航海記 ♪歌いながら行くがいい♪
私の船は、時々歌いながら旅に出る。
夕暮れ時の巨人に向かって(足元で愚痴の涙)

おや、もう今日はバレンタインデーだった。
いつもだとあっち行ったりこっち行ったりデパートでもみくちゃになりながらも(^ω^ ≡ ^ω^)「今年はどんなチョコにしよーかなー♪(自分用含め)」と楽しみつつ準備したりするのだが、今回はもう手近に買えるところでサラッと用意済み。ネットとかでも探せば色々な種類の美味しいチョコは手に入るんだろうけど、私はあれこれ現物見て比較して無駄に悩んで買いたい派なので今年はなんか物足りないわぁ。でもお花は用意しよう。


さて、この新型コロナウイルス感染症の脅威を本格的に感じ始めたのは、昨年の2月頃でしたっけ?その前の年末くらいにはもう「なんか海外でヤバい風邪が流行っているらしい」と言われていたんだったか。その頃はまるでピンとこなくて他人事だったが、気がつけばもう1年以上に渡って我々はこのウイルスと格闘していることになるのか。

ウイルスとは=
細菌の50分の1程度の大きさで、とても小さく、自分で細胞を持ちません。ウイルスには細胞がないので、他の細胞に入り込んで生きていきます。ヒトの体にウイルスが侵入すると、ヒトの細胞の中に入って自分のコピーを作らせ、細胞が破裂してたくさんのウイルスが飛び出し、ほかの細胞に入りこみます。このようにして、ウイルスは増殖していきます。(中略)ウイルスは大きさや仕組みが細菌と異なるので抗菌薬抗生剤抗生物質)は効きません。
抗ウイルス薬はまだ少数しか開発されていません。(※2018年:平成30年11月現在)

★【細菌とウイルス|感染症の基本|AMR(薬剤耐性)対策サイトより
 ◯参考:国立国際医療研究センター病院



手強い手強いとは言われていたが、本当に手強いわよね。。。
我々は、この巨人の足元でまだ右往左往してるようなものなのかもしれない。だけども、個人でも家庭でもできる範囲のことを注意していけば、いつか何とかできるはず。(多分…)



201911-kyojin.jpg
<巨人の足元を駆け抜けよ!>
 注:この巨人は駆逐できません。




昨年のGWを過ぎた頃はみんな頑張ってかなり抑え込んだように思えたんだけども、夏から秋にかけてちょっと開放的になって、空気が乾燥して普通に風邪も流行るような季節になり忘年会とかもあったからかな、年末頃にはガツん!と感染者が増え、年明けに一部の都道府県で再度緊急事態宣言も発令された。
まだ今のところ、知り合いや身近な家族に感染したとか濃厚接触者がという話はないのだけど、最近は周囲で以前よりも感染に気を使っている人と「もう大丈夫でしょ♪」と気楽に構えている人との温度差をとても感じる。
電車に乗って近くにその気楽な人がいると勘弁してくれよと言いたくなる。





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末永く魂鎮るところ 5 諫鼓鳥の庭、龍の夢
もっと船を出せーーーっ!
と念を送ったのが早速通じたのか!?>「麒麟がくる:第42回離れゆく心」
めっちゃ適当なCGだったけど和船が出たー!(@∇@)!
★【末永く魂鎮るところ 4 麒麟はきたか】2021(R3)/01/22(金)記事参照〜
★【船の科学館と「宗谷」の思い出 4 和船の趣き(下)】2019(H31→R1)/07/24(水)記事参照〜

船に乗っている体で左馬之助と十兵衛が話しているけど全然揺れてねぇwまあいいか、きっと瀬戸内海は凪だったのだ。しかし村上水軍に捕まらずよく往復できたな。でも船の上から鯛釣りとか、船の匂いがまあまあ増えて嬉しいw(本願寺攻めの九鬼水軍の勝利の件はまた台詞だけだったけど…|ω・`)なぜじゃ)
そして当分出てこんだろうと思っていた岡村菊丸がもう三河から帰ってきたw(嬉)疑問だった家康(竹千代)が十兵衛と初めて会った時の年齢が「7つの時だった」と判明、ということはあの時十兵衛は20歳頃だったということか。そして今のところまだ”籠の鳥”と燻る家康37歳、忠心が揺れる十兵衛50歳頃というところでしょうか。本当に心の声が聞こえたのか!?実に痒いところに手が届く回であったな。家康が十兵衛に会うためにわざわざ船で密談しにやって来るとか(三河の岡崎城から〜紀伊半島周り〜摂津沖まで!?季節や天候にもよるが片道何日ぞ?)いいぞいいぞ、もっと船を出せぃw




