このキンキラな扉(唐門)の向こう側はどうなっているのだろう?
★【末永く魂鎮るところ 1 高虎の東照宮】2020(R2)/06/07(日) 記事参照〜
拝観料を納め、入口から建物をぐるりと回り込んで行くと、長く美しい塀が現れる。(※当時は修復作業が済んで間も無い頃だったので、本当にキレイ!)

ほほう、これがあの透塀(すきへい)と言うヤツですね。
(って当時はそんな事はスルーでしたけどw)

※主様ver.にほんのり加工してみた。
この大楠は樹齢600年以上!?と言われているそうで、江戸幕府の祖どころか倍以上の長きに渡りこの地を見てきた上野の祖であります!もはやこの地の主様と言って良いでしょう。中々に迫力ある表情をしておられます。
そして、今はまたどうか分かりませんが、実に勢いのある樹勢でまだまだ健在だと言う力強い印象でした。
実は…我が家の庭にもどこからか運ばれたのかいつの間にか楠が芽吹いておりまして、しばらく放っておいたらだんだん簡単には抜けない様な幹に成長しておりました…。
早めに抜いておいた方が良いんだろうなぁ…などと思いつつ何となく抜きそびれ今に至る。とりあえず上に伸びる枝はちょいちょい剪定して背丈は抑えてみるものの、抜くのは何となく躊躇ってしまう。そうこうしているうちにも幹はどんどん成長中。。。
広大な土地にお住まいの方なら良いかもしれないが、我が家の庭に楠はマズい…(汗)と分かってはおるのですよ。
久々に上野の東照宮の御神木を見て益々思う。我が家の庭に、楠はマズいw
さらに進むと、社殿の入口までの途中にも小さなお社があります。
「栄誉権現社」通称 ” 御 狸 様 ” が祀られています。

お社の中には本当に衣を纏った御狸様(木像)がおるのですw
これが中々侮れない強力な御利益(強運開祖、受験合格、試験、必勝祈願)があると言うのです。
四国八十八狸の総帥。
奉献された大奥で暴れ追放。民、大名、旗本、諸家を潰し、大正年間本宮に奉献された。
悪業狸、他を抜く(たぬき)強運開祖として信仰が厚い。
縁起日は五の日。
看板より
ちょっと看板が何を言っているのか分かりにくいw
当時の感想を正直に申しましょう…「意味不明〜w」(°_°)??
要約すると(いや、要約され過ぎな看板の文章をもう少し展開するとw)、大昔に四国を総ていた狸の総帥が(捕らえられて?)大奥に奉献された。しかしこの狸がこの事に怒り狂ってなのか、暴れたため大奥を追放された。(この時点で狸は皮なのか木像なのか分からない)
その後は、ここ江戸市中で暴れまくり大変だったと言う。
※あれですかね、『もののけ姫』に出てくる乙事主(オッコト主様)みたいな立ち位置の狸だったので祟り神となって祟った、と言う事かな?将軍家何とかしなはれw
その祟りたるや激しく、平民だろうが大名だろうが、下級武士の旗本だろうが階級を問わず、渡り歩いた沢山の家を潰したという程の暴れっぷりだった。
※この時点ではとんでもなく縁起悪いw あまりに祟りが強力過ぎてこの狸を無下に廃棄するなどと言う発想はなかったと思われ。
しかし、大正年間になってこの上野の東照宮内に祀ったところ、(悪業狸と恐れられた総帥も気が済んだのか、はたまた樹齢600年以上の御神木の大楠様に諭されて改心したのか)祟りがピタリと治まった。
それともあの高虎の崇高な精神性に絆されたのか…狸だけに?(家康と言えば狸だしw)
「この悪業狸めが〜!」
↓
「悪業たぬき」
↓
「悪業、他を抜く」(?)
↓
「悪い事やその他を抜きさるほど強い力がある」(!?)
↓
「東照宮にある栄誉権現社は勝負事に縁起がいいね!b(´∀`)グッジョブ」
となった模様(多分…w)
※大正年間(1912年〜1926年)…大正時代ってもうモガ・モボなイメージじゃないのw
私の中では「何事もきっと上手く行く!」的な、前向きに輝く近代的な部分と江戸時代に闊歩していたおどろおどろしい妖怪の類が違和感なく同居している時代ではありますw
小さいからと言ってスルーしないでお参りしてみましょう。
さて、御狸様にご挨拶して、石段を上って、やっと扉の内側へ入ります。
すると、すぐに極楽浄土を模したかの様な黄金色の社殿が現れます。
(神社に極楽浄土なとはちょっと変な表現かw)
その名も金色殿。

黄金色の扉の向こう側は、想像以上に黄金色の世界だったのです。

※思わずキラキラに加工w
もはや高虎イメージの面影はなく、派手好きな3代将軍家光の世界観w
(というか、土地は高虎の屋敷地だったが建立したのは天海僧正だったとか!?妄想の世界で話を進めてすまないw まあ、仲良し御三方なので「高虎が建てた」でいい様な気もする)
あ、「上野東照宮」でちゃんとHPもあったわ…crz
天海僧正は藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には多くの伽藍や子院が建立されました。1627年(寛永4年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。
1646年(正保3年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。
★【上野東照宮とは】上野東照宮公式HPより
※でも正式にはただの「東照宮」…なのよね(??)

それにしても…
不思議とシックな印象の金色殿。こんなにキンキラな建物なのに。
このデザインが3代将軍家光の好みだとしたら、家光はただのド派手好きではなく、とても繊細なこだわりの強い芸術家肌の将軍だったのだろうな、などと思う緑の船なのでした。
あの看板では分かりにくいですよねw
ご乗船ありがとうございました。