レトロな赤いバスは松江城北側にある武家屋敷や小泉八雲記念館などがある一角へも停まる。
★【松江の武家屋敷】
★【松江市北堀町周辺地図】

冬は冬で雪景色もよいものだが、天候によっては初めて訪れる土地の印象が寒々しく陰鬱なものになることも多い。
が、この暖冬のお陰でスキー目当てで山陰へやってくる観光客には申し訳ないほどとてもいい気分で散策できるのだからありがたや、ありがたや。(-人-)
もし、あなたがたまたま厳しい天候の時に来てしまい「こんな所つまらん!」という感想を抱いているのなら、いつかまた晴れた日に再び来松することを祈りたい。
きっと印象が変わることだろう。
さてバスで直接ここまでやってくるのもよいが、天気のよい日は松江城遊覧船乗り場あたりで下車して堀川沿いにぶらぶら歩いて行くのもかなりオススメだ。
★【ぐるっと松江堀川めぐり】
歩いていくうちに、あたなはいつの間にかするりとタイムスリップした気になってくるかもしれない。
武家屋敷と小泉八雲記念館などの間には【八雲庵】というお茶屋があるのでちょっと一服してみよう。
JR松江駅のローターリーからは各方面へのバスが出ている。
もし、とりあえず目的もなくぶらっとしてみたいと思ったら赤いバスに乗り込んでみよう。

レイクラインバスと銘打ったこの一周り小さくてレトロな風情のバスは右回り、左回りとどこへ行っても運賃は1回200円。
夏場はもう少し本数は多いがこの冬場でも一時間に数本くるくるコンパクトに市街を回っていて、最終的にはまたJR松江駅に帰ってくる。(そのままずっと乗っていても一時間+α程度で駅へ戻る)
もし一日に何回か乗り降りするようなら一日乗車券(500円)をバスの運転手さんから買うこともできます。
市内の提携観光施設でこの一日乗車券を見せると入場料が割引になっていたりするのでオススメです。
もちろん、いかにもな昔ながら風の木造建物だけに心惹かれるわけじゃない緑の船です、ご乗船ありがとう!

これは単に「ロビンエンジン」て看板に惹き付けられただけだったりw
★ロビンエンジンとは?
ラビットスクーター用エンジンを汎用化したのが始まり。
空冷ガソリンエンジンを得意とし、国内の小型建設機械向けには圧倒的なシェアを持ち、100万台以上の生産台数を誇る。
かつてはロビンエンジン搭載の農業用耕運機の生産も行っていたが、子会社の富士ロビンに営業譲渡後は、次第に販売台数は減少している。
by wiki
★【富士ロビン株式会社】←なんかラブリー♪な会社名。
★【富士重工業株式会社】(スバル)
★富士重工業(FHI)とは?
日本の重工業メーカーのひとつ。
「スバル(SUBARU)」のブランド名で自動車などを製造している。
通称「富士重工」、「富士重(ふじじゅう)」。
英訳名は、Fuji Heavy Industries Ltd.(英略称はFHI)。
1999年12月からゼネラルモーターズ(GM)と資本・業務提携をしていたが、2005年10月5日に、ゼネラルモーターズが保有する富士重工株20%をすべて放出、そのうちトヨタ自動車が8.7%を買い取り筆頭株主となった。
今後は富士重工とトヨタが資本・業務提携する。
ゼネラルモーターズグループのスズキと、軽自動車の部品の共通化などをすすめてきていたが、今後はトヨタ及びトヨタ傘下のダイハツ工業との共通化が進むと推測される。
by wiki
あー、スバルって結構好きなメーカーなんだよね。WRCとかも頑張ってるし、デザインとかもイイ感じだし。トヨタと提携か~。トヨタは…い・ま・い・ちメーカーとして好きじゃなかったりして。(業務成績はスゴイと思うけど…下請けや関連業者に対する態度がちょっとな~)
ま、それは置いといて^^;。
私の船は、ある趣の建築物に異様な反応をみせるw
それは自分が住んでいたわけでも、自分の住んでいた町並に似ているわけでもないのに、ある種の建造物に対して言いようのない懐かしさ、郷愁、親近感、もしくは興奮を伴なう強い興味を覚える。

例えば、例の松江城敷地内にある元迎賓館。
元々は大正天皇(皇太子時代)の御来松の際に宿泊施設として建てられたホテルで、その後は迎賓館や展覧会場として利用され、現在は松江郷土資料館となっているこの建物。
…好きだ、愛している、結婚してくれ!と言いたくなるような容姿美麗な佇まいである。
★「興雲閣」(こううんかく)メモ。
明治36年(1903年)に、松江城の二ノ丸跡に迎賓館として建てられた擬洋風建築。
松江の歴史文化教育に関する資料や、大正天皇皇太子時代の山陰行啓の折の御宿泊所を公開してある。
★擬洋風建築『日本の美術466』参照。
幕末から明治初期にかけて、居留地建築に刺激を受けた日本の大工棟梁が見よう見まねで西洋のデザインを採り入れ、事務所、ホテル、学校などを建設した。
伝統的な職人の技術をベースに洋風要素を採り入れたこれらのものを擬洋風建築と呼ぶ。
ちなみに明治36年(1903年)…この年の日本はペリー提督の黒船来航から50年、明治新政府樹立から満35年を経過した頃である。
松江に来たら、出来るだけ自分の足で散策してみると良い。
のんびり歩くことで些細な発見に喜びを感じられると思う。