さあ、その徳川家康(享年75歳)の魂鎮まるところとして明智光秀こと天海僧正(※個人的妄想ですw)藤堂高虎の屋敷地に建立したという上野の東照宮の黄金扉の内側には、透塀のに負けず劣らず美しい彫刻があります。左右それぞれに素晴らしいデザインでもっと近づいて見たい・:*+.(( °ω° ))/.:!と思うのですが、門の前にはこれ以上は近づけないのです。残念。
★【末永く魂鎮るところ 3 彫刻の楽園より】2020(R1)/07/05(日) 記事参照〜

201505-tousyougu-monnoutigawa.jpg


内側から見て左に「諫鼓鳥(かんこ鳥、閑古鳥とも)」、右には「松竹梅」。柱上部の唐獅子と牡丹もいいですね〜(´∀`*)

=諫鼓鳥(閑古鳥)とは=

中国の故事に由来する。
その昔、尭帝という聖天子が朝廷の門前に諫鼓(かんこ:太鼓)を置いて、自らの政道に誤りがある時は人民にそれを打たせて、その訴えを聞こうとした。しかし尭帝の政治に誤りが無く、人民がこれを打つことが無かった為、諫鼓は鳥の遊び場になってしまったという。
諌鼓に鶏が止まっているのは、善政により世の中がうまく治まっている天下泰平の世である様を表現しており、「諫鼓苔生す」という言葉は、「善政によって諫鼓を鳴らす必要がなく、その鼓に苔が生えているほど長く安泰である」との意です。(大辞林より)



本来、諫鼓鳥は善政による天下泰平のシンボルですが、

 誰も太鼓を叩かない
  ↓
 めっちゃ静か(誰も不満に思う者がいない平和な世)
  ↓
 ああ、商売が暇やわぁ( ノД`)(←!?急にネガティブw)

のイメージになり、今もよく使われる「閑古鳥が鳴く」と言う場合は、店に客が来ない、客がいなくて商売がはやらない様を指します。
諫鼓鳥の姿はカッコウではなく尾長の鶏なのですが(よく神輿の上に乗っている金色の鶏、鳳凰の場合もある)、閑古鳥はカッコウの事でもあり、山間で響くあの長閑な鳴き声が、暇で暇でしょうがないよ…といったイメージをさらに増幅させて今に至るのかも知れませんw



ちなみに神輿に諫鼓鳥を乗せるようになったきっかけは、2代目将軍秀忠の鶴の一声から。
1615年(元和元年)5月、大坂夏の陣で豊臣陣営に勝利し江戸へ凱旋した2代目将軍の徳川秀忠が、日枝神社の大祭である6月の山王祭を前に
「太平の世を祝って諫鼓鶏の山車を末代に至るまで一番で渡せい!」ヾ(・∀・)ノ
と上意を下したのが始まりとか。(そして本当に現代までも続いているw)
★【日枝神社(山王さま)諫鼓鳥とは】東京都神社庁HPより

※「大阪」は明治以前は「大坂」と表記されていた。
 へぇ〜、へぇ〜、へぇ〜ヽ(´∀`)。


とすると、この左側の諫鼓鶏の彫刻は2代目将軍秀忠の功績を、東照宮をキンキラキンにした3代目家光が尊んで刻まれたものなのかも。だとすると、右の松竹梅の彫刻は3代目である自分を象徴していて、初代家康(と、その心の友高虎と明智光秀かも知れない天海僧正w)の築いた功績を2代目と3代目が支え、これからも長きに亘って善政を続けて行きますよ、安心して下さいとの決意や祈りも含まれていたのかも知れません。



さて、その諫鼓鶏と松竹梅の側にはそれぞれ昇り龍の彫刻が施されています。
  <諫鼓鶏(秀忠)側:左龍>    <松竹梅(家光)側:右龍>
201505-ryuu-sayuu.jpg

持っている写真がめっちゃヘボいので拡大して加工しまくって並べてみたら、なんか流行りの『鬼滅の刃』、水の呼吸!拾弐の型「昇り龍(`・ω・´)!!」みたいな感じになったw

★【鬼滅の刃の水の呼吸1〜11の型




201505-sayuunoryu.gif

うまく写真が動いてくれないよう…(泣
とりあえずクリックすると動きます( ゚Д゚)⊃→


2頭の龍が描かれていると、よく「どちらが昇り龍なのか?」という話になります。(龍を数える時の単位って”頭”でok?)
色々なところで解釈を聞いていると、大抵は偉い方が心持ちは謙虚で頭を垂れているものだ…という理由で、
「下を向いている方が昇り龍である」
と言われている様です。

