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大橋川南岸、新大橋の南詰めに鎮座してある賣布神社。
この名前の「賣布」は「めふ」と読む。
(所在地:松江市和多見町81)→【マピオン地図】

現代漢字では「売布神社」とも書く。
古くは橋姫明神ともいい、松江白潟地域の氏神様でもあったので、通称で橋姫(はしひめ)さんとか白潟(しらかた)さんとも呼ばれているそうです。
橋姫さんというくらいなので女性神らしい。

『出雲国風土記』(*)に「賣布社」(めふのやしろ)、『延喜式』には「賣布神社」(めふのかみやしろ)と記されていた古社だ。
*「風土記」とは?
元明天皇の時代、和銅6年(713年)に出された勅命で諸国が編集した地誌。
前年の和銅5年(712年)に『古事記』が、養老4年(720年)には『日本書紀』が作られており、これらの編集は古代天皇制の威令を高めるために行われた国家事業でもあったとされている。
「風土記」は、郡名の由来、伝承、産物、土地の状態などを解文(上への申請書)の形で記録されたもので、諸国の実情を把握し、『日本書紀』作成の資料とするために編集されたと考えられている。
『出雲国風土記』は天平5年(733年)にまとめられ、地名起源の伝承や地勢、産物などが郡ごとに整然とした構成と詳細な記述で記されているのが特長。
第一部:国の大まかな地勢、編集方針、国名由来、神社や郡、郷、里などの統計。
第二部:出雲9郡に関する統計、郡名由来、伝承、地勢、神社、産物など。
第三部:主要道路の順路と路程、軍制など。
当時大和朝廷が作らせた全国の62ヶ国のうち現存するのは出雲、陸奥、播磨、豊後、肥前の5ヶ国の『風土記』で、他に30ヶ国の逸文が伝えられている。
しかし完成本が残っているのは出雲国のみ。
唯一の完成本である『出雲国風土記』は奈良時代の地方の人々の生活や信仰、自然のありさまを伝える貴重な資料でもある。
★【出雲国風土記について:松江城と周辺観光地案内】より
ちなみに社名の「めふ」は海藻や草木の豊かに生えることを意味しているとある。