航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
DATE: 2007/02/15(木)   CATEGORY: 旅情
松江旅情 15 蔵と鼕(どう)

蔵の中には何がある?


蔵




祭り太鼓



この蔵に展示されている大太鼓は「鼕(どう)」と呼ばれるもので市内30余りの町内に古くから伝わるものだ。
この鼕(どう)の直径はおよそ150cm前後。
他にも大きなものでは200cmに及ぶものがあり、これを座台に2~3つ乗せ各町ごとに行列を組んで叩きながら市内を練り歩く「松江鼕行列」というお祭りのための大太鼓だ。

お祭りでは、座台を子供中心に約50名が引き、横笛チャンカラ(銅拍子)に併せ、威勢のいい若者が勇壮な撥(ばち)捌きを披露するそうな。


その強烈な音は松江の空に雷鳴のように響きわたり、行列に寄れば誰でも胸が高鳴り、腹の底まで応えるような躍動感を覚えるに違いありません。
この行事は松江どう行列といい毎年11月3日に行われ、市民にもっとも親しまれた郷土行事となっています。

★【松江市】看板より



蔵に入ってみると、そう広くもなくお祭りの様子がガラス越しに見られるだけなので、「ふ~ん」という感じでその時はそう何も感動はなかった。
しかし、この旅行の随分後になってこの鼕行列がどんなお祭りなのかちょっと調べてみて「へぇ~!」とそのイメージが変わった。



鼕行列は毎年11月3日、松江神社の大祭、松江祭に繰り出されます。

この由来は松平藩5代(5代藩主宣維:のぶずみ)の奥方として享保9年(1724年)京都伏見宮家から岩姫が降嫁したとき、城下の人々がこれを祝って大きなを作り、打ち鳴らしたのが始まりと伝えられます。
行列の当日は、宮造り屋台に直径約2mの大鼕を二つ乗せて、これをハッピ姿の子ども達数十人が引き、威勢のいい若者達がバチさばきも鮮やかに鼕を叩きながら町内をまわり市中を練り歩き、山陰の秋を彩る伝統行事として親しまれています。

★【松江鼕行列:島根県の祭り・イベントに行こう!iタウンページ】参照。




そうそう、よくこの松江鼕行列由来の説明に「1734年に5代藩主宣維(のぶずみ)が奥方を迎えた際に、市民たちが大きな“どう”(太鼓)を作って祝いのために打ち鳴らしたのが…」というものをみるが、1734年享保19年5代藩主宣維は1731年(享保16年)に死去しているので岩姫との婚礼は1724年(享保9年)が正しいのでは…^^;。


松平宣維の生没年:
元禄11年5月18日(1698年6月25日)~ 享保16年8月27日(1731年9月27日)

松平宣維は、出雲国松江藩の第5代藩主。
父は第4代藩主松平吉透(宣維は次男)、母は松平昌勝の娘・清寿院
正室は佐竹義処の娘・幻体院邦永親王(伏見宮)の娘・天岳院。(*岩姫?)
官位従四位下出羽守侍従

元禄11年(1698年)5月18日生まれ、初名は直郷、宣澄という。
宝永2年(1705年)、7歳で父の死去により家督を継ぐ。
しかし治世では災害による天災から財政難に悩まされ、伏見宮の娘(*岩姫)との婚礼資金ですら窮する有様で、婚礼を延期したほど。(*宣維26歳)
このため宣維は藩政改革に取り組んだ。
税制を定免制度に改め、ハゼ栽培ロウ製造にも着手した。
また、出雲の沿岸一帯に異国船が多く出没したため、その打払いにも務めている。(*大変だったろうなぁ…)
藩札も発行したが、これが原因で後に札騒動が起こった。(*藩札の発行は財政難の改善目的でこの頃他の藩も着手しているようだ)
享保16年(1731年)8月27日に死去、享年34歳。法号は善隆院

墓所 :
東京都港区虎ノ門の天徳寺
島根県松江市の月照寺

★【松平宣維(まつだいら のぶずみ):goo Wikiより




財政難で苦しい中、市民が精一杯の歓迎の意を込めて「京都からお姫様が来るーーーっ!」(((o(*゚▽゚*)o)))(* ´ ▽ ` *)ヽ(≧∀≦)ノ と歓迎したお祭りかぁ。
よほど嬉しかったんだろうな。
それにしても、当の本人は34歳でお亡くなりになったのか。
まだお若いのに…(T T)ほろり。




この大太鼓は蔵の中のものを眺めるより、11月3日のお祭りでその音を直接体験した方が楽しいかもしれない。




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