その解釈では、下を向いているのは<松竹梅(家光)側:右龍>なので、右が”昇り龍”ということでしょうか。
まあ、この東照宮をキンキラキンに改築したのは3代目家光なので、「私が昇り龍ね!」とそう言うことにした、…と言えなくもないと思ったりはしますw




ただ、これらの彫刻をぱっと見の印象で私が感じたのは、むしろ<諫鼓鶏(秀忠)側:左龍>が普通に昇っている龍ではないかと言う事です。<松竹梅(家光)側:右龍>も昇ってはいるには違いはないけれど、彫刻の龍の動きを想像するに、こちらはこれから下界へ降っていかんとする様子に見えるのです。

なので、「右が昇り龍」という説明がどうにも腑に落ちないのです。
私の元写真がヘボかったため変に加工してしまったせいもありますが、左右の龍を見ていて、やっぱり<諫鼓鶏(秀忠)側:左龍>の方が上へ上へと昇っていく様に見えるし、単純に彫刻としての出来栄えも実にカッコ良いのですw

それはさておきw
この2頭の龍をよくよく見ていると、頭の向きの他にも違いがあるのが分かります。そう、宝珠です!
 <諫鼓鶏(秀忠)側:左龍>…宝珠を掴んでいない
 <松竹梅(家光)側:右龍>…宝珠を掴んでいる
この宝珠は、摩尼宝珠とも如意宝珠とも呼ばれ、「意のままに様々な願いをかなえる宝」として、如意輪観音様や地蔵菩薩様がその手上に載せておられ、龍もしばしばその珠を持っている場合もあるものだそうで、仏教の教えの中ではそれはそれは大変にありがたい効力のあるアイテムなのです。これぞドラゴンボール!?それこそ、この世で太陽や月の次に明るく清い光を世に放つ、衆生にとって実にありがたいお宝なのでした。
(意のままにといっても、腹黒い俗世の欲望を叶えてくれる類のものではありませんw)

そう、2代目将軍秀忠はまだ戦の火種の残る渦中にいて大坂夏の陣で敵対する豊臣陣営を下し、家光は3代目将軍としてその後の徳川家の、ひいては日本の政情を磐石なものにしていったと言え、確実に掴んだ宝珠を持ってこの世に平和をもたらそうとしている、この2頭の龍はその様を表現している様にも見えまする。
どちらがというか、この場合どっちも宝珠を掴むための”昇り龍”だろうと思います。(あれは宝珠を掴む前、掴んだ後のビフォアーアフター龍図なのであるw)

そして、それはなんのためだったか?
無為な戦に明け暮れぬため、ここを心穏やかなる平らかな世にまとめるためではなかったか。(「麒麟がくる」的解釈を参照)

あの門を飾る2頭の龍は、共に末永く魂静まるところに眠りたいと願った初代将軍家康とその心の友(高虎と、もしかして明智光秀だったかも!?な天海僧正)をお守りするためのものであり、
「とうとう衆生を照らすための宝珠を掴みましたぞ。
 御三方、もうご心配召されるな…」(´ 人 `* )

という、派手好きな家光なりの偉大なるあの3人への供養の表現だったのかも知れません。



さあ、いかがだったでしょうか。>個人的解釈による妄想絵巻w
この上野の東照宮の規模は日光東照宮には及ばないでしょうが、一つ一つの彫刻の佇まいの美しさは素晴らしいものがあります。
個人的にはキンキラキンの装飾にはあまり興味はないのですが、この上野の東照宮の黄金色は平和的な意匠の彫刻群とお互いに引き立てあい、響きあっているようでとても好きです。

そう言えば、ここに”麒麟”がいたかどうか、手元には写真もなく記憶もないのですが、きっとどこかにいそうな気がしますw



また気楽にお出かけできる日を迎えられるよう祈りつつ。
そう、まずはこの手強い感染症の脅威をみんなで克服した後、いつかまたゆるり探しに行って見たいと思うのです。





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2018(H30) 如月の巻 5 小さき賢人、スクナヒコナな神

さて、不思議とパワー溢れる御三社の空気に圧倒されつつ、お隣の小さな池の小島へ渡りましょうか。
★【2018(H30) 如月の巻 4 力漲る若い社】2020(R2)/03/07(土) 記事参照〜。


この小さなお社は天神社(てんしんしゃ)。
※読み方は他に「てんじんしゃ」や「あまつかむやしろ」等がある。by wiki)



