く時の気分はどうしてこうほっこりするんだろう。


はあ~、ステキやなぁ。
自然の色を上手に取り入れてるこれは例のヲジマヤさんセレクト。
絵を描こうと思うと思いつかないような色と柄の組み合わせが、着物のコーディネイトだと粋になるってのが不思議だ。
鹿にせんべいをねだられ囲まれつつ(乗船員Kだけw)、緑生い茂る長い長い参道に癒されつつ、二の鳥居を越えると


ゆるい緑の景色の中から目にも鮮やかに朱の社がお目見えする。
この日はちょうど地元音楽愛好家さんたち(大正琴愛好会?)が神社に音楽を奏上するところに遭遇。

参拝にきてたたくさんの外国人観光客も興味津々な様子で見てました。
そういや天岩戸に引きこもった天照大神を呼び戻すために♪ヤンヤヤンヤ♪と歌って踊ってみたりとか、神様も扉の向こうがとってもにぎやかで楽しそうでつい扉を開けちゃったとか、音楽って言葉自体が「音を楽しむ」って意味だったりでおもしろういなぁと思った。
今回の音楽奏上は静かでまったりした曲のセレクトだったみたいだけど、もしかしてロックやJ-POPなにぎやか音楽でも楽しんでもらえるのでは…?>神様。
あ、でも神社に祀られてる神様の個人的な好みもあるだろうから選曲は慎重にした方がよいのか…いやいや、いつもクラッシクみたいな音楽ばかりでも退屈しちゃうからたまにはいいかも!?
じゃ、どんな感じがいいかなぁ、うーんサンボマスターなんてどうよ!! …とひとりで想像してわくわくしてました…。
春日大社は平城京の守護の為に創建された御社。
本殿向って右(東)から、
第一殿=茨城県の鹿島神宮から迎えられた武甕槌命(タケミカヅチのミコト)、
第二殿=千葉県の香取神宮から迎えられた経津主命(フツヌシのミコト)、
第三殿=天児屋根命(アメノコヤネのミコト)と
第四殿=比売神(ヒメガミ)は大阪府枚岡(ひらおか)神社から、
それぞれ春日の地に迎えて祀られている。
奈良時代の神護景雲二年(768年)、現在地に四所の神殿が創設されたのが始り。
藤原氏の氏神として有名。
境内に含まれる主なものは、標高295mの御蓋山全域の山林部と、社頭から西方、飛火野、雪消の沢一帯の芝原、若宮おん祭の御旅所(おたびしょ)から一の鳥居に至る参道の地帯を含む平野部。
by ★【春日大社公式HP】より
★【サンボマスター「very special!!」】
あれ、けっこういいかもw
ヒメガミさまも出てきそうな曲だわ、きっと藤原氏も他の神様もノリノリ。
★【春日若宮おん祭について】
あ、そもそもお祭りにその時代時代の芸能が盛り込まれているのね。
一度は見に行ってみたいなー。
赤の社、春日大社は

緑に対比してより鮮やかに朱が映える色使いがステキな神社でした。
鹿に和む(*′ω`)外国人(´∀`)(*´・∀・)(・∀・`*)
がいっぱいいました。

長い長い参道の途中には「おやつくれるぅ?ねぇ、ねぇ!」の無邪気な瞳&「くれないの? あ、そう」なあっさり引き際の良い野生の鹿たちがウヨウヨ生息しています。
「お前らほんとに野生動物かっ!?」と小一時間問い詰めたいくらい人ごみにも人間と同じ感覚で馴染みすぎていて驚きます。
ここでは「人間=脅威なし」と鹿社会全体に認知されている模様。
普通の飼い犬&猫だって他人さまには警戒心を抱くというのにここいらの鹿ったら…。
あまりに人慣れているので神社が飼育しているのかと思ったら、夜になると群れ単位で近くの山に勝手に帰っていき、昼間になると勝手に平地に下りてくるのだそうな。
時々ひねくれモノが夜になっても山に帰らずひとりで境内をウロウロしてたりして、そういうトコロもなんか人間社会に似ている…。
そんな不思議な野生動物に外国人観光客もwktkなお顔。

はしゃぎすぎて鹿に噛まれ、アヒャヒャ(゜∀゜;)ノノ!?と飛び上がっている男性もいました。
なんだか(-ω-` )「…お前、騒ぎすぎ」と鹿の方が人間に諭してるように見え吹きました。

神社の赤い鳥居と鹿の組み合わせって、なんか花札みたい。
…神様までのぷち旅行のように参道が長いこと長いこと!
「今日は東大寺の大仏を見るんだ!」といそいそしている乗船Kを振り回して「春日大社へ行きたい!」と予定外の提案をする緑の船。
始めは「時間がないからダメ!」と言っていたくせに春日大社が"神社″だと分かった途端
「うーむ、神社か…神社ならいたしかたあるまい」
と一人で納得して歩き出す乗船員K。
乗船員Kは神社好きなのだ、ふふふ。(でもお寺はキライらしい。東大寺は"寺″なのに別格で好きなんだってヘンなのー)

私の中で春日大社と言えば、『陰陽師』しかも岡野玲子画。
![]() | 陰陽師 (10) (2001/06) 岡野 玲子、夢枕 獏 他 *詳細を見る |
おおおおぉぉぉおおおおぉぉおおおおぉ…
あのマンガを読んでから、祝詞なんかや奏上の声に幅と奥行きと色を感じる(ような気がする)。
やっぱ小遣い稼ぎに週末だけ務めるアルバイト不良神主の声はしょぼかった。
衣装は古びていても神社務めの神主さんの声は凛としてて不思議と清清しく、こちらまで気持ちが浄化されたような気分になったんだよなぁ。(参考:厄払いのお払いをしてもらった地元神社)
ちなみに一の門は改修中だったけど、さすが春日大社、足場がオール木組ですよ。
普通はパイプや金属板だのに。



たとえば京都の清水寺など社寺って木を数百年単位で育ててるんだそうな。
木造建築はどんなに丈夫に作っても改修・建て替えはいづれ必要になってくる。
だから、あれらの大きな柱を数百年後の建替えには使えるように育てていかないといけない。
参道の木々の中に、そんな壮大な意志をひっそりと感じてみる。
ああ、自分の不平不満なんかなんてちっぽけなことか!
ちっちゃいってわかってても落ち込んだり腹立つのだけどね…。
ちっぽけな己に打ちひしがれていると、ずいぶん前に切り取ったであろう木株の朽ちた幹の中から、まっすぐ伸びる若木を発見。

某TVや某新聞のニュースを見てるとネガティブな事件記事とかコメントばっかりで何かと将来が不安になったり現状に不満ばかり言いたくなるけど、「広くすっと目線を引いてみれ、未来はそう悪くない」…と言われたような気がしてはっと(@ @)とする。
そうか、そうだよな、希望や明るさを忘れないでいることは別にインフラ整備やお金がなくても心がけ次第で作れるんだもん。
何かってーと「ダメだ、ダメだ」って言いがちなんだけど気をつけよう。
言霊ってことばもあるしね。
…て思ってたのに言ってしまって凹むことしばし。
_| ̄|○ililil ああ~。