緑の船は田んぼが好きだ。
緑ふさふさの真夏の田んぼも美しいけど、水を引入れたばかりの頃や苗を植えたばかりの水田が風景を映す頃の田んぼは特に好きだ。

昔、もう○○年以上前の小さな子供のころから、私は父親のオンボロ車の中から見える田んぼの風景がとても好きだった。
春、夏、秋、冬、いつ見てもその風景には飽きなかった。
その頃は山間の狭い土地にも地形に合わせた様々な形の棚田がいくつかあった。
形も様々なら大きさもまちまち。
冬を越え、春を迎え、耕され、そして水を張ったばかりのそれぞれの田んぼの水盆が山や畦道の緑を映す風景は、子供心に何度見ても心が躍るようなわくわくを感じさせてくれた。
やがて町の田んぼはどんどん区画整理されキレイに広げられて四角い田んぼが増えていった。
そして、その山間の小さな村も同じように土地が拡張され一面四角の田んぼになっていった。
畦道も広げられ、今まで手で植えるしかなかった狭い土地も田植え機で田植えができるようになっていった。
きっと農作業は飛躍的に便利になったことだろう。
でも、子供だった緑の船はきっちりと四角くなった田んぼにがっかりしたのを覚えている。
くねくねと色々な形の畦道で造られた田んぼの形が好きだったのだ。
田んぼを縫う水路も大きなコンクリ型が普通になり、子供が遊ぶには危ないからと近付くことを禁止されるようになったのはこの頃だろうか。
拡張工事が行われて、実家の周辺の田んぼは「キレイになったね」「便利になったね」と言われていたけど、緑の船は大人たちの感想に同調できなかった。
そこにあるのは同じ田んぼなのに、何故だかとても淋しい気分になったのを思い出す。
自分が実際に農業に従事していたら感想はまた違ったかもしれない。
去年、とある山間の田舎を散歩していて懐かしい感じの田んぼを見つけた。
昔むかしの実家の田んぼを思い出した。
でもその辺りの田んぼや畑は周囲をすべて電流線で囲んであり、「危険!触るな」と看板が立てられていた。
やはり子供が遊んでいい場所ではないという感じだった。(獣害対策だと大人の今は理解はするけど)
なんかそういうのって理由も分かるけど、やっぱちょと淋しい…よな。
でもやっぱり田んぼは好きだ。
四国山間の素朴な石積みの棚田なんかは特に好きだ。
丹後半島の日本海を見下ろす山から望む棚田の風情も捨てがたい。
昔見ていた実家の棚田が消えてしまったせいか、日本にまだあるそういった棚田の風景に郷愁を感じるのかもしれない。
この棚田に対する郷愁のような感情は緑の船だけが感じる感覚でもないらしい。
棚田にはそれだけの魅力と存在理由があるのだろう。
★【NPO法人:棚田ネットワークHP】
★【ブログ:美しき棚田】
★【風景への旅:美しき棚田:日本の棚田百選HP】
![]() | 日本の棚田百選―米も風景もおいしい私たちの「文化遺産」 青柳 健二 (2002/08) 小学館 *詳細を見る |
![]() | 棚田を歩けば 青柳 健二 (2007/02) 福音館書店 *詳細を見る |
そういえば5月の陰暦の読み方である「皐月(さつき)」は、稲の農作業を意味する古語からきているという説があるらしい。(*「さ」が耕作を意味する、早苗を植える月→さつき)
漢字の「皐」には「神に捧げる稲」という意味があるんだって。(へぇ~、へぇ~、へぇ~!)
★【語源由来辞典:「皐月」】参照。
最近は四角い田んぼを見ても淋しいとは感じない。
むしろ、ここ数十年は田んぼから程遠い生活をしていたし、たまに眺めても広い広い平野にある田んぼは四角くて広くて当たり前で、田んぼの風景を見るだけで十分に懐かしい気分になるくらいなのだ。
ここ数年はまた田んぼの近くに住むようになって、その風景にも慣れたのかもしれない。
山間の電流線で囲まれていた田舎の田んぼを見た後だと、この市街地にある田んぼの方がむしろ開放的でとっつき易くさえ思えてくる。

こんな街の中でも「神に捧げる稲」の風景がある。
そういった語源を知ると街中の田んぼも悪くないなぁ、と思う今日この頃。

セピアで撮ったら、またちょっと不思議な世界に見えた。
ちょっと目線を変えると、同じ風景も違って見えるね。
田んぼは、神さまが遊ぶ庭みたいな気がした。