へぇ~、城下町じゃこんなまっすぐな道のことを「縄手(なわて)」と呼ぶのか。
ふむふむ、寛永15年(1638)に松江藩の町奉行に勤めていた塩見小兵衛という人がいたわけだが、この人が異例の大出世をしたというのでその功績を称えて縄手に名前を付けたとか。
実際、どんな手柄を立てて出世したんだっけ?
たしか苦しかった財政再建に貢献した人だったような…(うろ覚え;汗)
寛永15年(1638年)といえば、島原の乱(天草四郎の乱)などが起こり、幕府がキリスト教を厳しく取り締まり鎖国政策を始めたころの時代。
この土地は関ヶ原の合戦(1600年)後、出雲・隠岐の太守として入国した堀尾吉晴が富田城を廃して松江城を築城した後、寛永15年(1638)徳川家康の孫・松平直政が入城して親藩松江藩が誕生し明治維新まで続く。

ちなみに島根県の県名は、明治4年(1871年)11月に名付けられている。
県庁所在地の松江市が、古くは島根郡(出雲国の東北部、島根半島の東部)に属していたためだとされている。
島根郡という地名は、『出雲国風土記』に
「島根と号くる所以は、国引き坐しし八束水臣津野命の詔りたまひて、名を負せ給へるなり、故、島根と云ふ」
とあり、八束水臣津野命(やつかみづおみづぬのみこと)によって名付けられたことが由縁とされている。
この神様がこの地にやってきた時に
「ここは細い布切れみたいな狭い土地だなぁ。
よし、それなら私が布を縫い合わせるように広い国に造り変えよう」
とあっちこっちから島を引き寄せて造った…という伝説からきている。
確かに宍道湖を囲む出雲の土地(半島)の形は、改めて地図で見ると言われてみれば…で、あっちこっちから土地を引っ張ってくっつけたのか?と考えられなくもない変わった地形をしている。
そういう訳で「島根」という言葉は、島または島国の意味で(実際には“島”ではないが)、根は島に付く接尾語としてくっ付いているのだそうだ。
ちなみにそれまでの県名(松江県)が使われなかったのは、明治維新の際に松江藩が倒幕に消極的な立場をとったためである…とかなんとか(爆)
この地名ひとつの由来をみても当時の人間の感情が絡まった、まあこれも「歴史」を知ることで味わえる面白みでもあるw

お城を囲むこの堀沿いに歩いていけば、のんびりと寛ぐ鴨や白鳥など様々な水鳥に出会えるが、これも冬ならではの光景かもしれない。

幕府に提出された城下町の地図(控図)、約3m四方の折り紙。
↓正保元年~4年(1644~1647年頃)

正保元年(1644年)というのは、幕府が「正保日本国図」を編纂するため、諸藩に「国絵図」(地図)の提出を命じた年だ。
例えば、現北海道の松前藩が幕府に提出した自藩領地の地図には「クナシリ」や「エトロホ」など39の島々が明記されてあるそうだ。
★【歴史のページ:徳川幕府撰正保日本国図(1644年)】より参照。
この原図は「出雲国松江城絵図」として国立公文書館に大切に保管されている。
改めて眺めてみて、松江城はとても美しいお城だと思う。(あまり有名ではないけれど)

名古屋城のようなきらびやかなハデさはないけど、この黒塗りのお城の佇まいは好きだ…。(名古屋城も結構好きだよ!)
お城そのものもステキだが、この松江城のなんとも言えない趣はその周囲を囲んである手入れされたお堀の印象が大きいように思う。

山陰の冬は晴れの日の方が少ない。
冬というのは日本海沿岸特有の陰鬱な曇り空が続くことが多い。
山並みは常に雨上がりの湿り気を帯び、乾いた空気を感じることの方が少なく、ここ松江市は水郷の街というにふさわしく街にも空気にも「水」を感じる土地だ。

…のはずなんだが、今年はまったくの暖冬。
12月も暮れだというのに雪もそうそう降らない。(*そう、これは12月下旬)
降ってもすぐ溶ける雪か、ちょいと冷えた雨が降る程度だ。

露を帯びた樹木も妙に瑞々しく、ニヒルに街を徘徊するつもりが気がつけばウキウキと鼻歌♪なんぞ歌っていたりする。
当たり前に積もる雪がないのはちょっと肩透かしだが、観光には実にいい天気だ。
JR松江駅を拠点にこの堀を一周する観光バスもあるが、風もなく気分がいいのでブラブラ歩いて行こう。

水辺を歩いて落ち着くのは、私が「船」だからかもしれない。♪♪♪

「八雲立つ 出雲八重垣 つまごみに 八重垣つくる その八重垣を」
by『古事記』
古事記の昔から、この地は今も雲沸き立つ出雲の地だ。
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