201802-tenshinsya1.jpg


御祭神は少名毘古那神(すくなひこなのかみ)と看板にある。
(※こちらも読み方はスクナビコナノカミとか、スクナヒコナノミコトとか色々あるが、ともかくスクナヒコナな神様だという事でw)

もうさっさとコトバンクとラノベのサイトに頼ろう。

日本神話の神。大国主命の国造りの時に登場する。
『古事記』では神産巣日神(かむむすひのかみ)の子。
『日本書紀』では高皇産霊尊(たかひむすひのみこと)の子。非常に体の小さい神で、大国主神と協力して国造りを行い、途中で常世国(とこよのくに)に帰った。
医薬の神とされる。少彦名命(すくなびこなのみこと、すくなひこなのかみ)とも呼ばれる。

byデジタル大辞泉の解説より参照(コトバンク)



ほほう、すくなひこなの神様は医薬の神様とな。


大国主命(おおくにぬしのみこと)が出雲の海岸にて(美保関の辺りか?)
「おーし!これからいい国つくるぞぉー!! (((o(*゚▽゚*)o)))
 …しかし、具体的にどんな国にしたらいいのか…」

と意気込んでみたものの悩んでおられた時に、この少彦名命(すくなひこなのみこと)が海の彼方からスイーーーっと現れ、その後この2神(お二人)で色々と協力して各地を巡り理想の国造りに当たったのだという。
 ○o。(○゚ω゚)ノ ヤア ヽ(゚ω゚○)。o○♪ヨロシクネ

少彦名命はやたら「体の小さい神」とか「非常に小さな体躯」とか前置きされるがどんだけ小さいのかしら?と思っていたら、大国主命と国造りをしている最中に、(うっかり?)粟(の穂か茎か)にはじかれて常世の国(所謂ユートピアな故郷の国)へ飛び去ってしまったほど小さいのだそうな。
そう言えば最初に乗ってきた船は小さすぎたため、いつまで経っても近付いて見えないほどだった。

「スクナヒコナノミコトーーっ!!

 …ああ、常世の国に飛んで行ってしまわれた。。。
 一体これから私一人でどうすればいいのだ…
 (;д;)。。。寂しいではないか」


と大国主命は途方に暮れた。とかなんとかw



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2018(H30) 如月の巻 4 力漲る若い社

あの、主様、私そろそろ行きますね。

命主社の主様としばし戯れた後、お別れのご挨拶をする。


201802-kuronushi2.jpg



(あ、
しょんぼりしちゃった…)



ええ、でもまた来ますから。






はい。
主様もお元気で。








人懐っこい黒猫の主様に別れを告げて来た道を戻る。


帰りの途中「出雲教」という神社に寄り、御朱印をいただいた。
御朱印作法と言うか当たり前と言えばそうなのだが、社務所の前に「御朱印は神社に参拝した後にお出ししています」と貼り紙があった。


わざわざ貼り紙をする程のことだろうか?と思ったが、そう、私も御朱印を集め始めた最初の頃は御朱印とスタンプラリーの違いもよく分かっていない非常識人だった。御朱印帳を持っていない時に、滅多に来れない神社の御朱印が欲しくて「手帳に書いてもらうことは可能だろうか?」などと聞いて呆れられたことがある。

これは自分ではないのだが、とある神社で並んで御朱印帳の記帳待ちをしている時に、前に並んでいた方(結構なご年配のご婦人)が何やら宮司さんに説教をされていた。

どうやらご婦人の御朱印帳には神社でいただく御朱印に混ざって、よく道の駅などにある様な記念スタンプも押していた様で、「こんな事は今後は絶対にしてはいけませんよ」コラッ(`・o・´)۶ と割と強めにたしなめられていた。
ご婦人も「すみませんでした、気をつけます」と小さくなっていたが、後ろにいた私も(知らなければ自分もきっと同じことをしていただろう…(´Д`lll)汗)と小さくなった。。。

当たり前かもしれませんが、知らなければついついやってしまいそう…。
改めて自戒を込めて。

 ○御朱印は神社の神様にご挨拶した後にいただきましょう。
 ○そして間違ってもスタンプラリーの様に扱わない様にしましょう。
 (御朱印帳は死んだ時に棺桶に一緒に入れて持って行くもので、お守りと同じだそうです)


参拝した神社の敷地の奥には、小さな池の小島に小さな神社があった。
小島に渡るには敷地内をぐるりと回って別の門をくぐって行く。
(なんでわざわざ門が違うのだろう?)



201802-3yasiro1.jpg






あ、空気が違う。…と思った。

201802-3yasiro2.jpg




何がどうと言われると表現に困るが、ここに入った瞬間に感じたのが(ここの空気は若いな〜!)だった。
もちろん私よりも神社の歴史の方が長いので、これはきっとその前に訪れた神社と比較してそう感じたのかもしれないなと思う。

社が新しいと言う事ではなく。
ここの場所はなんと言うか、…まだ瑞々しく力が漲っている、そんな印象だった。


正面に3つの社が並んでいて、それぞれはそう大きくはない。

右から
○荒神社(こうじんじゃ)
 御祭神:三宝荒神(さんぽうこうじん)

○天穂日命社(あめのほひのみことしゃ)
 御祭神:天穂日命

○稲荷社(いなりしゃ)
 御祭神:宇迦之御霊神(うかのみたまのかみ)



201802-3yasiro3.jpg



<三宝荒神>
激しく祟たたりやすい性格を持つところから、荒神と呼ばれました。そして不浄をきらうことから、火の神に当てられ、竈の神様とされました。竈の神様となったのは、陰陽道や神仏習合説が影響しているようです。

仏教的には、仏法僧の三宝を守る神様であり、三宝を大切にする人や、法華の修行者を守護すると言われます。

★【「荒神様」>優しい仏教入門】より





201802-3yasiro4.jpg

<左:稲荷社>

うかのみたまのかみ”と入力すると”稲魂の神”といの一番に漢字変換されるし、荒神様は竃の神様だし、日本人にとって生命力の源!って言うくらい大事な場所なのではなかろうか。

 ○『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)
 ○『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
あら、(うかのみたまのかみ)は『古事記』表記なのね??



※(あめのほひのみこと)もまた色々と書き方が違うのよ。
 ○『古事記』では天之菩卑能命
 ○『日本書紀』では天穂日命
他、天菩比神とも書く。
昔は音が「あめのほひのみこと」であればきっと無問題だったと言う事だったのかしら。

現代風には『日本書紀』式の漢字なのは、音と意味を結びつけて漢字を選んでいるからなのかもですね。
とは言え、『日本書紀』が完成した養老4年(720年)からちょうど令和2年(2020年)で1,300年ですから。もうそれを現代風と呼んでいいものかどうかと言う…(=∀=)。




そうやって守ってきたお米は今でも美味しくいただくべく、日本の農家さんたちは日々研鑽しております。
最近のお米は各地のブランド化も相まって本当にそれぞれ美味しいと思うの。
きっとこの3社の神様たちも食べたらびっくりするでしょう。

「なにこのお米!?今お米こんなに美味しくなってるの!?」
 Σ(゚д゚;)(*´v`) ウマー (*゚Q゚*)!

…などと嬉しい戸惑いを感じるであろうに違いないと妄想中。
いえいえ、それも3社の神様のおかげです。
いつもお守りいただきありがとうございます。と改めて感謝。


<アメノホヒ>日本神話の神様

 アメノ⇒天の。天津神につく苗字みたいなもの。
 ホ⇒秀・穂・秀等の意味があるとされる。特に優れた
 ヒ⇒日・火を意味する。

アメノホヒは『生命力が火のように燃え盛る優れた稲穂』という意味。ホヒ(穂霊)は『農耕や稲穂の神様』とされる。

★【『古事記』をラノベ風って言うか現代語訳にしてみた】より参照






今更ながら、参道に入って感じた印象がこの3社の神様の性格と一致していて驚いたわw

肝心の真ん中のお社(天穂日命社)の近景の写真がないが、参道からの遠景でもそのパワーを感じていただけるのではないか。(と誤魔化しておくw)





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船の科学館と「宗谷」の思い出 8 細部に宿る魂

また無駄に長くなりそうだったけどこんなになってまった…。写真そのものはそう多くないのに調べながら面白がってあれこれ書いたらこんなことにw



200907-fune-kanteimokei2.jpg

○ロシア第2太平洋艦隊(バルチック艦隊):第1艦船隊の小模型(一部)


200907-fune-kanteimokei1.jpg

○日本連合艦隊:第2戦隊の小模型(一部)




すっかり忘れていたことも写真があればするっと思い出せる、と言うか後で調べればさらに深く染み込んでくる感じが最近は新鮮なので昔の写真もok!としようと思う。



ドゥルルルルル… ジャン! 真打ち登場!
縮尺1/50、模型なのに存在感がすっごく大きい!!そして細かい!!


キタコレ戦艦「大和」ギャ━(゚∀゚)━!


200908-fune-1-7yamato.jpg

○1940年(昭和14年):戦艦「大和」(模型でもデカイ!!)







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